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9話 白薔薇、影の地図を読む


 ミリア・ランバールの一日は、以前よりも早く始まるようになった。


 朝の薄い光が白薔薇の庭を淡く照らす頃、彼女はすでに訓練場に立っている。まだ空気は冷たく、吐く息がかすかに白く見える日もあった。貴族令嬢としての朝は、本来ならば侍女に髪を整えられ、静かに紅茶を飲み、その日の予定を確認するところから始まる。


 だが今のミリアは、紅茶より先に木剣を握っていた。


 手のひらには、薄い布が巻かれている。


 初日の訓練でできた小さな擦り傷を隠すためではない。むしろ、剣を握るために必要な処置として、レムから教えられたものだった。最初はそれが悔しかった。自分の手がこんなにも弱いものだとは思っていなかったからだ。だが、今は違う。この痛みも、少しずつ前に進んでいる証だと思えるようになっていた。


「構え」


 レムの声が響く。


 ミリアは木剣を構えた。


 右足を半歩後ろへ。膝を固めない。肩を落とす。腕ではなく、身体の中心で剣を支える。


 昨日よりも自然にできる。


 そう思った瞬間、レムの木剣が動いた。


 右からの打ち込み。


 ミリアは反射的に腕で受けようとしたが、途中で踏みとどまった。剣だけを見るな。肩を見る。腰を見る。足を見る。刃は最後に来る。


 彼女は半歩下がった。


 木剣が目の前を通り過ぎる。


 すぐに左足を引き、姿勢を立て直す。


 レムの二撃目が来る。


 今度は斜め上から。


 ミリアは剣を斜めに合わせた。完全に受け止めるのではなく、力を逃がすように。木剣同士が乾いた音を立て、衝撃が腕に伝わる。それでも、昨日のように弾き飛ばされはしなかった。


「止まらない」


 レムの声。


 ミリアはすぐに横へ動いた。


 三撃目が空を切る。


 そこでようやく、レムが木剣を下ろした。


「今のは悪くありません」


 その言葉を聞いた瞬間、ミリアは思わず息を吐いた。


「ありがとうございます」


「ただし、二撃目の後に肩が上がりました。緊張すると癖が出ます」


「はい」


「ですが、一撃目への反応は昨日より良くなっています」


 レムからの評価は、決して甘くない。


 だからこそ、ほんの少しの言葉でも胸に残る。


 ミリアは木剣を握り直した。手は痛い。足も重い。けれど、昨日よりも確かに身体が動いている。それが嬉しかった。


 訓練はまだ、剣術と呼べるほどのものではない。


 攻撃などほとんど教わっていない。教わっているのは、立ち方、動き方、避け方、受け流し方、転び方。つまり、戦うためというより、倒れないための技術だった。


 それでも十分だった。


 今のミリアが目指すべき場所は、敵を倒すことではない。


 自分の身を守ること。


 足手まといにならないこと。


 そして、いつかアランや影狼の者たちが背負っているものを、ほんの少しでも支えられるようになること。


 そのための一歩だった。


「本日はここまでにしましょう」


 レムが告げた。


 ミリアはまだ動けると思ったが、すぐに頷いた。昨日、無理をして午後の資料整理に集中できなくなったことを思い出したからだ。


 剣だけでは駄目だ。


 自分には、自分の場所でできる役目がある。


 ローデン商会。


 その名は、すでにミリアの頭から離れなくなっていた。


 訓練を終えた後、彼女は湯で汗を流し、身支度を整えてから書斎へ向かった。


 ランバール公爵家の書斎は、屋敷の北側にある。高い天井と大きな窓を持ち、壁一面に書棚が並んでいる。蔵書は政治、歴史、法律、経済、領地運営、外交記録まで幅広い。その奥には、公爵家が長年保管してきた取引記録や出入り業者の資料が収められた部屋もあった。


 ミリアはその一角に、自分の作業用の机を置いていた。


 机の上には、数冊の帳簿と、手書きの相関図が広げられている。


 香水商。


 馬車屋。


 仕立屋。


 そして、それらすべてに繋がるローデン商会。


 最初はただの共通取引先に見えた。だが、記録を追えば追うほど、不自然な点が増えていく。ローデン商会は、ここ数か月で急速に取引を広げていた。特に、貴族家の侍女や使用人が頻繁に出入りする店への納入が増えている。


