変だ、という確信
昼休みの校舎は、騒がしかった。
廊下を行き交う生徒の声。
教室から漏れる笑い声。
どこにいても、人の気配がある。
——安心できるはずの時間。
なのに。
穂乃香は、胸の奥に引っかかるような息苦しさを覚えていた。
「……」
友人と並んで歩きながら、無意識に呼吸が浅くなる。
理由は、分からない。
でも。
(また……)
その感覚は、朝だけでは終わらなかった。
階段を下りる途中。
購買の列に並んでいる時。
中庭を横切った瞬間。
一日に、何度か。
必ず。
視線を、感じる。
穂乃香は、そっと振り返った。
——いた。
少し離れた場所。
人の流れの向こう。
小林亮。
こちらを、見ている。
近づいてはこない。
声も掛けない。
ただ、見ているだけ。
なのに。
その視線は、ナメクジが這った後のように、じっとりと、肌に残る。
まるで、輪郭をなぞられるような感覚。
目。
肩。
腕。
触れられていないのに、触れられているみたいで。
穂乃香は、思わず腕を引き寄せた。
「どうしたの?」
隣のひなたが、首を傾げる。
「あ、ううん……」
慌てて、首を振る。
「ちょっと、ぼーっとしてただけ」
ひなたは、それ以上気にせず、話を続けた。
——見えていない。
この違和感は、自分だけのもの。
穂乃香は、再び前を向く。
振り返っても、もう亮はいなかった。
それが、余計に気持ち悪い。
(……変)
はっきりと、そう思った。
怖い、ではない。
危険、でもない。
ただ——変だ。
人を見る目じゃない。
好意とも、敵意とも違う。
もっと、湿ったもの。
自分が「人」ではなく、
「標本」になったような感覚。
穂乃香は、胸の奥を押さえる。
息苦しさは、完全には消えない。
それでも。
(これは……)
頭の中で、言葉を探す。
(気のせいじゃない)
昨日までの自分なら、きっとそう言い聞かせていた。
でも今は。
——見鬼。
その言葉が、静かに浮かぶ。
見えるわけじゃない。
聞こえるわけでもない。
ただ、境界に触れてしまった感覚だけが、確かにある。
穂乃香は、小さく息を吐いた。
まだ、誰にも言わない。
立花くんにも、師姉にも。
でも。
(……覚えておこう)
この感覚を。
この息苦しさを。
「変だ」と思った、その事実を。
人の波の中で、穂乃香は、静かに前を向いた。
背後のどこかで、視線が外れたことを、彼女は知らない。
ただ。
同じ距離で、同じ角度で。
それは、また向けられる。
何度でも。
ゆっくりと、根を張りながら。




