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第23話 紫草に降る雨【インウィディア・廃墟城塞】

「わ、すごい草……」


 要塞の中は外と同じく、緑に溢れていた。

 仮面の集団が手分けして草を剣で刈り取っていく。

 地下に続いているであろう階段は水没していて、内壁はところどころ崩れていた。

 視界が開けてくると食堂や宿舎、貯蔵庫に使われていたであろう建物が現れ、中央には貯水池が配置されている。

 

「へぇ。国境付近の駐屯地って感じだな」

「見ただけでわかるの? アーヴィ」

「ああ。かなり原始的だが、だいたい要塞ってのは似たり寄ったりだ」

「ふーん。あ! 見てアーヴィ! ほらあそこ、壁にでっかいキノコ生えてる!」

「……緊張感の欠片もねぇな」


 リメアたちは除草作業が終わるまで、歩ける範囲を散策する。

 水草が浮かぶ貯水池を覗き込み、目を凝らすリメア。

 

「……お魚、いないね」

「いるわけねぇだろ。どっから湧いてくるんだよ」

「た、確かに!」

「そもそもこの星は海もなけりゃ川もねぇ。店で魚を見たことあるか?」

「言われてみれば……ない、かも。そっかぁ、この星では沢遊びできないんだね……。あ、でも、池遊びはできるからいっか!」

「頼むからこんなところで泳ぐなよ」

「ぶー、違うよ。もっと大きな池だよ。レインウッドの周りとか、あんまり深くなくて水遊びにぴったりなんだよ」

「まるで遊んだことあるみたいな口ぶりだな」

「あー……、えっと、気のせい! あはは……」


 そうやって時間を潰していると、仮面を付けた黒装束がふたりのもとへ近づいてきた。

 他の黒装束に比べ、やや腰が曲がっている。


「お部屋の準備ができましたぞ」

「……?」


 リメアは首を傾げる。どこかで聞いたことのある声だ。


「あなた、どこかでわたしと会ったことない……ですか?」

「はて、どうでしょう」


 そんなやり取りを傍から見ていたアーヴィは、突然大声を上げた。


「あ゛ーっ! こいつ、知ってるぞ! おい爺さん、下手な演技はやめろ!」


 すると黒装束は徐ろに仮面へ手を伸ばし、少しだけ素顔を陽の下にさらす。

 その横顔はかつてパリオネと共に旅をしたときの、御者と同じだった。

 

