夜を出る
最後の皿が下げられ、テーブルの上には、何も残らなかった。
食事は、いつの間にか終わっていた。
満腹感よりも、胸の奥に残る、言葉にできない感覚の方が強い。
恒一が、静かに席を立つ。
「行こうか」
短い一言。
私は、頷いた。
個室を出ると、廊下の照明が柔らかく続いている。
足音が、少しだけ響いた。
会計は、いつの間にか済まされていた。
萃華の顔が、一瞬だけ頭をよぎる。
――本当に、手を抜かない。
ホテルの外に出ると、夜の空気が肌に触れた。
萃華さんに着せられた上質な生地が、昼間の自分とは違う重みを持って肌に馴染んでいる。
この服を脱いでしまったら、今のこの特別な距離まで消えてしまうのではないかと、私は少しだけ不安になった。
銀座の街は、まだ明るい。
人通りも多く、ネオンや街灯が、昼とは違う顔を見せている。
並んで歩く。
距離は、昼間と変わらないはずなのに。
少しだけ、近く感じた。
話題は、特にない。
無理に探すことも、しなかった。
足並みが、自然と揃う。
それだけで、十分だった。
ふと、ガラスに映る二人の姿が目に入る。
肩が触れるほどではない。でも、離れてもいない。
第三者が見たら、どう見えるのだろう。
そんな考えが浮かんで、すぐに振り払った。
けれど、ガラスに映るスーツ姿の彼は、やはりどこか遠い世界の住人のように端正で。
その隣に並ぶ自分の姿を、いつか誰かに誇りたいと思ってしまった自分に、顔が熱くなった。
駅に向かう途中、恒一が歩調を少しだけ緩める。
それに合わせて、私も歩く。
言葉はない。
でも、置いていかれない。
それが、少しだけ嬉しかった。
銀座の灯りが、背後に遠ざかっていく。
今日のことは、特別だった。
でも。
特別だと認めてしまうと、何かが変わってしまいそうで。
私は、ただ静かに、夜を後にした。
この距離を、胸に抱えたまま。




