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「諸君、夏休み中に蓄えた怪奇幻想を思う存分、世間に発表してやろうじゃないか」
九月も中旬、原口部長の雑な号令から怪奇幻想新聞特別号の発刊準備がいよいよ始まった。ページ数はやはり前回よりも大増量であった。
私も講義をサボってまでして張り切って書いたのであるが、私が怪奇幻想部特別号に寄稿した文章は、構成の破格及び怪奇要素が皆無であるという元も子もない妥当な理由で呆気なく不採用となってしまった。私にしては珍しい、せっかく誰をも攻撃せぬ素晴らしい文章だったのに。
悔しいので以下に披瀝させて頂く。面倒な人は読み飛ばすと良いが、しかし私は読むことを勧めるね。だって雪月先輩は素晴らしいねと褒めてくれたのだから。彼女を少しでも知りたい人は是非これも読むべし、読むべし。
猫、それは可愛いが故に全てが許される神の如き存在である。神は威厳をもって我等に命ずるが、猫は可愛さをもって我等に命ずる。汝ら、我に食物を与えよ。汝ら、我に遊びを与えよ。汝ら、我を甘やかすがよい。それから、汝ら、我は汝らの家の共同所有者であるぞ。書面はないが、決定事項である。それに我は汝らの家の主要株主である。言うことをよく聞き、業績を最大化せよ。配当を我にまわせ。支払いはチュールとまたたびで構わんぞよと。
我ら人間、株式を発行した記憶など無いのであるが、彼らの我儘をいよいよ身悶えするほどの可愛さに即座に変換し、気づいた時には平伏して要求に従ってしまっている。社会では如何に威儀を正した人間であれ、ひとたび猫を前にしたら台無しになるのは、猫の持つ可愛さの神通力の仕業に違いない。鉄面皮で知られる氷の国の外交官も、毛繕いをする野良猫を前にすると、破顔するより他に仕方がなかった。
しかし、それもせん方ないことよ、と我等ひとたび猫を見れば、沁み入った心で首肯せざるを得ないのだ。
因みに猫の可愛さについては上記のような精神的なものと、外見上のものの二つに分けられる。どちらも神の叡智が如きであるが、今回は文章量の都合上、外見上の可愛さ美しさについてのみ、詳しく語らせて頂くこととする。
猫の外見について
猫の外見を語る上で外せないものは無数にあるが、あの宝石のような眼はまず第一に話さなければならぬ。機能性は元より、自在に収縮する黒目は、ある時は可愛く、ある時は凛々しく輝き、我らに決して退屈を与えない。獲物を捉えるために発達した瞳を可愛さの演出に応用してしまうのであるから、ああ恐ろしい。
次にあの愛らしき首元についてもも話さなければならぬであろう。ふわふわとしたあの胸毛、暖かなあの喉元。人間の手でなぞることが許されたなら、我々は天にも登る至福を感ずる。そうして猫が目を細めてくれた暁にはいよいよ昇天の一刻である。我々はペットとして猫を愛撫しているつもりが、むしろ猫たちに懐柔されてしまったのが綿々と続く世界史における本当の事実である。
更に、あの「人」の字に似た口元の曲線美についても我々は語らねばなるまい。人智の極みを尽くした技術者共も、天稟に恵まれた芸術家達も、未だ到達の叶わぬあの美線。折り隠された柔らかさを湛え、秘密の花園には白い刃を光らせている。無策っぽく、しかしよく見ると理知的なあの神秘! 肉食の機能美が隠された愛おしい天使の口はまさに神の御業である。(中略)
国有数の美女たちでさえ、猫と比べてしまえば、可愛さ、美しさの点において一籌を輸するより外はない。彼女らのジェラシーを涼しい眼で受け流しながら、猫たちは高い場所で呑気に構えて、気品に満ちた毛繕いをしている。
我等は猫を愛す。猫は我等を愛している、かまでは分からない。少なくとも好意的ではある。そこに猫のミステリアスな神秘がある。単なる動物で終わらない秘めたる宝石の美しさがある。猫は我らの主人でもなければ、下僕でもない。親でも子供でも友人でも恋人でもない。我らの関係は非常に曖昧で揺らめいている。だからこそ美しく価値があるのだ。猫万歳!
若干パッションに寄りすぎているが、今見ても惚れ惚れとする名文で、長すぎて中略されてしまったのだけが残念だ。私が部長となった暁にはこの文章をもう一度掘り起こして、怪奇幻想新聞の第一ページを飾ってやろうと企んでいる。
ちなみに単純な記事としての評価は、原口部長以外からもぼろぼろだった。とりわけ神崎先輩からは「文章まで独りよがりなのね」と今世紀最大の打撃を受けた。恐ろしいのは何も原口部長ばかりではなかったのだ。
やがて完成した怪奇幻想新聞は校内の至る所にばら撒かれ、良く言えば皆から数多の反響があり、悪く言えばかなりの迷惑扱いを受けた。殊に学園祭においては原口部長達が独自調査した文化会連中のスクープ記事が追加で掲載されたことも相まって、賛否の入り交じった非常に混沌とした多大なる反響があった。無論、後で方々から非常に厳しいお叱りを受け、私や神崎先輩からすれば、とんだ巻き添えではあったのだが。