 香料、布地、馬具、装飾品。


 扱う品はばらばらに見える。


 だが、どれも情報が集まる場所に関係していた。


 香水商には令嬢や侍女が訪れる。


 仕立屋には貴族家の好みや行事予定が集まる。


 馬車屋には外出予定や移動経路が流れる。


 つまり、ローデン商会は物を売っているだけではない。


 情報の通り道を押さえている。


 ミリアは羽ペンを走らせた。


 線を引く。


 日付を書き込む。


 支払いの変化に印をつける。


 そこで、ひとつの妙な記録が目に留まった。


 ローデン商会が直接取引している先の中に、王城へ物資を納入している小さな商会があった。名は、ベルク納品組合。規模は小さいが、王城の厨房や使用人棟へ日用品を届けている業者だ。


 王城。


 ミリアの指が止まる。


 香水商や馬車屋から噂が広がるだけなら、貴族街の情報操作で済む。だが、王城納入業者にまで繋がっているとなると話が変わる。


 黒蛇の糸は、王城の外側だけではない。


 内側へも伸びている可能性がある。


 彼女の胸が小さく鳴った。


 自分一人で判断してはいけない。


 そう思った瞬間、かつての自分なら、もっと調べてから報告しようとしたかもしれない。確証を得るまで、誰にも言わずに抱えてしまったかもしれない。


 だが、アランとの約束を思い出した。


 危険だと思ったら知らせる。


 怪しい接触や情報を隠さない。


 彼女はベルを鳴らし、侍女を呼んだ。


「王城へ使いを。アラン殿下に、急ぎ確認していただきたい資料があると伝えて」


「かしこまりました」


 侍女が部屋を出ていく。


 ミリアはもう一度、帳簿に目を落とした。


 手のひらが少し痛む。


 木剣を握った痛みだ。


 だが今、彼女が握っているのは剣ではなく羽ペンだった。


 それでも、戦っている感覚があった。


 同じ頃、王城の地下にある影狼の隠し会議室では、重い空気が漂っていた。


 旧聖セリア礼拝堂跡で捕らえた黒蛇構成員たちの尋問は進んでいた。もっとも、彼らの多くは末端に近い。黒蛇の全容どころか、自分たちを雇った者の名すら正確には知らされていなかった。


 ただ、幾つかの単語が浮かんできた。


 ローデン商会。


 黒い封蝋。


 灰色の剣士。


 そして、王城内の協力者。


 アランは長机に広げられた報告書を見下ろしていた。


 周囲にはレム、ガイル、リィナ、ゼイドがいる。


 さらに今日は、影狼の各班から数名ずつ隊長補佐が呼ばれていた。全員が黒い装いをしているわけではない。商人風の男、下働きの女性、老書記のように見える者、若い騎士見習いの姿をした者。彼らは表の顔を持ちながら、影狼として動く者たちだった。


 影狼は約二百名。


 そのすべてが常に剣を持って戦うわけではない。


 むしろ、多くは情報を拾い、物資を運び、偽装を整え、逃げ道を確保し、表の記録を繋ぎ合わせる者たちだ。刃を抜く者だけでは、闇は払えない。闇に潜るには、闇を知る目が必要だった。


