静かな波紋
昼休みの教室は、比較的静かだった。
立花恒一は、自分の席で教科書を開いている。
昼食は簡単に済ませた。食べながら騒ぐのは、好みではない。
「……立花くん」
声をかけられて顔を上げると、クラスメイトの男子が立っていた。
確か・・・・・・柊 一真と言ったか。成績上位の、いわゆる真面目組だ。
「さっきの授業さ、あれって……」
物理の話だった。
授業中、恒一は一世代前の理論で答え、教師にやんわり訂正されている。
「昔は、そう教えられていました。
今は、こちらが主流ですね」
恒一は淡々と答えた。
「へえ……」
男子は少し驚いたように笑う。
「でも、そこまで覚えてるのすごいよ。
俺なんて去年の内容も怪しいし」
「必要なことは、覚えるようにしています」
謙遜でも、誇示でもない。
ただの事実だった。
会話はそれ以上続かなかった。
だが、その様子を周囲は見ている。
――ああいうタイプか。
距離を取りつつ、拒絶もしない。
群れないが、孤立もしていない。
真面目組の一部は、
「同類だな」
と安心し、
一方で、教室の後ろでは、別の空気が生まれていた。
「……気に食わねぇ」
誰かが、低く呟く。
机に足を投げ出したまま、不良寄りの生徒が恒一を見ていた。
視線に、好意はない。
騒がない。
怒らない。
反応しない。
それが、余計に腹が立つ。
――すましてんじゃねえよ。
放課後。
教室は、帰宅する生徒で少しずつ空いていく。
恒一は鞄を肩にかけ、席を立った。
その瞬間。
足元に、違和感。
――引っかけられた。
誰かの足が、わざと通路に出ている。
露骨すぎる嫌がらせ。
普通なら、転ぶ。
勢い次第では、相手の足を踏み抜く。
恒一は、反射的に力を抜いた。
一歩、踏み出しかけた足を止め、
体重をずらし、
相手の足を避ける。
踏まない。
蹴らない。
踏み潰さない。
結果、恒一はわずかによろめき、
教室の床に手をついた。
「……っと」
声は、低く短い。
背後で、笑い声が上がる。
「わりぃ、わりぃ。見えなかった?」
悪びれた様子はない。
恒一は立ち上がり、制服についた埃を払った。
「いえ」
それだけ言って、足を引っかけた相手を見る。
目が合う。
相手は、一瞬だけ、居心地が悪そうに視線を逸らした。
怒られない。
睨まれない。
やり返されない。
――なんだよ、それ。
余計に、苛立ちが残る。
恒一は、それ以上何も言わず、教室を出た。
廊下を歩きながら、静かに思う。
――力は、使わずに済むなら、それでいい。
学校という場所は、人の感情が集まる。
だから、小さな悪意も、育ちやすい。
それでも。
今は、まだ小さい。
そう判断し、恒一は校舎を後にした。




