手当て役
静かな部屋だった。
外界から切り離されたような、柔らかい結界の中。
萃華は、畳の上に座り、湯呑みを手にしていた。
向かいには、穂乃香。
膝を抱え、少しだけ身体を丸めている。
「……」
沈黙が、重くなりすぎない程度に続く。
萃華は、それを邪魔しない。
こういう時、急かすと逆効果だと、長い年月で学んできた。
「ね」
ふいに、軽い声を出す。
「怖かったでしょ」
穂乃香の肩が、わずかに跳ねた。
否定は、しなかった。
「……はい」
掠れた声。
萃華は、湯呑みを置く。
「そりゃそうよ」
あっけらかんと、言う。
「怖くない方がおかしい」
その言い切りに、穂乃香は少し驚いたように顔を上げた。
萃華は、笑っていない。
でも、軽い。
「怖かったって言えるのは、ちゃんと生きてる証拠」
「平気な顔して壊れるより、ずっといいわ」
穂乃香は、唇を噛んだ。
「……私」
言葉が、詰まる。
「……狙われる、って……」
声が、震え始める。
萃華は、座ったまま膝を滑らせ、一歩だけ距離を詰めた。
触れない。
でも、逃げない距離。
「うん」
短く、肯定する。
「残念だけど、そう」
誤魔化さない。
慰めすぎない。
「見鬼ってね、目立つの」
「闇の中で灯る、松明のようなものだから」
穂乃香は、俯いた。
「……やっぱり」
「でもね」
萃華は、少しだけ声の調子を変えた。
「“喰われる側”って意味じゃない」
穂乃香が、顔を上げる。
「狙われるってことは、
価値があるってことよ」
「嫌な言い方だけど」
萃華は、肩をすくめる。
「恒一が動いたでしょ」
「それが、答え」
穂乃香は、思い出す。
扉が開いた瞬間。
何も言わず、迷いなく動いた姿。
「……はい」
小さく、頷く。
萃華は、その反応を見て、内心で少し安堵した。
——ちゃんと、届いてる。
「で」
急に、声色が変わる。
「今日はもう、何もしなくていい」
「お風呂入って、ご飯食べて、寝なさい」
「夢、見るかもだけど」
にやりと、笑う。
「ここは安全」
「物理的にも、霊的にも」
断言。
穂乃香は、少しだけ、肩の力を抜いた。
「……ありがとうございます」
萃華は、立ち上がりながら言う。
「感謝はね、元気になってからでいいの」
襖の前で、振り返る。
「それと」
少しだけ、真剣な目。
「恒一は、人を鍛えるのは得意だけど」
「心を撫でるのは、苦手なの」
穂乃香は、思わず小さく笑った。
「だから」
萃華は、胸を張る。
「その辺は、姉の仕事」
満足そうに、言い切る。
「今日は、私が付いてるから」
襖が、静かに閉じた。
穂乃香は、一人になる。
でも。
孤独ではなかった。
胸の奥に残っていた、冷たい塊が、少しずつ溶けていくのを感じながら。
ゆっくりと、息を吐いた。