 アランは静かに口を開いた。


「ローデン商会を中心に調査を進める。表向きは中堅商会だが、情報経路の確保に使われている可能性が高い。リィナ、商会の資金源を追って」


「了解。裏帳簿を探る」


「燃やすなよ」


「前科をいつまで言うの」


「再犯の可能性がある限り」


 リィナが不満げに頬を膨らませる。


 ガイルが腕を組みながら言った。


「俺はどうする。商会に殴り込みか?」


「まだ早い」


「だと思った」


「ガイルはローデン商会の倉庫周辺を見てくれ。表の見張りではなく、荷運びの流れだ。武器や魔道具が混ざっている可能性がある」


「要するに、怪しい荷を見つけりゃいいんだな」


「壊すなよ」


「見るだけだろ。分かってる」


 その返事は、あまり信用できなかった。


 レムが冷静に補足する。


「ガイル。発見した場合は即座に報告。単独で突入しないこと」


「お前ら、俺を何だと思ってる」


「突入隊長です」


「そうだったな!」


 ガイルは豪快に笑った。


 アランは苦笑しながら、次にゼイドへ視線を向ける。


「ゼイドはベルク納品組合を調べて。王城へ出入りしている業者だ。今のところ証拠はないが、黒蛇が王城内部へ糸を伸ばしているなら、そこが入口かもしれない」


「承知」


「ただし、王城内での動きは慎重に。兄上の周囲を不用意に騒がせたくない」


 ゼイドは無言で頷いた。


 その時、会議室の扉が静かに叩かれた。


 影狼の連絡員が入室し、レムに小さな封書を渡す。


 レムは内容を確認し、すぐにアランへ差し出した。


「ランバール公爵邸より、ミリア様からです」


 会議室の空気が少しだけ変わった。


 リィナがにやりと笑う。


「白薔薇様、仕事早いね」


 アランは封書を開いた。


 中には、丁寧にまとめられた資料が入っていた。取引先の一覧、支払い時期の変化、ローデン商会と繋がる業者の名。そして、ベルク納品組合の記載。


 アランの指が止まる。


「……彼女もベルクに気づいた」


 レムが目を細めた。


「公爵家側の資料だけで、ですか」


「そうだ」


 リィナが小さく口笛を吹いた。


「やるじゃん。こっちが尋問で拾った単語と同じ場所まで来てる」


 ガイルは感心したように笑った。


「嬢ちゃん、剣だけじゃなく頭も切れるな」


「元々、そこが本領だよ」


 アランは静かに言った。


 その声には、隠しきれない感心があった。


 ミリアは早い。


 剣の覚えも早いが、情報を繋ぐ速度はそれ以上だ。表の貴族社会を知り、公爵家の資料を読める立場があり、違和感を見逃さない目を持っている。影狼が裏から拾う情報と、ミリアが表から拾う情報が合わされば、黒蛇の網をより立体的に見られる。


 彼女を遠ざけるだけでは、この力を殺すことになる。


 そう思った瞬間、アランは自分の考えが以前とは変わっていることに気づいた。


 守りたい。


 それは変わらない。


 だが、ただ隠して守るのではなく、彼女が自分の場所で立てるように支える。


 その方が、きっと彼女らしい。


「リィナ」


「なに?」


「ミリア嬢に渡すための簡易暗号表を用意して」


 レムがわずかに目を上げた。


「よろしいのですか」


「初歩的なものだけだ。危険な情報は載せない。でも、今後資料をやり取りするなら、最低限の保護は必要になる」


「承知しました」


 リィナは楽しそうに笑った。


「白薔薇様、いよいよこっち側の入口だね」


「入口だけだ」


 アランは念を押した。


「中へ入れるわけじゃない」


「はいはい。殿下は心配性だなぁ」


「実際に心配している」


 会議室に小さな笑いが広がった。


 だが、すぐに空気は引き締まる。


 ベルク納品組合。


 王城内部へ繋がる細い糸。


 それが本物なら、黒蛇はすでに王国の中枢に手をかけ始めている。


 アランは資料を机に置いた。


「今夜から動く。ローデン商会、ベルク納品組合、そして王城使用人棟。この三方向を同時に洗う」


「ヴァルグは?」


 ゼイドが尋ねる。


「必ずどこかで見ている。こちらがローデンへ近づけば、向こうも動く」


 アランの青い瞳が冷たく澄む。


「なら、こちらも見せてやろう。駄王子がどこまで鈍いかを」


 ランバール公爵邸にアランが訪れたのは、その日の夕刻だった。


 表向きは、婚約に関する相談である。


 貴族街ではすでに二人の噂が広まっているため、アランが公爵邸を訪れても不自然ではなくなっていた。むしろ、王都の噂好きたちは「駄王子が公爵令嬢に頭を下げに行った」だの、「ミリア様があの殿下を教育し始めた」だのと、好き勝手に話している。


