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62話 奪われた荷の行き先



 旧塩道は、ラウゼンから西へ半日ほど進んだ先にあった。


 かつては山から切り出した岩塩を運ぶため、多くの馬車が行き交っていたという。新しい街道が整備されてからは使われることも減り、今では崩れた石畳と傾いた道標だけが残っている。


 黒蛇にとっては都合がよい。


 人目が少なく、王都へ向かう街道からも外れている。ラウゼンや周辺の村から奪った荷を集めても、正規の騎士団には気づかれにくい。


 アランたちは、古倉庫から一つ丘を隔てた林に身を潜めていた。


 出発したのは夜明け前。同行しているのはアラン、レム、ミリア、ゼイドと影狼六名だけだ。ラウゼンの衛兵は連れてきていない。町の守りを薄くするわけにはいかず、人数が増えれば黒蛇にも察知される。


 古倉庫は低い丘の麓に建っていた。


 灰色の石壁に、半分崩れた瓦屋根。外から見れば、とうに捨てられた建物だ。だが、裏手には新しい荷車の轍が続き、煙突からは細い煙が出ている。


 倉庫前には武装した見張りが四人。


 裏手にも気配がある。


 アランは木々の隙間から建物を見つめた。


「荷馬車は?」


「外には三台」


 レムが答える。


「積み荷は空に見えます。すでに倉庫内へ運ばれたのでしょう」


「人数は、見えているだけで八人か」


「中にどれほどいるかは不明です」


 ミリアは押収した徴発一覧と、倉庫の位置を照らし合わせていた。


「昨日ラウゼンに来た者たちが予定通り動いていたなら、ここには少なくとも近隣三村分の食料が集められているはずです」


「燃やされる可能性は?」


「あります」


 アランは南薬草路を思い出した。


 赤い魔石。


 燃えかけた薬草荷。


 物資を奪えないなら、目の前で焼く。黒蛇なら躊躇しない。


 剣の柄に触れかけた右手を止める。


 今はまだ戦う場面ではない。


「ゼイドが戻るまで待とう」


 アランが言った直後、背後の藪がわずかに揺れた。


 ゼイドが音もなく現れる。


「中を見た」


「どうだった?」


「黒蛇は十一。見張りを含めれば十五」


「他には」


「荷運びが九人。商人二人。全員、武器を持っていない」


 レムが目を細める。


「囚われているのですか」


「家族を押さえられた者が多い。逃げれば村を焼くと言われている」


 アランは倉庫を見た。


 やはり、黒蛇だけではない。


 ここで倉庫ごと襲えば、脅されて働かされている者まで巻き込む。


「指揮役は?」


「二階の部屋。名はバルネ。黒蛇の末端指揮官だ。出荷帳簿を持っている」


「出荷先は分かる?」


「今夜、第一便を北へ送ると話していた。行き先は聞き取れなかった」


 アランは地図を広げた。


 北には廃関所がある。さらに進めば王都北西の包囲線へつながる。奪った食料を包囲側の武装集団へ送っている可能性が高い。


「火種は」


「倉庫の四隅。赤い魔石が一つずつ。起動役が二人いる」


 南薬草路と同じ手口だった。


 追い詰められれば、倉庫ごと燃やすつもりだ。


「まず起動役を止める」


 アランは地図の上に指を置いた。


「ゼイドは裏手から入って魔石を無力化。レムは倉庫前の見張り。影狼二人をつける」


「アラン様は」


「僕は正面へ行く」


 レムの眉が寄る。


「正面から名乗るおつもりですか」


「向こうは僕が来ると思っていない。話している間にゼイドが動ける」


「罠である可能性もあります」


「もちろんある」


「それでも?」


「中にいる人たちを先に逃がすには、黒蛇の目を一か所へ集めたい」


 レムは反対しようとした。


 だが、アランが一人で倉庫へ踏み込むつもりではないことも分かっていた。


「ミリア嬢は、林に残って」


「帳簿を確認する者が必要です」


「制圧後に入って」


「はい」


 ミリアはそれ以上争わなかった。


 以前なら、役に立とうとして前へ出たかもしれない。だが、今は自分がどこにいるべきかを考えている。アランはその変化に気づき、小さく頷いた。


「始めよう」


 ゼイドが先に消えた。


 林の中を回り、倉庫の裏手へ向かう。レムと影狼は街道の窪みを使って見張りの死角へ入った。


 アランは一人、旧塩道へ出た。


 外套のフードは下ろしている。


 倉庫の見張りはすぐに気づいた。


「止まれ!」


 剣を抜いた男が、道の中央へ出る。


「この先は商会の保管地だ。通行許可を見せろ」


「使われなくなった塩倉庫を保管地にした商会は、どこ?」


「関係ない」


