10
騎士二人に両脇から腕を掴まれ、ほとんど引きずられるようにしてエインズ伯爵が入ってきた。
……えーと、えーと……アルファベットじゃなくて……そう、アルフレッド様!さすが淑女。ちゃんと覚えてる!
「貴様!俺の婚約者でありながら、男に抱かれているとはどういうことだ!」
名前を思い出そうと必死になっていると、アルフレッド様が兄に抱っこされたままの私を見て、騎士たちを振り切って掴みかかろうと腕を伸ばした。
騎士の人たち!ちゃんと掴んでてよ!
私が思わず目を瞑りそうになった瞬間、兄は軽やかに後ろへ飛び退いた。ダンスを踊るようにターンを決め、アルフレッド様から距離を取る。
「あぁ……すみません、レイラ。チェリーが傾いてしまいましたね。私としたことが。後で直しましょう。」
兄はアルフレッド様などいないかのように私に顔を向けたまま。ちらりとプリンアラモードを見て、少し悲しげに眉をひそめた。
「取り押さえろ!」
フィリップ様の怒号で、騎士二人が同時にアルフレッド様を床に押し倒した。
「やれやれ、ここがどこだか忘れたのかな?女性に手をあげようとするなど、紳士の風上にも置けないねぇ。」
公爵様が床のアルフレッド様の顔のすぐ近くまで歩み寄ると、つま先が鼻に当たりそうなほど近い場所で立ち止まって見下ろした。
うわぁ屈辱的……絶対わざとだ。
「レイラ!セレスティン!」
「お父様!」
呼ばれて開かれたままの扉へ目を向ければ、廊下からお父様が飛び込んできた。今の一部始終を見ていたのだろう。青ざめた顔で私と兄の前まで来ると、上から下まで確認するように視線を行ったり来たりさせている。
「二人とも大丈夫かい?!怪我は?!レイラはなぜ抱き上げられているんだ?!足を挫きでもしたのか?!早く冷やさないと!」
「お父様、大丈夫だから。兄さんが守ってくれたから、なんともないよ。見て、プリンアラモードも無事。」
手の中のプリンアラモードを、お父様の目線まで持ち上げる。
「お義父様、レイラはしっかりプリンアラモードを守ってくれています。そしてレイラも傷一つありません。安心してください。」
「え?プリン?そ、そうか。二人とも無事ならいいんだ。セレスティン、レイラとプリン…アラモードを守ってくれてありがとう……ん?いいのかな?」
お父様が納得しそうになって首を傾げている。これで一安心と家族団欒になりかけた時だった。
「いいわけあるか!なんでここにプリンアラモードがあるんだ!どう考えたっておかしいだろう!離せ!公爵様!なぜ俺はこのような仕打ちを受けているのですか!彼女は俺の結婚相手なんですよ!不貞もいいとこだ!怒って当然でしょう!」
床に押し付けられたまま、顔だけ上げてアルフレッド様が叫ぶ。しかしどんなに暴れようとしても、屈強な騎士二人に押さえられてたら抜け出すことなんてできない。
「ふむふむ。だ、そうだ。レイラ嬢。彼の言い分を聞く限りでは君は兄とはいえ、婚約者以外の男に身を委ねていることになるが。君の言い分はあるのかな?」
公爵様がアルフレッド様の前で、幼い子がアリの行列を観察するように膝を抱えてしゃがみこむ。
視線はアルフレッド様に向けられたまま。
仕草は子供っぽいのに、口調がやけに穏やかで底知れない何かを感じる。
「えーと、そもそも婚約者じゃないです。」
「は?」
「……あー…」
「だよね。」
「セレスティン、レイラを降ろしたらどうだい?怪我もしていないし、腕も疲れるだろう?」
「……はい。」
私の言葉を皮切りに、アルフレッド様、フィリップ様、公爵様、お父様、兄さんの順で次々と声が上がる。我が家だけおかしいのはご愛嬌。
「フィリップ様に説明しましたけれど、私はフルーツタルトを食べただけです。一応婚約者候補ではありましたが、ある事情でその話は流れています。家同士の約束もありません。」
