遠さ
帰り道は、静かだった。
駅前の明かりも、住宅街の街灯も、
昨日までと何も変わらない。
足音だけが、一定の間隔で続く。
誰かと並んで歩いているわけでもなく、
誰かに見送られているわけでもない。
ただ、帰っている。
それだけ。
家に着いて、靴を脱ぎ、
鞄を置く。
部屋の灯りをつけると、
いつもの景色が広がった。
机。
椅子。
壁際の棚。
キーホルダーを外して、机の端に置く。
小さな音。
それだけで、この一日が終わった気がした。
その音が、まるで独房の鍵を閉める音のように響いた。守られている。けれど、それは同時に、彼との繋がりがこの小さな『モノ』に集約されてしまったことの証左でもあった。
眼鏡を外して、枕元に置く。
視界が、少しだけぼやける。
そのまま、布団に横になった。
――どこかに、いる。
はっきりとは分からない。
景色は、夜の街にも、
師姉の家の庭にも、
どちらにも似ていた。
輪郭が、曖昧だ。
音が、遠い。
でも、見鬼として分かる。
そこに、気配がある。
遠くに、人影が立っている。
近づこうとすると、
距離が、縮まらない。
歩いても、
呼びかけても。
同じ場所にいるのに、
同じ世界にいるのに。
前より、遠い。
それが、はっきり分かる。
見えてしまうからこそ。
目を覚ます。
夜の静けさが、部屋に戻ってくる。
天井の染み。
カーテンの隙間。
身体を起こすと、
布団の隣は、空いていた。
誰もいない。
椅子も、
机の横も。
そこには、何もない。
キーホルダーは、机の端で動かず、
眼鏡は、枕元に置いたまま。
部屋は、完全に一人分の空間だった。
私は、ただそれを確認して、
もう一度、横になる。
まだ、何も起きていない。
でも。
距離は、確かにあった。
それを、
夢の中でも、
目が覚めてからも。
私は、見てしまった。