 アランにとっては都合がよかった。


 噂は時に盾になる。


 人々が表向きの物語に夢中になっている間、裏の動きは見えにくくなる。


 応接室に通されたアランを迎えたのは、ミリアだった。


 彼女はいつものように気品ある姿で立っていたが、よく見れば少しだけ疲れが残っている。午前の訓練と午後の資料整理。その両方をこなしたのだろう。だが、青い瞳には曇りがなかった。


「お忙しい中、お越しいただきありがとうございます」


「こちらこそ。君のおかげで、こちらも少し忙しくなった」


「ご迷惑でしたか」


「まさか」


 アランは微笑んだ。


「とても助かった」


 その一言に、ミリアの表情がほんのわずかに和らいだ。


 アランはそれに気づきながらも、気づかないふりをした。


 レムは少し離れた位置に控えている。部屋の外には公爵家の侍女と護衛。さらにその外側には、気配を消した影狼の者が二名配置されていた。ミリアを狙う動きが続いている以上、警戒は緩められない。


 ミリアは机の上に資料を広げた。


「ベルク納品組合について、追加で確認しました。ランバール家と直接の取引はありませんが、王城に納めている品の一部はローデン商会を経由しているようです」


「品目は?」


「香油、布、清掃用の薬剤、厨房用の保存紙などです。いずれも不自然ではありません。ただ、納品量が三か月前から少しずつ増えています」


「急増ではなく、少しずつ」


「はい。目立たない程度に」


 アランは資料へ目を落とした。


 丁寧なまとめ方だった。日付、金額、品目、関係する店、推測と未確定情報の区別。どれも分かりやすい。影狼の報告書とは形式が違うが、むしろ貴族社会や商会の動きを読むにはこちらの方が向いている。


「君は本当に、仕事が丁寧だね」


「そうでしょうか」


「影狼の報告書にも見習わせたいくらいだ」


 レムが静かに言う。


「リィナの報告書は特に改善が必要です」


「その評価は本人に言わないであげて」


「すでに何度も伝えています」


「それで改善しないなら、無理かもしれない」


 ミリアは小さく笑った。


 こうして話していると、ほんの少しだけ奇妙な感覚になる。


 王国の闇を守る秘密組織。


 黒蛇の陰謀。


 王城内部への不穏な糸。


 扱っている内容は重い。


 それなのに、アランやレムとのやり取りには時折、肩の力が抜ける瞬間がある。それは決して緊張感がないからではない。むしろ、重すぎるものを扱っているからこそ、壊れないために必要な余白なのかもしれなかった。


 アランは懐から小さな紙片を取り出した。


「これは?」


 ミリアが尋ねる。


「簡易暗号表。今後、資料をやり取りする時に使う」


 ミリアは目を見開いた。


「私に、ですか」


「君が送ってくれた情報は有用だった。でも、そのまま送るのは危険だ。今後は重要度の低いものから、この形式でやり取りしよう」


「つまり、私は正式に協力者として扱われるのですか」


「入口だけ」


 アランはすぐに言った。


「危険な現場には近づけない。影狼の内部情報にも制限をかける。剣の訓練も基礎まで。そこは譲らない」


「分かっています」


「本当に?」


「何度確認なさるのですか」


「君が思ったより行動的だから」


「それは……否定しません」


 ミリアは少しだけ視線を逸らした。


 アランはその様子に苦笑する。


「でも、今日の判断は良かった。ベルクの件を自分で追いすぎず、すぐ知らせた」


「約束しましたから」


「うん」


 アランは静かに頷いた。


「だから、こちらも約束を守る。必要な情報は共有する」


 その言葉は、ミリアの胸に深く残った。


 信用し始めている。


 以前、彼はそう言った。


 今、その言葉が少し形になった気がした。


 守られるだけではない。


 遠ざけられるだけでもない。


 できる範囲で、共に王国の影へ向き合う。


 その立場を与えられたことが、ミリアには嬉しかった。


 もちろん、怖さが消えたわけではない。黒蛇という名を聞くだけで、胸の奥は冷える。ヴァルグの灰色の瞳を思い出すと、指先が強張る。だが、それでも知らないまま震えるよりはずっといい。


