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遠い背中

 暗闇が、少しずつ薄れていく。


 最初に戻ってきたのは、音だった。


 規則的な足音。

 それから、風が布を擦る音。


 揺れている。


 ……誰かに、運ばれている。


 そう思ったところで、意識がまた沈みかける。


 でも、今度は完全には落ちなかった。


 まぶたの裏に、ぼんやりと光が滲む。


 街灯。

 遠くの明かり。


 視界は霞んでいるが、上下に揺れる影が見えた。


 ——人、だ。


 背中。


 誰かの背中が、すぐ近くにある。

 歩くたびに伝わる規則的な振動と、かすかな温かさ。


 安心という感情が、遅れて胸に広がった。


 理由は分からない。

 ただ、不思議と怖くない。


 甘い匂いは、もうしない。


 代わりに、乾いた夜の空気と、ほんの少し、紙の匂い。


 頭が、まだうまく働かない。


 声を出そうとしたが、喉が動かない。


 指先も、重い。


 それでも、視線だけは動いた。


 横顔が、見える。


 知らないはずなのに、知っている。


 学校で見た顔。


 静かで、あまり表情を変えなくて、でも、不思議と目立つ人。


 ——立花、くん。


 そう思った気がした。


 名前を呼びたかった。

 助けてくれて、ありがとう、と。


 でも、言葉にならない。


 まぶたが、また重くなる。


 最後に見えたのは、前を見据えたまま歩く、その横顔だった。


 迷いも、焦りもなく。


 ただ、当たり前のように。


 ——この人が、運んでくれている。


 その確信だけを胸に、穂乃香の意識は、再び静かに沈んでいった。


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