兄に降ろされながら、簡単に説明する。
兄がちょんとプリンアラモードのチェリーの角度を指先で直すのを見て、なんだか嬉しくなってしまった。
チェリーの傾き、そんなに気になってたんだ。私を降ろすのは不服だけど、チェリーは直せたので良しとするって顔。もう、そんな場合じゃないのに兄さんたら。
兄とにこにこ笑いあっていたら、公爵様が立ち上がって執務机から書状を取り出した。
「さて、アルフレッド君。ここに一枚の書状がある。君はこれに見覚えがあるだろう?家紋の封蝋があるのだから。これはある子爵家に届けられたものだ。私の手元に来た経緯の説明は省くけれど、書いた内容は覚えているかな?」
「そ……それは……」
「君にはもう一つ聞きたい事がある。多額の借金があっただろう?しかし君の派手な生活は変わっていない。どうやって金の工面をしたのかな?そうそう、伯爵家の領地で人が消える事件が度々起きてるそうじゃないか。報告が上がっているよ。この子爵家の領地を強奪しようとする内容の書状と合わせて、詳しく話してくれないかい?」
あ、これは私たちが蚊帳の外になる気がする。長々と尋問の最中、私たちは空気になるしかないシチュエーションだ。それならもう帰っていいかな?プリンアラモードも食べたいし、兄さんとロールケーキを食べに行く約束してるし。
「子爵家諸君にはわざわざ足を運んでもらったお礼として、約束の抹茶モンブランをご馳走しよう。フィリップ、あの二人をここに連れて来てくれ。そのついでに厨房のパティシエに伝言を頼むよ。抹茶モンブランを五個だ。」
公爵様がアルフレッド様には見向きもしないで、フィリップ様に手を広げて五を示す。
「五個……ですか?」
「そうだよ。子爵家と私とお前の分だ。」
「え、僕もですか?」
「たまには一緒に食べようじゃないか。」
「え…あの……はい。行ってまいります。」
フィリップ様は最後まで納得はしていないようだった。それでも頷いて部屋から出ていく。
「さて子爵家の諸君はそこのソファとテーブルで寛いでくれたまえ。」
公爵様が指差したのは、部屋の隅にある応接に使うような高級そうな一対のソファとテーブル。
前言撤回!抹茶モンブランが味わえるならいつまでもいますとも!
公爵様に示されたソファに座って、まずはテーブルにプリンアラモードを置く。そしてずっと握りしめていたスプーンを、包みから解き放った。
兄は当然のように私の隣に。
お父様はちらちらアルフレッド様を気にしながら、私たちの向かいに座る。お父様の困惑ぶりには気づかなかったことにしよう。
あぁやっと……やっと食べられる!兄さんが届けてくれてから幾星霜……数多の修羅場を超えし私の王!チェリー王冠の傾きはさっき兄さんが戻してくれたから装いも完璧!いただきまーす!
「ちょっと待て!この状況でか?!俺が今どんな目に――」
「失礼します。お茶をお持ちしました。」
「なんでだよ!」
いつの間にか簀巻きにされたアルフレッド様を無視して、ティーワゴンを運んでくるメイド。制服は王城のメイド服だけれど、なんだか見覚えがある。
あれ……うちのメイドじゃない?
「ねぇ……兄さん……」
兄に視線を動かせば、即座に兄は首を振った。
「レイラ。細かいことはいいのです。今はプリンアラモードに集中しましょう。」
そうだった。
私はプリンアラモードにゆっくりスプーンを刺した。一瞬の弾力のあと、抵抗なくめり込むスプーン。掬った断面にてっぺんのカラメルが溶けだすように滲んで、プリンの柔らかさを如実に醸し出している。
なんて絶景……!
謎なメイドは公爵様にお茶を用意すると、兄にティーワゴンを託して部屋を出ていった。
やっぱりうちのメイドだ。絶対そうだ。兄さんにお茶を託すなんてうちのメイド以外にいない!