「御者のお爺さんだ! こんなとこで会うなんて! 久しぶり!」


 知り合いだとわかった瞬間、リメアの顔がぱぁっと明るくなる。

 御者もリメアを見て、懐かしそうに微笑んだ。


「えぇ、ご無沙汰しております。お噂はかねがね聞いておりますよ」

「お噂、だと?」


 アーヴィがピクリと眉を上げる。


「ええ。それがどうかされましたかな?」

「~~っ!!」


 アーヴィは髪を掻きむしりながら地団駄を踏んだ。


「くっそぉ、やけに情報が筒抜けだと思ったら……!」

「ど、どゆこと?」

「リメアもユグルタから聞いただろ? こいつらはギルドの裏組織だ。俺達のことを、いや。ギルドはこいつらを市民に紛れ込ませて、監視してたんだよ」

「え、そうなの? おじいさん?」

「さて、なんのことでしょうか。私は何も知りませんぞ、アーヴィ殿。セクスタニルの乳が苦手なことなぞ、特に知りませぬ」

「か~っ! いい性格してやがるぜ! まったくよ!」

「何の話? アーヴィ、あのミルク飲めないの?」

「ミルクの話はどうっでもいいんだよっ!!」

「好き嫌いはいけませぬぞ」

「うるせぇジジイ!!」


 お爺さんは仮面をもとに戻し、ほっほっほ、と愉快そうに笑いながらついて来るよう促した。

 リメアはアーヴィの弱点を見つけたことにニマニマ笑みを浮かべ、アーヴィはそれ感じ取ったのかより一層不機嫌になった。

 通された城壁の内側の通路は、じめっとしていて薄暗い。

 階段を上りしばらく進むと、側防塔のひとつへとたどり着いた。


「ロトンダ殿、入りますぞ」


 簡易的に設けられた布の仕切りをめくり、塔の内部へと入っていく。

 内側はがらんとしていて何もなく、上へと続く螺旋回廊が円塔の側面に建てつけられていた。

 3人は縦1列になり、塔を登っていく。

 たどり着いた先の跳ね上げ戸を持ち上げると、ロトンダが待っていた。


「遅かったね。もうあらかた片付けちまったよ」


 見れば、簡易的な寝床が2つ用意されていている。

 もともとあったのか、ホコリまみれの棚やテーブル、椅子が部屋の脇へ寄せられていた。


「女性のお二方はこちらでお休みになられて下され」

「え! わたし、ロトンダと一緒のお部屋でいいの?」

「なに? あたいと一緒じゃいやだってのかい?」

「ううん、嬉しい! 知らない人よりもロトンダと同じ部屋のほうが安心できるもん!」


 リメアはニコニコの笑顔になった。

 それを見届けたお爺さんは、コホン、と小さく咳払いをした後で、「大事なお話があります」と続けた。


「ロトンダ様はこれから我々が透明な魔物と呼ぶ存在が現れるまで、こちらの部屋のみで生活して頂きます。今までの記録から、期間はおおよそ一月から三月ほどかと」

「……もうちょっと飾りっ気のある部屋だと良かったけど、贅沢は言えないね」

「心中お察ししますが、それもこれも、透明な魔物を討伐するため。どうかご辛抱を」

「構わないさ。こちとら命がかかってるからね。ま、住めば都とはよく言ったもんさ」

「ディア様は出入り自由ですが、入眠の際はこちらで。普段は私どもと共に見張りの任務をこなして頂きます」

「うん、わかった。ロトンダ、いっぱいお話しようね!」

「そうしてくれると助かるよ。食事もここで取らないといけないのかい?」

「もちろんです。お手洗いも、あちらに」


 全員が目を向けた先には、塔の外壁から飛び出した小さな小部屋があった。

 ロトンダが顔をしかめる。


「ガルデローブと言いまして、こういった城塞では一般的です。なんと言いますか、中に入ると座る場所に穴が空いていて……」

「あー、もう言わなくていい。だいたい想像はついたよ。……絶対に下から覗くんじゃないよ」

「もちろんですとも」


 興味を持ったリメアが中を除いてみると、お爺さんの言う通り石造りの便座の間にぽっかり穴が空いている。

 覗き込むと城壁の外壁と茂みが見えた。


「ロトンダ! すごい、ここ丸見えだよ!」


 それを聞いたロトンダは大きなため息をつく。


「……絶対に下から覗くんじゃないよ」

「も、もちろんですとも」


 気迫に圧されながら、お爺さんは大きく頷いた。

 退屈そうに耳の後ろを掻いていたアーヴィが尋ねる。


「で? 爺さん、俺はどうすりゃいいんだ?」

「アーヴィ殿は私どもと一緒に、宿舎で寝泊まりしますぞ。これからご案内いたします」

「チッ」


 アーヴィは不愉快そうに舌打ちをしながら、お爺さんに続いて部屋を後にした。

 残されたリメアたちはその日、寝る場所をどちらにするかや、家具の配置をどうするかなどを楽しく話し合いながら過ごした。

 部屋割りがきまってからというもの、城塞では何事もない日々が続いた。

 変わったことと言えば、城塞で見張りをしていたときに起きた小さな事件ぐらいだった。

