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地仙譚~百年を生きる仙人は現代で怪異を祓う~  作者: taka
第22章 境目に触れる手
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余韻

 そのあと、同じことをもう何度か繰り返した。


 紙が置かれる。

 空気がわずかにざらつく。

 符へ手を伸ばす。


 毎回うまくいくわけではない。

 半拍遅れる時もあれば、符を掴む指先に余計な力が入る時もあった。

 それでも、最初の一回目ほど身体が固まることはもうなかった。


 萃華は止める時だけ止めて、あとは大きく口を出さない。

 淵流も、必要な時に短く一言置くだけだった。


 地下の青白い光は変わらない。

 けれど、その静けさの中で、自分の手だけが少しずつ慣れていくのが分かる。


 最後の一枚が床に落ちて、影も何も現れなかった時、萃華が指先を鳴らした。


「はい、今日はここまで」


 軽い声だった。


 穂乃香はそこでようやく、肩から力を抜く。

 息を吐くと、思っていたより長く空気が出た。


 符を持つ指先が少し熱い。

 手のひらには、薄い紙の感触がまだ残っている。


 萃華が台の上の紙片をまとめながら笑う。


「うん、初日にしては全然いいじゃん」


 大げさに褒める言い方ではない。

 でも、軽く流すほどでもない。


「穂乃香、最初に止まる場所は分かったし、途中からちゃんと前にずらせてたし。あれなら次も普通に進むよ」


 穂乃香は小さく頷いた。


「……ありがとうございます」


 声を出したあとで、少しだけ喉が渇く。

 地下の空気は静かで、乾いていた。


 萃華は台の上の匣を閉じる。


「ま、最初はこれで十分。派手なのはまだいらない」


 それから、符束の端を指で整えながら続ける。


「今日は“見えたら触る”が入っただけで収穫だからね。そこ入ってないと、次の段階全部ぐらつくし」


 淵流が首元で低く言う。


「基礎が遅れれば、後で裂ける」


「そうそう」


 萃華がすぐに頷く。


「だから地味でいいの。地味で崩れない方が、あとで強いから」


 その言葉を聞きながら、穂乃香は手の中の符を見た。


 薄い紙一枚。

 それだけなのに、少し前とは違って見える。


 ただ持たされているものじゃなくて、今はちゃんと“使ったもの”になっていた。


 その時、恒一が壁際から一歩だけ近づいた。


 大きな動きではない。

 ただ、手元の符へ視線を落とせるくらいの距離。


 穂乃香の胸が、また一拍だけ強く鳴る。


 恒一はそのまま、穂乃香の手元を見た。


「握り込みすぎるな」


 短い声。


「紙が潰れる」


 それだけだった。


 でも、穂乃香の指先は思わず少し緩む。

 見られていたのだと、今さらみたいに分かる。


「……はい」


 返した声が少しだけ揺れる。


 恒一はそれ以上何も言わない。

 ただ、符の端が整ったのを見て、視線を上げた。


 それだけで十分だった。


 萃華が横で口元を緩める。


「うんうん、そういう細かいの大事」


 いかにも軽い調子なのに、変に茶化しはしない。


「使えるかどうかって、案外そういうとこで変わるし」


 ペイが棚の上からするりと降りてきた。

 足音もなく穂乃香の足元へ来て、当然みたいに靴先へ身体を寄せる。


 温かい。


 穂乃香がそっとしゃがむと、ペイは逃げずにそのまま喉を鳴らした。

 低くて眠い音。


 萃華がそれを見て笑う。


「お、今日も採用されたじゃん」


 穂乃香は少しだけ目を瞬く。


「採用……?」


「ペイ基準。嫌な相手には近寄んないから」


 さらっと言う。


 ペイ本人は、その説明に一切関心がなさそうな顔で前足を折っていた。


 穂乃香はそっと背を撫でる。

 柔らかい毛並みの向こうに、静かな強さがある。


 地下の空気が、さっきまでより少しだけやわらかく感じた。


 萃華が台の上を片づけ終える。


「じゃ、今日は上がろっか」


 軽い声。


「頭の方が先に疲れるやつだから、こういうの。初日に詰め込んでもあんま意味ないし」


 穂乃香は立ち上がる。

 符をしまう。

 匣の位置も確かめる。


 その一つひとつが、来た時より少しだけ自然だった。


 階段へ向かう前に、もう一度だけ恒一の方を見る。


 恒一はいつもの顔で立っている。

 特別なことは何も言わない。

 けれど、今日はその何も言わなさの中に、ずっと視線があった。


 そのことを思い出しただけで、胸の奥がまた少しだけ落ち着かなくなる。


 嬉しい、のかもしれない。

 でも、そう決めてしまうと何かが変わりそうで、穂乃香は先に目を逸らした。


 萃華が先に階段へ向かう。


「穂乃香、明日も同じ時間で大丈夫?」


 振り返りながら訊く声は、どこまでも普通だった。


「……はい。大丈夫です」


「よし。じゃ、次も下で。しばらくは地味にいくから覚悟しといて」


 軽い口調に、穂乃香は少しだけ口元をゆるめる。


「……はい」


 その返事のあとで、ペイが先に階段を上っていく。

 淵流は相変わらず萃華の首元で静かに目を閉じていた。


 地下の青白い光が、背中の方へ遠ざかっていく。


 上へ戻れば、また木の匂いと茶の香りが待っているはずだ。

 家の中の静けさも、障子の向こうの街の音も、昨日と大きくは変わらない。


 けれど、穂乃香は階段を一段上がるごとに、胸の内側だけが少しずつ違う場所へ進んでいる気がした。


 手の中には、符がある。

 今日はそれを使った。


 そして、ずっと見ていた視線もあった。


 その二つを、まだ同じ言葉にはできないまま、穂乃香は静かに階段を上がっていった。

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