そしてさも当然のように兄がお茶を淹れ始めた。
「お義父様も飲みますよね。すぐに用意しますのでお待ちください。」
「う……うん。ありがとう、セレスティン。」
…いい匂い……さすがお城のお茶……良い茶葉使ってる……
兄がティーカップを私の前に置くのを見届けつつ、私はいよいよ掬ったままだったプリンを口に運ぶ。
落ち着いて……淑女らしく……ゆっくり……
ぱくっ
はうぁ!美味しい!滑らかな口溶けと卵と牛乳のマリアージュ!その結婚式にカラメルが乱入してくる!新婦はどっち?卵にしよう!新婦の卵をカラメルが連れ去って駆け落ち!追いかける牛乳!でも卵が最後に選ぶのは牛乳なの!遠くには結局身を引いたカラメルの姿が……!紆余曲折の末に卵と牛乳が丁寧にこされて一つになる!兄さんの仕事が見えるよ!
「兄さーん、美味しいー!」
「ふふっ。それは良かったです。」
自分の分のお茶を淹れている兄の向こうで、公爵様はお茶を時折口に運びながら、簀巻きのアルフレッド様に何やら詰め寄っていた。
「君が貴族のルールを知らないわけないだろう?国から与えられた領地を、勝手に奪ったり移したりできると思っているのかい?君が書いたこの書状になんて書いてあるのか、今私が朗読してあげようか。」
公爵様がノリノリだ。普段はあんな感じなのだろうか。
「レイラ、手が止まっていますよ。チェリーがプリンから落ちそうです。」
おっといけない!大事な大事なチェリー王冠。
兄に指摘されて、急いでスプーンで拾い上げて口に運ぶ。
ふあぁ……甘い。皮のプリっとした噛み具合と溢れ出る果汁がたまらない。
「レイラは幸せそうに食べるねぇ。見てるこちらまで幸せになれそうだ。」
お父様もこの空気に慣れたのか、お茶を飲んでほっとしているように見えた。
「そうですね、お義父様。私はレイラのこの表情が大好きなのです。」
実際に幸せなのだから仕方ない。
お茶を淹れ終わって、兄が私の隣に戻る。ナチュラルに腰を抱かれるけれど、プリンアラモードに夢中な私はそんなことどうでもいい。
ここだけ和やかな雰囲気の中、プリンを食べ終わってフルーツに手を出した頃。
騒がしく部屋の扉が開かれた。アルフレッド様の時と同じように、外から金切り声が響く。
「離しなさいよ!痛いじゃない!お父さん!なんとかしてよ!」
うーん、似たような登場の仕方はもういいんだけどな。
キウイを口に含みながら、視界の端で暴れる令嬢らしき姿を盗み見る。
フィリップ様が騎士と一緒に連れてきたのはいかにも成金といった格好の小太りな男と、リボンやレースの装飾品たっぷりで重そうなドレスを纏った見た目だけは可愛らしい女性。
……誰だっけ。なんだか見たことがあるけど……うーん……マニー?メアリー?……まぁ、いっか。
私は再びフルーツに向き合う。次はメロンがいい。
「ちょっと!なんであの女があそこにいるのよ!あっ!アルフレッド様!助けてっ!」
「マリー!」
「私語は慎め!」
簀巻きのアルフレッド様が背筋を反らせて令嬢に振り返る。フィリップ様の鋭い声と悲壮感いっぱいの二人に注目していれば、さながら悲劇の中で再会したヒロインとヒーローのようだ。
私は一度器をテーブルに置いて、お茶を一口飲む。プリンの甘さにアッサムの渋みがよく合う。
さすが兄さん。プリンアラモードのために淹れたようなお茶の味わい。
「どうですか、レイラ。お茶はお口に合いましたか?」
「うん!とっても美味しい。」
「本当に美味しいお茶だ。セレスティン、どこのお茶か分かるかい?お母様にも飲ませてあげたいんだ。」
「そうですね、おそらく大通りの専門店に――」
兄とお父様がお茶談義をし始めた。私は再び器を手に持って、最後の大きめの飾りクッキーを指先でつまんで口に運んだ。
「さて、ローラン男爵とマリー嬢。伯爵家領地での人さらいについて聞こうか。」
公爵様の冷たく低い声が部屋に響く。それは私がクッキーを飲み込むのとほぼ同時だった。
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