第27話 魔王と英雄【インウィディア・ユグルタの追憶】
転機が訪れたのは、それから1年後のことだった。
私とディアナは寝食を共にし、果てのない旅を続けていた。
強くなっていく魔物に対抗するため、肩を並べて鍛錬し、互いの技をぶつけ合った。
ディアナの技は体の柔軟性を活かした鋭くも靭やかな急所への一点攻撃。
私の剛拳とは大きく異なる進化を遂げており、私自身非常に勉強させられた。
だがこの頃から、ディアナは時折ぼーっとすることが増えていた。
「ディアナ……? 味見しないのか?」
「……え? あらやだ。私ったら考え事してて」
「皿を持ったまま固まるほど、気がかりなことがあるのか?」
「うーん、なんだったっけ。忘れちゃった」
「おいおい、さっきまで考えてたことだぞ?」
私はまっ先に彼女の頭を心配した。
完治していたとはいえ、ストロベリーブロンドの髪をかきあげれば痛々しい傷跡は残っている。
「今日の鍛錬はやめておいたほうがいいのではないか?」
「ううん、平気。新しい技を思いついたの。早く試したいから、付き合って」
「だが、なにかあったら……」
「私が大丈夫って言ったら大丈夫なの。身体のことは1番わかってるから」
「そうか……」
私はこの時、胸騒ぎがした。
ディアナがどこか遠いところへ行ってしまう。
そんな気がしてならなかった。
だからだろうか。柄にもなく私が彼女に向かって、好意を伝えたのは。
「ディアナ。君は強くなった。あらゆる面で、な。私は、そんなディアナの強さに、いつの間にか惹かれてしまっていた」
「私の、強さに?」
「そうだ。とは言っても、ディアナは強くなる前から、ずっと強かったよ。私よりも、ずっと」
不器用な私は、照れもあり、そんな言葉でしか自分の愛を表現できなかった。
恥ずかしくて彼女の顔すら見られなかったよ。
ディアナはその後、ずっと黙ったままだった。
ちゃんと伝わったのだろうかとも思ったが、長い時間を共にした仲だ。
その意味がわからないなんてことは、ないだろう、と。
最初で最後の、私の告白だった。
それから数日後。
ディアナは、私の前から姿を消した。
朝起きると、隣の毛布が冷たくなっていた。
私は飛び起き、周囲を探し回った。
だがどんなに探しても、近くの村へ尋ねて回っても、彼女を見たものすらいなかった。
あれは、応えた。
せめて一言なにか残してくれればよかったのだ。
「もう、ついて行けない」
「毎日野宿の生活に飽きた」
「ユグルタの気持ちには応えられない」
そんな書き置きがあるんじゃないかと、彼女の荷物を何度もひっくり返した。
そう。ディアナは荷物さえ持たずに、姿を消したのだ。
その時の私には、何が起こったのか理解できなかった。
それからというもの、私は寝ることも食べることも忘れて各地をさまよい歩いたよ。
彼女に似た姿を見れば駆け寄り、声をかけて回った。
水浴びもしておらず、ヒゲも剃っていなかったから、酷い見た目だっただろう。
今考えれば完全に不審極まりない。
半年、いや数年だろうか。その頃の記憶は曖昧でよく覚えていない。
だがある時、そんな私に声をかけてくる男がいた。
「あなたはもしや、ユグルタ様ではないですか……?」
「……誰だ。私は忙しい要件があるならさっさと言え」
「私です。私ですよ、覚えていませんか?」
男は汚れにまみれた私を気にもせず、顔を近づけ耳打ちしてくる。
「王政を終わらせる戦いに参じた、ミゲルです」
その言葉を聞いた瞬間を、私は今でも覚えている。
体中の細胞が震え、冷え切った心臓に火がついたようだった。
記憶の彼方へと押し込んでいたあの戦いが、一気にフラッシュバックした。
「旅に出たとは聞いていましたが、そのご様子、何があったのですか……?」
私はディアナ失踪後、肌見放さず持っていた酒瓶を手放し、ミゲルの手を取った。
口をついて出てきたのは、革命を起こした男には似つかわしくない、惨めな願いだけだった。
「ディアナが……ディアナがいないんだ。誰でもいい。頼む、探してくれ。私は、私は……彼女のことを……うぅっ……」
大の大人が、大衆の往来もある中でボロボロと涙を流したよ。
情けなかった。悔しかった。未練がましかった。
だがそれでも私は、私という人間は。
たった1度、それだけでいいから、彼女に、ディアナに会いたかったのだ。
「……探しましょう」
ミゲルはそれ以外何も言わず、私を抱きしめてくれた。
あのときほど、人の暖かさが心強いと感じたことはなかった。
程なくして、私は身の回りを整え、小さな集団の長となる。
メンバーはミゲルを含めた十数名。
いずれも共に戦ったかつての仲間だった。
あの戦い以降、隠れていたもの、顔を変えていたもの、名前を偽っていたものなど曲者揃いだったが、強い信頼で結ばれていた。
なにも持っていない私のために、かつて途方もない夢を見せてくれたというだけで、ディアナの捜索に手を上げてくれたのだ。
人探しという小さなクエストのみを目的とした、意思をともにする小さな集団ができ上がった瞬間だった。
ディアナの手がかりは依然見つからなかったが、少し前の私ほど自暴自棄になることはなかった。
共に労い、励ましてくれる仲間がいたからだ。
それから数年が経った頃だった。