 リメアは城壁の上から青みがかった木の実を見つけ、はしゃいで取りに行った。

 木をよじ登りもぎ取った実の皮を剥いてみると、以前食べたことのある露草色の果肉が現れた。

 リメアはこのフルーツがお気に入りだったので大変満足していると、ちょうど顔を上げた際、例のトイレの穴越しにロトンダとバッチリ目があってしまった。

 塔の部屋に戻ると烈火のごとく怒られ、フルーツ採取はロトンダに事前告知が必須となった。

 それから数日が過ぎたある日のこと。

 暇を持て余したアーヴィはナイフで木を削り、チェス盤を完成させた。


「さすが、マメ男……!」

「誰が豆だと? この背丈のことバカにしてんのか?」

「ち、違うよ、手先が器用だなって」


 そう褒めると、アーヴィはちょっぴり照れながら鼻をこする。


「そうか? まあ、これぐらい大したことねぇけどな。強いて言うならば、駒の塗装はこだわりのポイントだな。ウルシ科の植物由来の成分で3度も重ね塗りした」

「よくわかんないけど、すごい!」


 チェス盤の噂は瞬く間に広がり、非番の黒装束の間でトーナメントが開かれるほど盛況となった。

 結果、あのお爺さんが見事勝利を掴み取ることとなる。

 製作者のアーヴィと途中参戦したユグルタはシード権があったにも関わらず、あえなく敗退。

 実際の戦略とは異なるとか、奇襲を想定してないとかごちゃごちゃうるさかったので、両者を戦わせてみたところ、僅差でユグルタの勝利に終わる。


「ケッ、チェスなんて2度とやるか。こんな小さな戦いを俺は望んじゃいねぇ。こちとら宇宙規模で戦ってんだ!」


 アーヴィはへそを曲げてしまい、以降リメアがどれだけ誘っても黒装束たちとチェスで遊ぶことを拒否し続けた。


「ってことがあってね!」

「あっはっはっは! あの坊主、かわいいところあるじゃない、はー笑った!」

 

 と、そのアーヴィを肴に夜な夜な盛り上がる女性ふたり。


「にしても、そんなに面白いのかい? そのチェスってやつは」

「っ! ロトンダも、チェスやってみたいの!?」

「ま、まあね。こんだけ話ばっかり聞いてたら、やりたくもなってくるだろ?」

「うんうん、ちょうどみんなも飽きてきた頃だし、チェス借りてくるね! あ、でもどうしよう。ロトンダは誰と対戦すれば……」

「あんたじゃだめなのかい?」

「わ、わたしは……えへへ、べ、別の人がいいと思うな~」

 

 リメアは古今東西のあらゆるゲームをすでに宇宙船で極め尽くしていた。

 優勝したお爺さんの手も完全に読めていたため、この城塞では誰が相手だろうとワンサイドゲームで終わってしまう。

 それゆえルールが分からないふりをして観戦に終始していたのだ。

 その嘘がバレてしまうので、ロトンダにチェスを教えるわけにはいかなかった。


「そ、それならさ……」


 モジモジしながらロトンダが口にした名前を聞き、リメアはぽんと手を打った。

 確かに彼であれば、皆が見張りをしている間も手が空いているし、実力もそこそこある。

 その日のうちにチェス盤はリメアたちの部屋に置かれ、リメアの必死の説得によりユグルタが指導教官に就任した。

 それからというもの、毎日のようにユグルタは部屋を訪れ、初心者のロトンダに手ほどきをすることとなる。

 暇を持て余していたロトンダは大いに喜んだ。

 リメアにとっても、それは同じだった。

 部屋に戻りロトンダから今日学んだこと、ユグルタの戦術やロトンダの敗因を分析するのが日々の楽しみとなった。

 さりげないリメアのアドバイスも功を奏し、少しづつロトンダは強くなっていった。勝利報告を受ける日も徐々に増えつつあった。

 リメアが帰ってくるまで対局していた日には、ついにユグルタまでもがリメアに頭を垂れる。


「ロトンダの成長速度が早すぎるのだ。私の教えていない戦術も編み出している。なにか理由を知っているか?」

「ん~、秘密!」


 そんなささやかな日々が続いていたが、ある日を境にロトンダは体調を崩してしまい、寝込む日が増えていく。

 軟禁生活が体に合わなかったのか、「英雄でもウィルスには勝てないんだねぇ」なんてぼやいていた。

 薬を旧王都まで取りに行かせるか、と議論になったが、ロトンダは自分が一番詳しいと譲らない。

 リメアに森で材料を集めるように指示を出し、ロトンダ自ら薬を調合して飲む毎日が続いた。


 そんな、ある日のことだった。

 リメアが見張りから戻り、通路を抜けて塔に入ろうとすると、ちょうどユグルタが中から出てきた。

 いつものチェスかな、とすれ違ったリメアだったが、ユグルタの表情に引っかかりを覚える。

 眉間にシワを寄せ、どこかやるせなさを滲ませたような顔つきだった。


「……? どうしたのかな」


 リメアは階段を上っていき、跳ね上げ戸に手を添えたところでハッとした。

 中からすすり泣く声が聞こえてくる。


「ろ、ロトンダ、大丈夫!?」

 

