夜話
夜は静かだった。
昼の賑わいが嘘のように、庭先に置かれた灯りの下で、湯気だけがゆっくりと立ち上っている。
恒一と萃香は、向かい合って茶を飲んでいた。
言葉を交わさずとも落ち着く時間。それでも、萃香はふと視線を湯飲みに落としたまま、口を開いた。
「清磬ね」
唐突ではあったが、恒一は驚かなかった。
「まだまだ、自分というものが固まっていないわ」
断定ではない。
少し距離を取った、観測するような言い方。
「今は成長の途中よ。感情は芽生えているのに、それをどう扱えばいいのか分からない時期」
そこで、萃香はほんの一瞬だけ言葉を選ぶように間を置いた。
「……最初から“人の心”で世界を見てきたわけじゃないもの」
恒一は、その言葉を静かに受け止める。
詳しくは語られない。だが、それだけで十分だった。
「こういう時は、不安定になりやすいの」
萃香は、ほんの少しだけ笑った。
「誰かに寄りかかりすぎたり、逆に、全部を拒んでしまったりね」
湯飲みを置く音が、小さく響く。
「だから……周りにいる人間は、少しだけ注意深くいた方がいい」
恒一はそこで、顔を上げた。
「……それを、なぜ俺に?」
責めるでもなく、疑うでもない。
ただ理由を確かめる声だった。
萃香はその問いを受けて、少しだけ困ったように目を細める。
「さあ、どうしてかしら」
曖昧な笑み。
「言葉にすると、重くなるでしょう?」
それ以上は語らない。
任せるとも、命じるとも言わない。
恒一はそれを受け取り、しばらく黙って茶を飲んだ。
やがて、話題は自然に移る。
「……もう一人、気になる子がいるわ」
萃香の視線が、夜の闇の向こうへ向く。
「秋月さん」
恒一の指が、わずかに止まった。
「見鬼の力。明らかに伸びているわね」
評価ではない。ただの事実確認。
「今はまだ、自覚が追いついていないみたいだけど……放っておくと、本人が疲れてしまう」
萃香は軽く肩をすくめる。
「いつかは、制御の仕方を教えないといけないでしょうね。……どこかで」
“今すぐ”ではない。でも、“いつか”は確実に来る。
恒一は深く息を吐いた。
「……分かった」
多くは言わない。
それでも、その一言には考え、引き受ける覚悟が含まれていた。
萃香はそれを見て、満足そうに微笑む。
「大丈夫よ」
夜風が、茶の香りを揺らす。
「あなたは、ちゃんと立ち止まれる人だもの」
それが、励ましなのか、信頼なのか。
恒一は答えず、静かに夜を見つめていた。




