日常のズレ
朝の教室は、いつも通りだった。
チャイムの音。
椅子を引く音。
窓際の席に差し込む、少し白い光。
全部、変わらない。
……はずなのに。
「おはよ」
隣の席から、軽い声が飛んでくる。
「おはよう、ひなた」
ひなたは、私の返事に満足そうに頷いて、
鞄から教科書を取り出した。
小学生の頃から、こんな感じだ。
特別な話題がなくても、
同じ空間にいれば、自然に言葉が出る。
「今日も早いね」
「うん」
それだけで会話は成立する。
……成立してしまう。
ふと、視線が教室の後ろへ向かう。
――いない。
昨日も、そうだった。
その前も。
恒一が、教室の後ろに立っていることは、
最近、ほとんどなくなった。
前は、何も考えずに視界に入っていたのに。
「あれ?」
ひなたが、私の視線の先を追ってから言った。
「最近、あの人来てないね」
責めるでも、探るでもない声。
ただ、事実をそのまま置くみたいに。
「……そうだね」
そう答えながら、私は自分の中を確かめる。
寂しいか、と聞かれたら、
たぶん、そうじゃない。
不安か、と言われても、
それも少し違う。
私は、何も変わっていない。
考え方も、感じ方も。
昨日までの私と、今日の私。
変わったのは――配置だけだ。
「別に、用事があるだけだと思う」
そう言うと、ひなたは「ふーん」と軽く返した。
「そっか」
それ以上、聞いてこない。
それが、ありがたい。
授業が始まる。
ノートを取りながら、
ふと、鞄の中に指先が触れた。
キーホルダー。
昨日渡された、防衛宝貝。
使うことはない。
鳴ることもない。
それでいい。
それが、正しい。
……正しいはずだ。
「ねえ」
ひなたが、小声で話しかけてくる。
「最近、ちょっと静かじゃない?」
問いかけは、柔らかい。
決めつけも、評価もない。
「そうかな」
「うん。ちょっとだけ」
ちょっとだけ。
その言葉が、胸に引っかかる。
私は、少し考えてから言った。
「……変わってないよ」
本心だった。
ひなたは、一瞬だけ私を見てから、
肩をすくめた。
「そっか。なら、いいや」
それで終わり。
ひなたは前を向き、
先生の話に意識を戻す。
私は、ノートに視線を落とす。
字は、いつも通り。
手も、震えていない。
大丈夫。
私は、ちゃんと、ここにいる。
なのに。
教室の空気が、
ほんの少しだけ、広く感じられた。




