夜景の向こう
夜景を見下ろす、ガラス張りの個室。
窓際に寄せられたテーブルで、私はひそかに悪戦苦闘していた。
萃華が用意してくれたのは、コース料理だった。
そして、こういう店では当たり前のように、ナイフやフォーク、スプーンが何本も並んでいる。
どれを使えばいいのか、一目では分からない。
学生の私に経験がないのは、当然だった。
「……」
迷っているのが伝わったのか、向かいの恒一が口を開く。
「二人での食事だ。気にする必要はない」
静かな声。
「個室だしな」
そう言われて、少しだけ肩の力が抜けた。
視線を戻すと、恒一は迷いのない手つきで食事を進めている。
所作が、自然だった。
「……慣れてるんだね」
思わず、そう言っていた。
「仕事で必要だっただけだ」
短い答え。
それ以上の説明はなかった。
この店では、料理は一気に出てこない。
こちらの様子を見ながら、一皿ずつ、丁寧に運ばれてくる。
私の手が止まるたびに、提供の間隔は自然と空いた。
それでも、恒一は何も言わない。
ただ、夜景の方へ視線を向けている。
ガラス越しに広がる光の海を、黙って眺めていた。
「……昔」
不意に、恒一が口を開いた。
いつもより、少しだけ低い声。
何かを思い出すような、そんな響きだった。
「両親が、この街に食事に連れてきてくれたことがある」
私は、フォークを持ったまま動きを止める。
「パーラーに行った記憶がある」
懐かしむように言うその横顔を見て、ふと気づいた。
私は、恒一の両親のことを、何も知らない。
考えるより先に、言葉が出ていた。
「……ご両親は?」
言った瞬間、胸の奥が少しだけざわつく。
聞くべきじゃなかったかもしれない。
恒一は、一度、言葉を探すように黙った。
ほんの、短い間。
「……あまり、良い最期じゃなかった」
そう前置きしてから、静かに続ける。
「盗賊に殺された」
淡々とした声。
感情を削ぎ落としたような、事実だけの言い方だった。
私は、すぐには理解できなかった。
頭の中で、意味が形になるまで、時間がかかる。
何も言えないまま黙っていると、恒一が少しだけ視線を伏せた。
「……すまない」
言い過ぎた、と気づいたみたいに。
「変な話をした」
謝る必要なんてないのに、そう言われて、余計に言葉を失う。
私は、首を横に振ろうとして、結局、何もしなかった。
夜景の光が、ガラス越しに揺れている。
この場所は、綺麗で、静かで。
でも今は、そのきらめきが、少し遠い。
知らなかったこと。
触れてしまった過去。
それを、どう受け止めればいいのか分からない。
私は、ただ、黙って座っていた。
言葉が見つからないまま。