 中へ飛び込むとチェスを前に座ったままだったロトンダは驚いた顔で振り返ったものの、すぐさま顔を背け、慌てて涙を拭った。

 

「な、なんでもないよ」


 そう言いながらこちらへ顔を向けぎこちない笑顔を浮かべるも、彼女の目元はすぐに潤んでいく。


「ロトンダ……」


 言葉に詰まったリメアの脳裏に、魔王討伐を果たした夜がよぎった。

 好きな人ができた、と唐突に教えてくれたロトンダ。あの時は英雄の話が衝撃的すぎてそれどこれではなかった。

 しかし確かにあの時、ロトンダは名前さえ言わなかったものの、ほぼ特定の人物への恋心を語っていた。

 自分を初めて守ると言ってくれた人、だ。

 それに加えて城塞に着いたときの不自然な態度やチェスの相手にユグルタを指名し続けた理由。

 それらをつなげてみると、ごくごく簡単な話だった。

 

(そっか、そうだったんだ……。ロトンダの好きな人って……)

 

 あまりの鈍感さにリメアは自らを呪った。

 立て続けに環境が変わり気にしている余裕はなかった、という言い訳をぐっと心の奥底へと沈める。

 そんなことより涙ぐむロトンダへなにか言葉をかけねばと、ぐるぐる思考だけが空回りしていた。

 目の前で薄紫色の頭が俯き、ウェーブがかった髪の毛が力なく揺れる。

 

「あたいじゃ、ダメだったみたいだね……」

「そんなことない! ロトンダはすごくいい人だよ! 最初はちょっと怖かったけど、ずっとカリネのこと忘れずに気にかけてくれたし、わたしにもいつも優しくしてくれるし! きっともっとちゃんとお話して、時間をかければ、ユグルタも……ユグルタもわかってくれるよ!」


 しかし、ロトンダは下を向いたまま首を横に振る。


「いいや、そういう問題じゃないよ。……そういう問題じゃない。あの人はあたいの目の前で、きっぱりと断ったんだ」

「そんな……」

「はぁ、短い夢だったねぇ。でも、悪い夢じゃなかったよ。このあたいが、今まで散々鼻で笑ってた純情な乙女みたいに胸を踊らせて。チェスの駒の配置なんて、何回対局しても頭に入ってこなかったよ。見てたのは、あの人の真剣そうな顔だけさね。まったく、恥ずかしいったらありゃしない。ありゃ、しないよ……」


 ロトンダはリメアに背を向け、テーブルのチェス盤にそっと指で触れる。

 対局の途中だったのか、チェスの駒は板の上にまばらに配置されていた。

 ロトンダはそれらを、無言で元の位置へと戻していく。

 コトリ、コトリと小さく木の音を鳴らしながら。

 やがて綺麗さっぱり初期配置に戻ったチェス盤の上に、透き通った涙が滴り落ちる。


「同居人にこんな事言うのは忍びないけどさ、少し、外してくれないかい。少し、少しだけでいい。あたいを、ひとりにしておくれ」

「……ごめん」

「あんたが謝ることじゃないんだよ。よくある話さ。そう、よくある話、だよ……」


 リメアは後ろ髪を引かれる思いで跳ね上げ戸をめくり、部屋を出る。

 閉じかけた戸の間から、テーブルへ覆いかぶさるように背中を丸め、震えるロトンダが見えた。

 押し殺し切れなかった、嗚咽と共に。

 

