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地仙譚~百年を生きる仙人は現代で怪異を祓う~  作者: taka
第20章 残火に響く鎮魂
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風蕗の顕現

 炎の赤の中で、その刃だけが静かだった。


 恒一の手の中にあるのは、たしかに剣だった。

 ただの金属の刃とは違う。

 熱の渦の中にいるはずなのに、その輪郭だけがぶれない。


 風が集まっている。


 刃の周りに、細く、鋭く。

 見鬼で開いた感覚には、それがよく分かった。

 燃える火の流れとは正反対の、まっすぐな気配。


 朱烈の目が細くなる。


「……へえ」


 肩がほんのわずかに揺れる。

 その声には、初めて値踏みと警戒が混じっていた。


「持ってんじゃねえか」


 恒一は答えない。


 振り返りもしない。

 ただ、剣を下げたまま一歩踏み込む。


 靴底が焼けた地面を鳴らす。

 その小さな音だけが、妙にはっきり聞こえた。


 朱烈が舌打ちする。


 両手が開く。

 散っていた符が、もう一度浮かび上がる。


 今度は隠さない。

 最初から叩き潰すつもりの置き方だった。


 符が一斉に燃える。


 爆炎。


 壁際から。

 頭上から。

 正面から。


 逃げ道を残さないように、路地そのものを火で塞ぐ。


 穂乃香は息を止めた。


 熱が押し寄せる。

 肺の中まで焼かれそうな圧だった。


 恒一は止まらない。


 手首が、わずかに返る。


 それだけだった。


 次の瞬間、風が走る。


 轟音ではない。

 むしろ逆だった。


 爆炎の中に、ひどく細い裂け目が一本だけ通る。


 真っ直ぐ。

 迷いなく。


 火の面が、左右に割れた。


 裂けた炎が、壁に沿って流される。

 熱そのものの向きが変わる。

 見鬼の目には、それがはっきり見えた。


 火を切ったんじゃない。


 その奥に張り巡らされていた術の筋。

 赤い構成。

 絡み合った悪意の線。


 それを、まとめて断っていた。


 朱烈の笑みが、そこで初めて消えた。


「……何をした」


 低い声。


 恒一は炎の残りを見たまま、剣をわずかに傾ける。


「……構成が甘い」


 その声には何も乗っていない。

 侮りでも、怒りでもない。


 ただ事実を置いただけの響きだった。


 けれど、その一言に朱烈のこめかみがぴくりと動く。


 肩が上がる。

 口元が、わずかに歪む。


「舐めるなよ」


 吐き捨てるように言いながら、両手を開く。


 符がまた増える。


 さっきより速い。

 さっきより多い。


 穂乃香の喉がひりついた。


 その時、横で音が鳴る。


 ——チン。


 清磬だった。


 ついさっきまで火に押されていたのに、もう前を見ている。

 白い道袍の袖口は熱で揺れ、頬の横を焦げた風が抜けていく。

 それでも目だけは、少しも逸れない。


 浮かぶ磬の数が増えていた。


 五つ。

 七つ。

 そのさらに先まで、薄い光の輪郭が夜の路地を埋めていく。


 その光景は綺麗だった。


 綺麗なのに、怖い。


 音が一つ、また一つと重なるたびに、影が起き上がる。

 今度の鬼は、さっきまでと違った。


 数だけじゃない。

 輪郭が濃い。


 怒っているのだと、穂乃香には分かった。


  清磬の肩が、ほんのわずかに震えていた。

 呼吸は乱れていない。

 それなのに、音の芯だけが妙に硬い。


 何かが、さっきまでと違う。


 けれどそれが何なのか、清磬自身も分かっていないように見えた。


「……貴様」


 声は小さい。

 怒鳴ったわけでもない。


 ただ、その響きだけが妙に低く、硬かった。


 路地の空気が、そこでぴんと張る。


 朱烈が目を向ける。


 清磬は、もう朱烈しか見ていなかった。


「消えろ」


 磬が一斉に鳴る。

 澄んだ音のはずなのに、今はどこか刺さる。


 刃というより、整いきらない硬さが混じっていた。

 その響きに押し出されるように、鬼が走る。


 壁を這う。

 階段を駆け上がる。

 地面の影から跳ねる。


 四方から、容赦なく朱烈へ殺到する。


 朱烈が笑った。

 その笑い声には、さっきまでの軽さが少しだけ減っていた。


「……面白え」


 火が膨らむ。


 鬼が焼ける。


 だが、今度は一体では終わらない。

 焼いても焼いても、次が来る。


 鬼が続く。

 音が続く。


 けれど、その押し寄せ方だけがさっきまでと違った。


 穂乃香は息を呑んだ。


 さっきまで綺麗だった戦い方が、今は少しだけ荒い。

 同じ音なのに、響き方が違う。


 清磬が、ひどく苛立っている。


 そう感じた。


 けれど、本人はたぶん、それをまだ言葉にできていない。

 そんな違和感があった。


 目の前では、炎と影がぶつかり合い、火花と黒い残滓が散り続ける。

 頭上のネオンの残光が、焼けた窓に歪んで映っていた。


 恒一は、その横に立ったまま動かない。


 助けたあと、何も言わない。

 ただ剣を下げ、火の流れだけを見ている。


 もう一度割って入るつもりなら、すぐにでも入れるはずなのに。

 それでも動かないのは、清磬を止めていないからだと、穂乃香にも何となく分かった。


 その沈黙が、また少し怖い。


 炎の中で、朱烈の顔から笑みが消え始めていた。

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