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「どうせなら、このまま一緒に過ごさない?」という雪月さんの有難い提案を、私は一も二もなく受け取った。
「まぁ仕方ねぇか」と一つ目も笑っていた。から傘もわざわざ反対はしなかった。私は彼らに精一杯の感謝の姿勢を示したが、二人とも、らしくないなと笑ってくれた。
そういうわけで改めて訪れた非日常の生活は頗る楽しかった。生活の中に雪女や一つ目小僧、から傘お化けがいるだけで、私は何かしらの満足を得ていた。平常時よりもパワーアップした雪月さんの悪戯っぽさには参ったが、氷の魔法を自在に扱う彼女と一緒に宙を舞うのも、何もかもが懐かしく、楽しかった。
だが一方で三年前のような後先考えない純粋な楽しさは失われていた。その証左に、夕食後の一服の時間、雪月さんはメロンをフォークでつつきながら、私に相談をもちかけた。彼女は、来年は自分も君も大学生じゃなくなると前置きした上で私に尋ねた。この屋敷を出る時、以前と同様に雪女としての自分の記憶だけを消すか、それとも自分の記憶の全部を消すか。
雪月さんは真面目な調子だったが、私としては彼女が記憶を消したがる理由がよく分からなかった。しかし、どこか有無を言わさぬ感じがあったし、妖怪には人間とは違う事情があるのかもしれん。私は散々悩んだ末に「じゃあ全部」と言った。
「そうだね」
その言葉を聞いた彼女は寂しげな微笑を浮かべた。
「それがいいよ。今までずっと、私の我儘に付き合ってくれてありがとね」
「ただし──」
私は彼女の両手を取ると、声高に叫んだ。そして原口部長さながらの演説をした。
「我々がどこかで再会し、僕が雪月さんに気づくことが出来た暁には、必ず、必ずです。雪女としての貴女の記憶も含めて、全部の記憶を戻してください。それはきっと運命ですから」
「いいよ、その賭けに乗ってあげる」
感化された雪月さんも原口部長並みに気合いを込めて言ったが、どうしても上品さが抜けていなかった。雪月さんはやがてハッとした様子で力なくこう言った。
「だから嫌なんだよ、人と仲良くしすぎるのは」
しばらくの沈黙が続き、彼女は自らそれを破った。
「まぁ、自業自得なんだけどさ。でも、しょうがないことだって、君なら分かってくれるだろう?」
「はい、生姜焼きが好きなのは誰かに強制されたわけでもなければ、自分から好きになったわけでもない。つまり、しょうがないって奴ですね。残念ながら責任は自分に降りかかってくるんですけど」
彼女は苦笑して頷いた。
「物分りが良い後輩で助かるよ」
*
屋敷で生活をし始めると、あっという間に二週間が経過した。今回は客という扱いのため、買い物や家事も碌にさせてもらえず、本当にただ遊んでいるだけだった。
ある朝、私は雪月さんを高原に誘った。三年前、約束をしていた例の場所である。私がそのことを持ち出して、約束通り無事に免許を取ったことを報告すると、
「覚えていたんだ」
雪月さんは何ともいえぬ表情で笑い出した。そういえば私はなぜ免許を取ったことを彼女に話していなかったのだろう。私の知る私なら、取得と同時に誰かに自慢すること請け合いなのだが、免許取得の件は両親にさえ話していなかった。
「何だか照れくさいね」
言いながら、雪月さんはとうとう顔を背けてしまった。分かりやすい深呼吸を二回繰り返してから、
「うん、いいよ、いこうか」
「はい。乗ってきたカローラは裏手の方で一つ目が整備してくれていますから、そっちへ廻りましょう」
そう、雪月さんとの再会の衝撃で放ったらかしにしてしまっていたレンタカーの保管は初日に一つ目がやってくれていたのである。ご丁寧にガソリンまで入れてくれていた。
「雪月さんは暑さが苦手だからな。予めエンジンをかけておいたぜ。冷房はきっちり二十四度だ」
「ありがとう、助かるよ」
得意になっている一つ目に向かって素直に礼を言うと、私達はレンタル期間を延長したカローラで街まで下って行き、再び別の山道を登って行った。道中、古い洋楽ばかりをチョイスする雪月さんの選曲センスには参ったが、五分後には私、軽快に肩を揺らしていた。うむ、どうも感性が合うから困る。
カゲミチ山の麓の駐車場に車を止めて、私達は高原に降り立った。山の斜面がそのまま広い草原となっているのである。私達の眼前にはススキとワラビに彩られた広々とした草原が広がっており、随分と壮麗であった。シンボルツリーのように一本だけポツンと生えた榎の木も美しく、その牧歌的な光景には心が洗われる思いである。空気もやたらと澄んでいて、夏を感じぬくらいには冷たかった。
「あそこまで登ろうよ」
雪月さんは奥に切り立つ巨大な丘を指さして言った。かなりの勾配で登れる場所などあるのかと思ったが、よく見ると、丘の頂上までは頼りない木段が爪楊枝の如く設置されていた。大変な道のりが予想されたが、私は彼女の提案に賛成した。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
ニュアンスが若干違う気がするが、雪月さんの言葉通り、実際に登ってみると、てんで大したことはなかった。ぴょんぴょん歩きというデバフこそあれ、ヤケミズ神社の地獄の石段の方がよほど辛いものがあった。とはいえ、頂上から見える景色は素晴らしく、四方を山で囲まれた草原と湖の素晴らしい調和がそこにはあった。
「壮大だねぇ」
雪月さんが涼風に目を細めながら言った。
「そうですねぇ」と私も答えた。雪月さんはどうか知らないが、私はいつぞやの自分の誕生日を思い出していた。
「あれ、何だか綺麗な折れ線グラフみたいだね」
そう言うと雪月さんは白雲とすれすれのジグザグに入り組んだ稜線を指さした。
「ええ、推移はかなり無秩序ですけれど」
私はとりわけ高い峰の方に視線を向けて言った。
それからしばらく沈黙。私たちは陽の光をキラキラと反射させる巨大な池の方に目を向けていた。
そんな時だった。私は前髪を気にしていた雪月さんの手をいきなり握った。から傘はいなかったけれども、雪月さんが握り返してくれたので、私は勢いを失わないまま空中に飛び出した。すると私達は宙を舞い、ティッシュのようにひらひらと空中を踊った。雪月さんはとびきりの微笑を浮かべて、
「きみも中々大胆になったね」と口にした。それで主導権をすっかり取り戻された私は、押し倒されるように身体の向きを変えられ、仰向きの体勢。
「信頼していますからね」
落下方向に背を向けた私は雪月さんに両肘をがっちりと掴まれたまま着水した。
「ざぶんっ」
静謐な池の中、大きな音が立った。湖に落ちた私達は互いの顔を見合わせて笑い合った。池の水はびっくりするくらい冷たかった。
「気持ちいいね!」
「いや、冷たすぎます。早く上がりましょう」
「なんでだよ、これぐらいがちょうどいいんじゃんか」
「雪女にとってはね!」
池から出ると、雪月さんはそのまま私を抱いて屋敷に帰ろうとしたが、前回と違っていたのは、下が海ではなく湖だったことと、車という大きな荷物を持ち帰る必要があったことである。非常に情けないことであるが、私は雪月さんに駐車場まで運んでもらい、そのまま濡れた身体で気温が低い高原地帯をレンタルのカローラでかっ飛ばした。




