初回準備
萃華が、台の上に置いた紙箱と小さな匣を指先で軽く寄せた。
「で、使い方だけど」
軽い声だった。
でも、ここからはさっきまでより少しだけ実務の色が強い。
「最初は私の前でだけ。場所も下。地上でいきなり試すのはなし」
穂乃香は小さく頷く。
「……はい」
萃華は符の束をひとつ持ち上げる。
「符は持ち歩いていいよ。これは護りにも、合図にも、時間稼ぎにも使えるから」
それから、もう片方の匣を指でつつく。
「ただ、こっちはまだ寝かせたまま。起こすのは私がいる時だけ」
匣の内側で、気配がかすかに揺れた気がした。
穂乃香の肩が、ほんの少しだけ固くなる。
萃華はそれを見て、少し笑う。
「大丈夫。今すぐ飛び出したりはしないから」
一拍置く。
「たぶん」
穂乃香は思わず顔を上げる。
萃華は普通に笑っている。
冗談なのか本気なのか分からない。
でも、その曖昧さに少しだけ息が抜ける。
淵流が首元で静かに口を開いた。
「監督なしで蠱を起こせば、寄る」
短い声だった。
穂乃香は匣を見る。
寄る――何が、とは聞かなくても分かる気がした。
萃華が肩をすくめる。
「そういうこと。見鬼があると、そのへん普通の人より引っかかりやすいからね」
それから、指を一本立てる。
「あと、召鬼はまだ実地なし。今は名前と順番だけ覚える」
「順番……」
「うん。呼ぶより先に、返し方覚える」
その言い方だけ、少しだけ真っ直ぐだった。
「呼ぶのは気分で出来ても、返せないと普通に詰むから」
軽く言う。
でも、その“普通”が普通じゃないことは分かる。
萃華は符の束を穂乃香の手元へ寄せた。
「慣れたら、一人でも符は使っていい。蠱は段階見てから。召鬼はもっと後」
穂乃香は、台の上の小さな箱を見つめる。
「……どのくらいで、一人でも使えるようになりますか」
訊いたあとで、少しだけ喉が詰まる。
早くなりたいのか、不安なのか、自分でも分からなかった。
萃華はすぐに答えない。
代わりに、穂乃香の手元の符を見て、それから顔を上げる。
「手元が震えなくなったら」
あっさりした声だった。
「あと、見えた時に固まるんじゃなくて、先に符へ手が行くようになったら」
その基準が妙に具体的で、穂乃香は少しだけ瞬きをする。
萃華はそこで笑った。
「だいじょぶ。そこまで行けば、こっちも一人で出せる」
それから、少しだけ首を傾ける。
「逆に言うと、そこまでは勝手に出ないこと。危ないし、もったいないし」
「もったいない……?」
「符も蠱も使い捨てじゃないんだよ。雑に切ると癖悪くなるし」
穂乃香は符を見下ろす。
道具というより、ちゃんと“付き合うもの”なのだと、少しだけ分かる。
萃華が最後に、台を指先でとんとんと叩いた。
「ま、最初のルールはこんな感じ」
軽く言う。
「一人で抱えない。勝手に起こさない。呼ぶより先に返し方。で、見えたら固まる前に手札確認」
穂乃香はひとつずつ頭の中でなぞる。
全部覚えられるかはまだ分からない。
でも、聞いているうちに、ただ怖いだけだったものに少しだけ形がついてくる。
「……はい」
今度の返事は、少しだけ深く出た。
淵流が目を閉じたまま、低く言う。
「それでいい」
短い声だった。
萃華は、その一言に乗るみたいに笑う。
「うん。最初は地味でいいの。地味に生き残る方が大事だから」