「アラン殿下」


「何かな」


「私は、まだ弱いです」


 アランは黙って聞いた。


「剣も、今日ようやく一撃を避けられた程度です。情報も、あなた方に比べれば限られたものしか見えません。ですが、できることを増やしていきます」


 ミリアはまっすぐ彼を見た。


「だから、私をただ守るだけの相手として扱わないでください」


 アランは返事に少し時間をかけた。


 それは、軽く答えたくなかったからだ。


 彼女の言葉は、真剣だった。


 ならば、こちらも真剣に返さなければならない。


「分かった」


 アランは静かに言った。


「ただし、僕は君を守ることをやめない」


「それは構いません」


「構わないんだ」


「守られること自体を拒んでいるわけではありません。守られた上で、自分も立ちたいのです」


 その言葉に、アランは少しだけ目を伏せた。


 守られた上で、自分も立つ。


 それは彼にとって、新しい考え方だった。


 彼はずっと、守るなら遠ざけるべきだと思っていた。危険を見せず、真実を隠し、安全な場所に置く。それが守ることだと。


 だが、ミリアは違う。


 彼女は守られることを受け入れながら、それでも自分の足で立とうとしている。


「君は、強いね」


 アランは言った。


 ミリアは少し驚いた顔をした。


「まだ弱いと言ったばかりです」


「剣の話ではないよ」


 アランは柔らかく笑った。


 それは、駄王子の軽い笑みではなかった。


 ミリアは一瞬、言葉を失った。


 その表情を見て、レムが静かに視線を逸らす。


 応接室の空気が、ほんの少しだけ穏やかになった。


 だが、その穏やかさは長く続かなかった。


 扉の外で、控えていた護衛が低く声を上げる。


「殿下」


 レムの目が鋭くなる。


 アランもすぐに表情を変えた。


「何だ」


 扉が開き、影狼の連絡員が入ってきた。公爵家の護衛に扮しているが、その動きに無駄はない。


「王城使用人棟にて、ベルク納品組合の荷から魔道具の部品を確認。ゼイド様が追跡中です」


 空気が一瞬で冷えた。


 ミリアの手が資料の上で止まる。


 アランは立ち上がった。


「動いたか」


「はい。それと、もう一点」


「言って」


「納品先の記録に、王太子執務室付近の備品庫が含まれていました」


 ミリアは息を呑んだ。


 王太子執務室。


 つまり、ルイの近く。


 アランの青い瞳から、温度が消えた。


 先ほどまでの柔らかさはもうない。そこにいるのは、影狼の指揮官だった。


「レム、王城へ戻る」


「承知しました」


「ミリア嬢」


 アランは振り返った。


「君は公爵邸から出ないで。追加でローデンとベルクの繋がりを洗ってほしい。ただし、外部接触はしない」


「分かりました」


 ミリアは即座に答えた。


 今度は、ついて行くとは言わなかった。


 自分が行けば邪魔になる。それは分かっている。


 だから、今自分にできる場所で動く。


「アラン殿下」


「何?」


「ルイ殿下を」


 ミリアは一瞬だけ言葉を探し、そしてまっすぐに言った。


「必ず、お守りください」


 アランの表情がほんの少しだけ動いた。


 兄上の国を守る。


 それが彼の誓いだ。


 そして今、ミリアはその核心に触れた。


「もちろん」


 アランは短く答えた。


 次の瞬間、彼はもう歩き出していた。


 レムが続く。


 影狼の連絡員がその後ろへ消える。


 応接室に残されたミリアは、しばらく扉を見つめていた。


 怖い。


 だが、止まっている暇はない。


 彼女は机に向き直り、ローデン商会の資料をもう一度広げた。


 王城へ伸びる糸。


 ルイへ迫る危険。


 アランは今、剣を持って走っている。


 ならば、自分は羽ペンを持つ。


 ミリアは深く息を吸い、紙の上へ新たな線を引いた。


 白薔薇の一歩は、まだ小さい。


 だが、その一歩は確かに、王国の影へ届き始めていた。

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