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雪女さんこんにちは  作者: suzumi
時は過ぎていく
33/37

 それ以降、堕落的で素晴らしい大学生活を送っていた私は、歓迎会で抱いた危機感を原動力に微かな勇気を振り絞り始める。積極的に彼女と親交を深め、夏には熱烈な告白をしてそれに成功。逢瀬を重ねて冬には前年のクリスマスのリベンジを果たすデートを行い、以後は理想的なキャンパスライフを全面的に謳歌する、ということも別になく、実際は何の進展も進歩もないまま、とうとう大学四年生にまでなってしまった。


 悲惨な事のあらましは順を追って話そう。


 二年生になった私の生活は前年をなぞるばかりで特に特筆すべきことはなかった。原口部長と彼の側近であった吉田先輩が抜けたことで部活は以前よりも随分と常識的になり、文化会と争うことも減っていった。そして私自身も少しは落ち着きを持ちつつあった。


 生活における刺激的な出来事なんぞも特になく、無理にでも一つ挙げろと言われたならば、バイト先の店長のエリアマネージャーへの昇進と、店舗自動化による人員削減が重なってアルバイトを辞めねばならなくなった、とその程度である。


 そのまま三年生になると矢田が部長になり、神崎先輩は早々に製薬会社への就職が決まった。ちょくちょくは部室に顔を出していた原口さんもめっきりと部室に来なくなって、高木さんは就職活動が難航していた。恐らくは夏に何もしていなかったのが響いたのであろう。私は彼を反面教師にしてインターンや説明会にきちんと参加しようと、真面目で平凡な決意を固め、実際その通りにやった。その頃になると、単位不足で卒業が遅れていた吉田先輩も一端のサラリーマンとなって既に大学から去っていた。


 こうなると私の生活における唯一の慰めは雪月先輩であったが、相変わらず彼女との仲は進展していなかった。俗っぽくなってしまうが、恋愛シュミレーションゲームにおいてヒロインの攻略に必須な特別なイベントが発生していないような状態が続いていた。私たちの仲良しゲージは日々貯まっていくのだが、中々その先の一歩が踏み出せなかった。


 無論、それには私の意思の弱さも大きな影響を及ぼしていた。というのも、私は自動レジならば遠慮無しに不要レシート入れにレシートを捨てることができるのに、有人レジで手渡しされてしまうと、まるで代々受け継がれてきた家宝を譲ってもらったかのように恭しく受け取ってしまうほど、意志薄弱であったのだから。


 また、彼女は大学生活を通して、夏の間だけは全くと言っていい程会えなくなってしまうのだが、これが中々寂しかった。理由を尋ねても実家に帰省するの一点張りである。それで夏になると私の飲酒量は急激に増加し、私は矢田と山崎君を連れてヤケミズ市の繁華街を飲み歩いた。勿論、就職活動がある日は飲まなかったが、その分別のつく感じが自分でも非常に悔しかった。


 三年生の夏から冬にかけてはESを書いたり、各企業のインターンシップに出かけたり、会社説明会をオンラインで受けたりと大忙しだった。哲学を更に学ぶために院進を決めた矢田は私の努力をせせら笑っていたが、彼とて学業には随分と精を出すようになっていた。気がつけば怪奇幻想部も年に何回か怪奇幻想新聞を出すだけの優等生じみた部活になってしまってしまい、部室は雑談と作業をするための溜まり場となった。そう、私達はいつしか大学生としてクソ真面目になってしまっていたのである。



 そんな中、ある日曜日である。私は雪月先輩に誘われて映画を見に行った。


「気分転換も必要でしょう」と有難い申し出であったが、見させられたのは順風満帆だったアイドルの女の子がストーカー被害をきっかけに狂っていくという内容のサイコホラー映画で、明るい気分転換には微塵もならなかった。尤もロビーに出た際の雪月先輩は満足気なホクホク顔をのぞかせていたが。


 見終えると近場のハンバーガーショップにて感想会を行った。が、ハンバーガー片手に主人公の女の子の心理を考察する雪月先輩を他所に私はげんなりとしていた。


「食べないの?」と雪月先輩は不思議そうに言ったが、よくあんな血みどろの展開の後で食欲が湧くものだ。私はストローを噛むように咥えると、ジュースばかりをごくごくと飲みながら雪月先輩の言葉を種に様々なことに思念を巡らせていた。


 例えば「売女」「強姦」「虐待死」など。例を挙げればキリがないが、私は、私の好きな人には、これらのような言葉とは出来るだけ無縁でいて欲しいと願ってしまうのだが、これは単なる傲慢か、はたまた小娘扱いのお節介になってしまうのだろうか。いずれにせよ自立した世の女性達からは非難を浴びること請け合いであろうが、これは私の本音であった。


