弟子入りの判断
地下の光は、青白いまま静かに脈打っていた。
棚に並ぶ宝貝も、床を走る術式も、見慣れないはずなのに、妙に落ち着いて見える。
たぶん、ひとつひとつがちゃんと意味を持って置かれているからだ。
萃華が手を伸ばし、さっき穂乃香に渡した符の束を指先で軽く叩く。
ぱさり、と薄い紙が鳴る。
「……で」
そのまま振り返る。
「ここまで見せた意味、なんとなく分かる?」
穂乃香は符を持ったまま、少しだけ指先に力を入れた。
すぐには答えられない。
分かった、とは言えない。
でも、分からないままでもいられない。
「……普通のままじゃ、駄目なんですよね」
声に出した途端、自分で少しだけ息が詰まる。
萃華はそこで笑わなかった。
軽い顔のまま、けれど視線だけはまっすぐだった。
「うん。そこはまあ、そう」
あっさり言う。
「見鬼ある時点で、だいぶ危ないし。しかも今日、ちゃんと見ちゃったじゃん。邪仙も、魂焼却も、鎮魂も」
言葉が並ぶたび、地下の空気が少しだけ重くなる。
穂乃香の肩がわずかに固まる。
符の端が、指先で小さく鳴った。
萃華はその反応を見ても、声を変えない。
「知らないままなら、まだ逃がせる時もあるんだけどね」
棚にもたれる。
「ここまで見えて、向こうにも見られて、しかも生きて帰ってきちゃったら、さすがにもう“はい、日常戻りまーす”は無理」
軽く言う。
でも、その内容は少しも軽くない。
穂乃香は目を伏せた。
手の中の符は薄いのに、妙に存在感がある。
脈打つみたいな気配が、指の腹に残っていた。
「……じゃあ」
喉がひとつ鳴る。
「私は、どうすればいいんですか」
萃華は、一拍だけ黙った。
すぐ答えると思っていたのに、そこで少しだけ間がある。
淵流が首元で静かに目を開く。
萃華はそのまま、穂乃香を見た。
「教えるよ」
短い。
あまりにもあっさりしていて、穂乃香は一瞬だけ言葉を拾えなかった。
萃華が肩をすくめる。
「そのために下まで連れてきたんだし」
ほんの少しだけ口元を上げる。
「見えてるのに何も持ってない、って一番危ないからさ。せめて、生き残る手段くらいは入れとかなきゃでしょ」
それは勧誘というより、確認に近かった。
もう決めてあることを、ただ言葉にしたみたいに。
穂乃香の指先が、また少し強張る。
「……教えるって」
「そのまんま。ひとまず、私のとこで面倒見る」
萃華は言いながら、別の棚から細い匣をひとつ抜き取った。
「弟子、って言い方が一番早いかな」
かち、と留め具を外す。
中には細い針のようなものが並んでいた。
銀色に見えたのに、灯りの角度で青くも見える。
「別に、明日から仙人やれとかそういう話じゃないよ」
匣を閉じる。
「まずは“見えるだけ”の状態から出る。そこまで」
穂乃香は萃華を見た。
軽い調子。
でも、逃がさない。
その時、首元の淵流が低く口を開いた。
「遅いくらいだ」
静かな声だった。
責めるでもなく、驚くでもない。
ただ、そう判断している声。
穂乃香の喉が少し詰まる。
「……私に、できますか」
言ったあとで、呼吸が浅くなる。
萃華はすぐに答えなかった。
代わりに、手にしていた匣を棚へ戻し、穂乃香の方へ歩いてくる。
足音は軽い。
でも、その軽さのまま距離を詰められると、かえって逃げ場がなくなる気がした。
萃華が目の前で止まる。
「できるかどうか、で言うなら」
一度だけ、穂乃香の手の中の符を見る。
「まだ分かんない」
穂乃香は思わず瞬きをした。
あまりにもそのまま言われて、肩の力が少し抜ける。
萃華は続ける。
「ただ、向いてないとも思ってない。見鬼あるし、飲み込まれずに今日ここまで来てるし。あと――」
そこで、ほんの少しだけ目を細める。
「怖がれてるから」
穂乃香の肩が小さく跳ねた。
萃華は笑わない。
軽い口調のまま、でも言葉だけは真っ直ぐだった。
「そこ、大事なんだよ。怖くないやつの方が危ないから」
地下のどこかで、小さく金属音が鳴る。
ちり、と短い音だった。
穂乃香は符を持ったまま、目を伏せる。
怖い。
それは否定できない。
さっき見たものが、ずっと胸のどこかに残っている。
でも今、その怖さを理由に逃げたいとは、不思議と思えなかった。
萃華が少しだけ身を引く。
「あー、まあ、そんなわけで」
やっと少し普段の調子に戻る。
「私は教える気ある。で、穂乃香はどうする?」
問いかけなのに、突き放した感じはなかった。
選ばせている。
でも、何を選べばいいのかは、もう大体見終わっている。
穂乃香は、地下の棚を見た。
光球。
宝貝。
術式。
迎撃陣。
それから、さっき萃華が前に立って見えなくした、部屋の奥の一角を思い出す。
まだ見なくていいやつ。
ここには、教えるものだけじゃなく、隠しているものもある。
その全部を含めて、この人は今、自分をここに立たせている。
穂乃香は一度だけ息を吸った。
肺の奥が、少し冷える。
その冷たさが落ち着いたところで、顔を上げる。
「……お願いします」
言い終わる前に、声が少しだけ震えた。
けれど最後まではっきり出た。
萃華はそれを聞いて、ようやく笑う。
「うん。よし」
短く頷く。
「じゃ、今日からってことで」
あまりにも軽い。
弟子入りの言葉なのに、書類でも片づけるみたいな軽さだった。
その気安さに、穂乃香は一瞬だけ呆気にとられる。
萃華はそんなこと気にせず、棚の方へ戻る。
「ま、とはいえ、いきなり全部は無理だからさ。順番はこっちで決める」
ひらひらと手を振る。
「まずは死なないとこから。話はそれから」
その一言が、妙に現実的だった。
穂乃香は小さく頷く。
「……はい」
淵流が首元で静かに目を閉じる。
「妥当だ」
短い一言。
それが了承なのだと、今度は分かった。
地下の青白い光が、符の端をかすかに照らしていた。
手の中の薄い紙は、さっきより少しだけ重く感じる。
たぶん、気のせいじゃない。
萃華がくるりと振り返る。
「で、次なんだけど」
そこで初めて、口元が少し悪戯っぽく上がる。
「何教えるかは、ちゃんと向き不向き見るから安心して。似合わないこと押しつける気ないし」
穂乃香は符を見下ろし、それから萃華を見る。
弟子になった、という実感はまだ薄い。
でも、何かがもう戻らないところまで進んだことだけは分かる。
地下の空気は変わらず静かだった。
けれど、さっきとは少しだけ、立っている位置が違う気がした。




