測られる距離
玄関の音は、いつもと同じだった。
扉が開く音。
靴を脱ぐ、わずかな間。
誰かが帰ってきた、それだけの合図。
なのに。
胸の奥が、ひとつだけ、遅れて反応した。
廊下の向こうから、気配が近づいてくる。
視線は、向けられない。
それは、いつもと変わらない。
清磬は、私を見ない。
それ自体は、もう分かっていることだった。
でも――
足音が、一定じゃない。
止まる。
一歩、進む。
また、止まる。
迷っている、というより……測っている。
距離を。
位置を。
私が、どこにいるかを。
背中に、微かな圧を感じる。
見られてはいないのに、意識されている感覚。
心臓が、少しだけ早くなる。
(……何、これ)
これまでにも、清磬が近くを通ることはあった。
私の存在を、完全に無視するように。
だからこそ、余計に分かる。
今までとは、違う。
視線は、向かない。
声も、かからない。
それなのに。
私と、恒一さんとの距離。
私と、部屋との距離。
私が、そこに「いる」かどうか。
それを、確かめるような動き。
廊下を挟んで、空気が張り詰める。
何かを言われるわけじゃない。
何かをされるわけでもない。
ただ、位置関係だけが、整理されていく。
――私は、動けなかった。
動いたら、その“測定”に応えてしまう気がして。
しばらくして、足音が遠ざかる。
部屋の扉が閉まる音。
そこで、ようやく息を吐いた。
(……気のせい、じゃない)
理由は分からない。
何が変わったのかも、分からない。
でも。
清磬は、私を見ないまま、今までよりも、はっきりと私を認識していた。
それが、怖いのか。
それとも――
胸の奥で、言葉にならない違和感が渦を巻く。
私はまだ、何も選んでいない。
なのに。
盤面のどこに立たされているのかだけが、少しずつ、見えてきてしまっていた。




