見ないまま
授業中、視線がふと後ろに流れた。
意識していなかった。
本当に、ただの癖みたいなものだ。
恒一の背中が、そこにある。
それを確認して、少しだけ胸が落ち着く。
「……」
その瞬間、声がかかった。
「穂乃香」
隣の席。
ひなただった。
はっとして、慌てて視線を戻す。
「あ、ごめん」
何に対しての謝罪なのか、自分でも分からない。
ひなたは、今日はもう普通だった。
顔色もいいし、声もいつも通り。
この間、倒れていたのが嘘みたいだ。
「今日から来て大丈夫って言われた」
そう言って、ひなたは笑った。
「……そっか」
安心する。
本当に、よかった。
「この間は、ありがとうね」
一瞬、言葉に詰まる。
何に対して、どこまでの意味で言われているのか。
考える前に、口が先に動いた。
「当たり前だよ」
反射みたいな言葉。
作った笑顔を、そのまま向ける。
「無事で、よかった」
それだけは、本心だった。
ひなたは、少しだけ黙った。
すぐに返事が来ると思っていたから、その沈黙に、落ち着かなくなる。
「……なに?」
聞きそうになって、やめた。
ひなたは、じっと私の顔を見ている。
視線を逸らしたくなったけど、それもできない。
少し長い沈黙のあと、ひなたが口を開く。
「穂乃香さ」
呼ばれる。
「何か、無理してない?」
胸の奥が、小さく跳ねた。
「……してないよ」
即答だった。
考えるより早く、言葉が出る。
ムキになっているわけじゃない。強がっているつもりもない。
ただ、そういうことにした。
「大丈夫」
続けて、言う。
ひなたは、それ以上踏み込まなかった。
「そっか」
軽く頷いて、それだけ。
責めるでも、追及するでもない。
それが、余計に刺さる。
私は、ノートに視線を落とした。
さっきまで書いていた文字が、少しだけ歪んで見える。
無理をしているかどうかなんて、考えたくなかった。
考え始めたら、何を見ていたのか、どうして見ていたのか、全部、繋がってしまう気がしたから。
だから、見ない。
気づかない。
そう決めた。
ひなたは、それ以上何も言わなかった。
けれど。
その沈黙が、私の胸の奥に、静かに残り続けていた。




