閉じる箱
校舎の裏手。
人通りは少なく、昼間でも少し薄暗い場所。
亮は、物陰からその様子を「検分」していた。
秋月穂乃香。
友人と別れ、教師に呼び止められている。
——来た。
胸の奥が、静かに高鳴る。
教師は、特別なことを言っていない。
授業で使った道具を、倉庫に戻しておいてくれ。
それだけ。
穂乃香は、少し驚いたようにしながらも、素直に頷いた。
荷物を抱え、倉庫の方へ向かう。
亮は、その背中を追う。
距離は、いつもと同じ。
少し離れた位置。
近づかない。
焦らない。
——恐怖は、続けば慣れる。
——警戒は、永遠には持たない。
そう考えると、自然と呼吸が整った。
誰かに教わったわけじゃない。
ただ、分かっている。
分かっている気がする。
倉庫の前。
穂乃香が、一瞬だけ足を止めた。
(……すぐ終わるし)
そんな風に、自分に言い聞かせるような仕草。
亮の口元が、一瞬だけ、歪む。
——ニヤリ。
だが、それはすぐに消えた。
誰かに見られても、おかしくないように。
倉庫の扉が、開く。
穂乃香が中に入る。
亮は、数拍だけ待ってから、その後を追った。
倉庫の中は、ひんやりとしていた。
木の匂い。
埃の匂い。
穂乃香は、棚の前に荷物を置く。
その瞬間。
——ぞくり。
背中を、冷たいものが撫でた。
息が、止まる。
(……まずい)
理由は分からない。
でも、身体が先に反応した。
慌てて、振り返る。
「……っ!」
そこにいた。
小林亮。
倉庫の入口に立ち、手を伸ばしている。
——ガラッ。
扉が、閉まる。
音が、やけに大きく響いた。
「……な、に……」
声が、震える。
鍵は、まだかかっていない。
でも。
逃げ道が、一つ消えた。
亮は、何も言わない。
ただ、じっと見ている。
その視線は、もう隠そうともしていなかった。
肌をなぞる。
逃げ場を測る。
穂乃香は、一歩、後ずさる。
(油断した……)
頭の中で、自分を責める声が響く。
怖い。
でも。
昨日までとは、違う。
——これ、は。
——“変”じゃない。
——危険だ。
その瞬間。
同時刻、倉庫の外。
校舎の廊下で。
恒一の胸元で、一枚の符が、かすかに揺れた。
「……」
理由は、分からない。
だが。
空気が、一段階、重くなった。
恒一は、足を止める。
視線を、無意識に倉庫の方へ向けた。
「……」
何も、見えない。
それでも。
符が、確かに反応している。
——越えた。
恒一は、静かに、息を吸い、瞳の奥に冷徹な光を宿した。
シーン7 箱の中
倉庫の中は、思った以上に静かだった。
外の喧騒が、まるで嘘のように遮断されている。
小林亮は、声を出さずに笑った。
音のない笑み。
口角だけが、ゆっくりと持ち上がる。
穂乃香は、その表情を見た瞬間、全身が強張った。
——逃げなきゃ――。
考えるより先に、身体が動いた。
亮の脇をすり抜け、入口の扉へ。
だが。
「……っ!」
腕を掴まれる。
強い力。
引き戻され、身体が回転し、倉庫の奥側へと突き飛ばされた。
棚に背中を打ち、床に座り込む。
息が、詰まる。
「……」
声が出ない。
喉が、きゅっと塞がってしまったみたいに。
必死に、後ずさる。
床を擦る音だけが、やけに大きく響く。
亮は、ゆっくりと距離を詰めてくる。
一歩。
また一歩。
背後は、壁と積まれた備品。
もう、下がれない。
倉庫の入口は、
亮の背後にある。
逃げ道は、
完全に塞がれていた。
亮は、その様子を見下ろしていた。
表情は、奇妙なほど落ち着いている。
怒りも、興奮もない。
ただ、ねっとりと湿り気を帯びた視線だけが、穂乃果の喉元から胸元を舐めるように這い回っていた。
「……っ」
穂乃香は、自分の肌が汚されていくような感覚に、思わず胸元を腕で隠した。
けれど、それが亮の内側に潜む「歪み」をさらに突き動かす。
「なんだよ、その目。俺を化け物みたいに見てさぁ」
亮が低く、濁った声で笑う。
彼はゆっくりと膝をつき、抗う力のない穂乃香の肩を、無骨な手で鷲掴みにした。
「や、めて……っ」
拒絶の声は、亮の指先に力を込めさせるだけだった。
無理やり引き寄せられた衝撃。
悲鳴のような硬い音を立てて、穂乃果のブラウスの第二ボタンが弾け飛んだ。
床を転がる、乾いたプラスチックの音。
開いた襟元から、彼女が必死に守ってきた「日常」が零れ落ちていく。
薄い布地の下で、怯えに震える白い肌。そこに、亮の荒い鼻息がかかった。
——怖い。
——助けて。
——その時。
倉庫の外。
空気が、はっきりと切り替わった。
重さが、一瞬で変わる。
亮は、まだ気づかない。
穂乃香も、まだ分からない。
ただ。
それだけは、確かだった。