「…………」


 リメアはそっと戸を閉め、俯いたまま階段を降り始める。

 途中で振り返って見上げてみたものの、どうすることもできず、結局そのまま階段の下まで降りてきてしまった。

 その日は次の見張りの時間が来るまで、塔の下の階で膝を抱えたまま過ごした。

 いつ戻ればいいのか、戻ったとしてもどう慰めてあげればいいのか。

 恋なんてしたことのないリメアには、考えても考えても、わからなかった。


 翌日見張りを終えて恐る恐る部屋へと戻ると、ロトンダはいつもの笑顔を取り戻していた。

 しきりにあの時のことを謝るロトンダの様子を見て、リメアは内心ホッとする。

 それからというもの、リメアとロトンダは部屋の片隅に寄せられたテーブルをあまり視界に入れないように生活した。

 他にも使えるテーブルはあったので、食事の際に特段困ることはなかった。

 数週間が過ぎ、ロトンダが眠りについた後で、リメアはチェス盤に近づいてみる。

 うっすらとホコリが積もったチェス盤には、いつもと同じように駒が横一列に並んでいる。

 木彫りの兵たちが楽しげに剣を交えていた戦場を静かに眺めていると、切ない気持ちに襲われた。

 あの日を境に、ユグルタが塔を訪れる日は、二度と来なかった。

 

 そしてついに、城塞で暮らし始めて3ヶ月が経過し、3つの月が新月となる――この星で最も暗い夜がやってきた。


「各自、注意を怠るな。できる限り多く火を焚き、襲撃に備えよ!」


 ユグルタの指示のもと、この日は夜通し透明な魔物を警戒することとなった。

 城塞全体を緊張した空気が覆い尽くし、篝火が周囲一帯に配置される。

 リメアとアーヴィも、それぞれ持ち場に付きなにか異変がないかと周囲を伺う。

 雨が、降り始めた。

 この城塞において雨自体は特段珍しいものでもなかった。

 ただ暗闇の中、しとしとと降る雨はひどく不気味に感じられた。

 リメアは一抹の不安にかられながらも、じっと森の木々の間へと目を凝らし続ける。

 すると、城壁の反対側で声が上がった。


「おい、あそこになにかいるぞ!」


 耳をすませば、メキメキと木を押し倒す音が聞こえてくる。

 焦燥感に襲われる中、リメアのもとへ黒装束の一人が駆けつけた。


「ディア様、ここは私が見張ります! ロトンダ様が動けぬ今、最高戦力のあなたが頼りです! 今すぐに反対側の城壁へ!」

「うんっ!」


 リメアは城壁内部の通路を駆け抜け中庭に出ると、そのまま反対側の城壁へと飛び移る。

 驚く黒装束たちを横目に、縁の凸凹した鋸壁へ張り付いた。

 壁の下には篝火が集められ、照らされた森の木々が闇に浮かび上がっている。

 ズシン、ズシンとリメアのところまで足音が聞こえてきた。

 森全体が揺れているようだった。


「……来る!」


 リメアがそう口走った直後、目の前の木がなぎ倒される。

 その後ろから現れたのは――通常の個体よりもふたまわりほど大きな、デュオナッソだった。


「あ、あれが透明な魔物なの?」


 近くの黒装束へ尋ねると、仮面は横に揺れた。


「い、いえ、違います! あれはただの双鼻獣(デュオナッソ)です。透明な魔物は、もっと大きくて……」

「――っ!?」

 

 黒装束が続きを口にしようとした時、リメアは周囲のエーテルに異変を感じ取る。

 ほぼ時を同じくして、背後から腹の底まで震えるような地響きが聞こえてくる。


「今度はなにっ!?」


 振り返った瞬間、リメアの瞳は《《それ》》を捉えた。

 雨の中明かりに照らし出された、城壁を優に超える水のように透き通った巨体。

 踏み潰されたいくつもの篝火から泡がボコボコと生まれ魔物の体内を上っていく。

 その先に、見覚えのある女性が、浮かんでいた。

 薄紫色の髪に、褐色のドクターコート。

 見間違えるはずはない。

 思わず、叫び声を上げた。


「ロトンダ!!」

 

 倒れた篝火の松明と半壊した塔の瓦礫が、そこら中に散らばっていた。

 中庭に飛び降りたリメアは、貯水池を隔てて透明な魔物を見上げて構える。

 ワンピースが雨に濡れベッタリと背中に張り付いていた。

 透明な魔物はまるで鼓動しているかのように膨張と収縮を続けている。

 ロトンダは気絶しているのか、目を閉じたまま動かない。

 リメアは拳を握りしめ、雨音に負けないよう声を張り上げる。


「ロトンダを――返してッ!!」

 

 波紋が繰り返し広がる池の水面には、ひび割れたチェス盤が静かに揺れていた。

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