今まで見たこともないほど強大な力を持つ魔物が現れたという噂を聞いたのは。
「マスター、東の地より良くない噂が」
「ああ、私も聞いている。恐ろしく強い魔物が現れたらしいな」
「ええ。その魔物は2枚貝のような見た目で、長い触手を振り回し周辺地域に甚大な被害をもたらしているとのことです」
「何だその姿は。今まで見たことも聞いたこともない魔物だ」
「ええ、魔物の代名詞とも言える双鼻獣や槍角牛、土竜王を遥かに凌ぐ強さらしいです」
「ふむ。そうだな……」
私はメンバーを見渡した。
反乱から時が経っているとはいえ、私を含め多くが武に秀でる者ばかり。
小さな集落の自警団どころか、旧王都の小隊にも勝る戦力だった。
「ふっ、ここで引けば、ディアナに呆れられるな……」
この頃の私達といえば、なかなか見つからないディアナ捜索は形骸化しており、メンバーは活動資金のためもあってか人助けや傭兵のような仕事を請け負っていた。
だが私は決して諦めてはいなかった。
「強き者は互いに惹かれ合うというもの。もしかすると、その魔物の近くにディアナが……」
そんな微かな希望を胸に、私達は武器をかき集めてその魔物のもとへと向かった。
魔物は……恐ろしく強かった。
拳でも槌でも割れぬ鉄壁の防御。
僅かな隙間から伸びる触手は人体を軽々と引き裂く。
この私ですら、個で相対すれば守りに徹する他なかっただろう。
「ユグルタ、今だッ!」
「魔物め、これでも喰らえッ!」
仲間たちは屍を積み上げながらも貝の隙間に武器を差し込み続け、最後に私が爆弾を投げ込むことで辛くも勝利を収めることに成功した。
結局ディアナがその場に現れることはなかったが、人々は私のことを英雄だと持て囃し、担ぎ上げた。
団員への加入申請が後を絶たず、私は組織をよりしっかりしたものへ作り直すことを余儀なくされた。
集まってきたのは若い自警団や魔物に親族を殺されたものに留まらず、販路の安全を求める商人、素材の収集を旨とする製造者、資源を持続可能な状態で管理したい敬虔な自然崇拝者たちなど、多岐に及んだ。
やがてそれぞれが各団体の長となり、私を中心とした巨大な商工会集団が形成されるに至る。
「あのっ、ユグルタさん……ですよね?」
「……そうだが」
貝の魔物を倒した直後の宴で、私に声をかけてきた女性がいた。
聞けば、貝の魔物に故郷を滅ぼされた部族の生き残りだという。
戦闘の際、自ら手を上げて後援部隊で支援にあたってくれていたらしい。
確か、褐色の肌に灰色の瞳の女性だった、気がする。
「故郷をめちゃくちゃにしたあの魔物を倒してくれてありがとうございます。その勇敢さ、強さに感激しました。私の部族では、一番強い戦士と子をなすのが習わしです。ですから、その……好きです! お付き合いさせてください!」
頭を下げる彼女には申し訳なかったが、私の心は微塵も動かなかった。
ちょうどディアナとの日々を思い返しながら、酒を煽っていたのもあるかも知れない。
勢いに任せて、私は言い放った。
「私は、君を知らない。私は……強い者にしか、興味がない」
「わ、私もそこそこ戦えます! 訓練すれば……!」
「2度は言わない。私の目の前から消えてくれ。酒が不味くなる」
彼女の絶望的な表情だけは、なぜか覚えている。
今では悪いことをしたと思っているよ。
だが、突然現れて好意を向けられるこちらのことも考えて欲しい。
たとえどれほどの時が過ぎようとも、どれだけ魅力的な女性が現れようとも関係なかった。
私をどん底の闇から救ってくれた、あの日々ほど美しく、大切なものなど存在しない。
それは今に至るまで変わらぬ思いだ。
ディアナ捜索のクエストは、ずっとクエストリストNo.1に残り続けている。
100年以上の時が経ち、たとえ彼女が老い墓に入っていても構わない。
どんな形であれ、私は彼女に会いたいのだ。
それは魔物の強化と同時に現れ始めた強い力を持つ者たち、今では冒険者と呼ばれる存在がギルドの象徴となっても変わらない。
繰り返し現れる途方もない強さを持つ異常個体、今では魔王と名付けられたそれを打ち砕きながら、私は前に進み続けた。
そんな中、私はある真実へとたどり着く。
「ギルドマスター、これは……」
「あれほどまで強い、英雄と持て囃されたリーシャが、襲われた……だと?」
あまりにも不可解な事件だった。
リーシャは冒険者の中でもとりわけ強く、いや、強すぎた。
岩を砕き、川を割るほどの戦いぶりは直接見なければ眉唾だと信じられないほどだった。
なのに、だ。
リーシャはいとも容易く、連れ去られていた。
彼女の住む家屋は全壊し、周囲の建物も半壊状態。
それは森に向かって続いていた。
消えた女性。
直前まで普段通りだった生活。
それだけで、私の胸に途方もない憤怒が燃え盛ったのは、言うまでもない。
ディアナの失踪と、状況が似ていたからだ。
それからというもの、私は英雄の動きに目を光らせるようになった。
かつてのメンバーに黒装束を着せ、ギルドの裏部隊とし、諜報を続けた。
そして遂に、主犯と相対する時が来た。
「お前は、まさか……あの時の……っ!」
そう。
私が王都の地下から逃がしてしまった、精霊インウィディア。
それこそが、ディアナやかつての英雄たちを攫い続けた、透明な魔物だったのだ。