 帰りの電車の中では雪月先輩と二人並んで黙って外の景色を眺めていたのであるが、駅を三つ過ぎた当たりで、斜向かいの男たちが雪月先輩のことを性的に批評した言葉を口にするのを聞いた。すると。私の頭は突如として熱くなった。雪月先輩の方は振り向けず、私自身は何も言われていないのに、胸が苦しくて堪らなかった。最終的にはどうしようもなく辛くなってしまい、私はその場にしゃがみ込んでしまった。


 雪月先輩に気を遣われながら次の駅で降りると、私達はホームのベンチに座り込んだ。雪月先輩は私の背中をさすってくれたが、その献身振りには男達のさっきの侮言を意に介している様子など微塵もなく、私はとめどなく涙を流してしまった。


「これは違うんです、持病の頭痛があまりに酷くて」

「大丈夫。言いたいことは分かるから」


 彼女は優しい相槌を打つと、幼い子供を宥めるみたいに私の顔を覗きこんだ。


「理由はなんだって構わないんだよ。泣いている人の隣にいることが大事なの」


 彼女はそう言って私が落ち着くまでの間、ずっと傍に寄り添っていてくれた。


 その夜である。通知音が鳴って、携帯を見ると彼女からのメッセージが届いていた。


「泣き虫。普通は私が泣くところでしょ」


 私は苦笑して、愛すべき美徳について、つくづく考えさせられた。私は「ごめんなさい」と一言だけメッセージを送信した。そして翌朝、赤面。ロマンチストは朝に弱いのである。


 それと近い冬のある日には部室で雪月先輩とこんな会話をした。


「雪月先輩は全然変わらないですね」


 私が本心から何気なく言うと、雪月先輩も何気なく言った。


「そっ? 君の方は随分、真面目になったね」

「そうですか?」

「うん、精神がずっと成熟したと思うよ。一年生の時なんか、俺は選ばれし者なんだって感じで原口くん達と肩を張って歩いていたじゃない」


 彼女は肩を上げるとそのまま腕をぷらぷらと揺らした。


「ありましたかね、そんなことも」


 私が言うと雪月先輩はくつくつと笑った。


「まぁ成長はしているんじゃない。悲しむことはないよ」

「はぁ、なんか、ありがとうございます」


 雪月先輩も以前よりはかなり真剣になっているじゃないかと思ったが、にしても私の方が遥かにつまらない大人になりつつあると思った。


「そんなもんだよ」と彼女は笑ってくれたが、私は不甲斐なさとやり切れなさで胸がいっぱいになったことを覚えている。


 その日の夜、私は矢田も誘い、三人で久しぶりに酒を飲んだ。


「ねぇ聞いてよ、矢田くん。水口くんったらこの間、私なんかのために、わざわざ泣いてくれたんだよ」


 酔っ払っているのかいないのか、全く判別の出来ない雪月先輩は一応ぐでんぐでんな調子でそう言った。


「ほう、それはどのような間抜け面で?」


 可愛くもないジト目で矢田は尋ねた。右手にはこれまた可愛くないハイボールメガジョッキ。


「それが中々可愛いんだよ。子犬、じゃなくてあれは猫だな。そう、人懐っこい感じのラグドールだ。嫌がるのは分かってるんだけど、撫でたくなるの。いや、むしろ嫌がれば嫌がるほど撫でたくなる。あれっ、こういうのもキュートアグレッションっていうのかな、どうなんだろう」

「何とも羨まけしからん話ですね。おい、当の本人はどう思っているんだ?」

「ええ?」


 私は黙ってやり過ごそうと思っていたのだが、そうは矢田が卸さないらしい。


「知らん、好き勝手に話すといいさ」

「ですって、雪月先輩。思う存分撫でてやってください」

「よし、数多の猫ちゃんを膝の上で眠らせた私の実力を見せてあげよう」

「えっ、本当にやるんですか!」


 とまぁ、時にはこのような一幕を演じるほどに仲を深めた私たちであったが、依然として関係性はただの先輩後輩だった。もはや私には持ち手が猫のしっぽになったマグカップとふわふわのバスタオルしか手元になかった。どちらも彼女から誕生日プレゼントとして頂戴したものである。この二品を胸に抱いて、私はやり切れない日々を何となく煮え切らないまま過ごした。



 四年生になって就職先が決まると、私はもう殆ど立派な社会人だと言ってよかった。社会常識と礼儀を身につけ、現実というやつにも折り合いをつけ始めていた。それには怪奇幻想部の引退も関係しているのだろう。無論、原口さんや矢田や神崎先輩などの仲が良い連中とは未だに連絡を取り合っているが、彼らもまた極めて良識的な大人になりつつあった。


「水口くんは来年から社会人になるんだもんね」

 たまたま学食で一緒になると、雪月先輩は言った。彼女も来年で除籍処分になるのだそうだ。その後どうするかについては、あまり詳しくは教えてもらえなかった。とにかく大丈夫だから心配しないで、と彼女は笑っていたが、その眼の奥に潜む悲しみや苦しみは透けて見えており、私は全く安心しきれなかった。




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