「じゃあ、保管している荷の仕入れ帳簿を見せてほしい」


 男たちが顔を見合わせる。


 アランは足を止めた。


「昨日、ラウゼンへ王太子府の命令を騙る者が来た。持っていた一覧に、この倉庫が書かれていた」


 見張りの一人がわずかに後ろを見た。


 倉庫の扉。


 中の指揮役へ知らせるべきか迷っている。


「王太子府の者か」


「少し違うかな」


 アランが答えた時、倉庫二階の窓が開いた。


 四十歳ほどの男が顔を出す。短く刈った茶髪と、左頬に古い傷。ゼイドが言っていたバルネだろう。


「銀髪」


 男は低く呟いた。


「第二王子か」


 見張りたちの空気が変わる。


 剣を持つ腕に力が入り、二人が倉庫の左右へ動いた。


 アランはその動きを見ながら、右手を剣へ置いた。


 わずかな震えが来る。


 南薬草路ほど強くはない。


 消えてもいない。


「話が早くて助かるよ」


 アランは言った。


「倉庫の中にいる荷運びと商人を外へ出して。荷の出所を確認する」


 バルネは窓からアランを見下ろした。


「王都へ戻らず、地方の倉庫を嗅ぎ回るか。噂どおりだな」


「どんな噂?」


「銀の王子は、王太子の手を離れて独自に兵を集めている」


「ここに兵は見える?」


「影狼は兵ではないと?」


「王都の外で物資を奪っている人たちに言われても、説得力がないね」


 バルネの顔が歪む。


「奪ってはいない。王都を救うための徴発だ」


「それなら、なぜ荷を王都と反対の道へ運ぶの?」


 一瞬、答えが止まった。


 アランは続ける。


「王都を救うと言えば、地方は断りにくい。王太子府の名を出せば、確認する時間も奪える。でも、兄上は届け先のない徴発を命じない」


「兄を信じているふりか」


 バルネの声が強くなる。


「ふりではないよ」


「王太子は王都に籠もり、お前は外で影狼を率いる。もう指揮は二つに割れている」


「そう見せたいんだね」


「事実だ」


「違う」


 アランの返事は静かだった。


「兄上が内側を守り、僕が外側の道を開いている。同じことをしているだけだ」


 バルネは舌打ちした。


 話を続ける意味がないと判断したのだろう。


「焼け」


 短い命令が飛ぶ。


 倉庫の中で動く音がした。


 赤い魔石の起動役。


 だが、炎は上がらなかった。


 代わりに、裏手から一人の男が転がり出る。手首を押さえ、地面に倒れた。続いてもう一人。影のように現れたゼイドが、その背後に立っている。


「魔石は止めた」


 バルネの表情が変わる。


「裏だ!」


 見張りの半数が振り向いた。


 その瞬間、レムが街道脇から飛び出す。


 細剣が一人の剣を弾き、影狼が残る二人を取り押さえた。正面の見張りがアランへ斬りかかる。


 アランは剣を抜いた。


 金属音が鳴る。


 敵の一撃を流し、肩で押し返す。もう一人が横から来るが、深く追わない。半歩下がって間合いを作り、レムが入れる道を残す。


 右手は震えている。


 それでも、剣先は大きく乱れなかった。


 見張りを倒すことより、倉庫の出口を塞がないことを優先する。


「中にいる人たちへ!」


 アランは声を張った。


「倉庫は燃えません! 外へ出てください!」


 扉の向こうで、迷う気配がした。


 黒蛇の一人が内側から怒鳴る。


「出れば村を焼くぞ!」


 その声に、足音が止まる。


 アランは剣を構えたまま答えた。


「村の名前は、押収した一覧にある。ラウゼンからもう伝令を出した。村には偽徴発の警告が届く。君たちの家族だけが置き去りになることはない」


 完全な保証ではない。


 黒蛇の手がどこまで伸びているかは分からない。


 それでも、何も知らず従い続けるより道はある。


「外へ出て!」


 アランがもう一度呼ぶ。


 最初に出てきたのは、痩せた老人だった。両手を上げ、怯えた顔で倉庫の外へ出る。


「武器はない」


「そのまま街道の反対側へ」


 レムが誘導する。


 次に若い男。商人らしい女。荷運びの者たち。


 一人が出れば、残りも動き始めた。


 黒蛇の者が中で彼らを止めようとするが、ゼイドと影狼が裏口から入り込んでいる。怒号と短い剣戟の音が倉庫内に響いた。


 バルネは二階から姿を消した。


「逃げる」


 レムが言う。


「帳簿を持っている」


 アランは二階の窓を見る。


 追えば間に合うかもしれない。


 だが、倉庫から避難する者たちの間に黒蛇が混じる可能性もある。魔石がすべて無力化されたとも限らない。


 一瞬、迷いが生まれた。


 以前のアランなら、自分でバルネを追った。


 今回は違った。


「ゼイド、帳簿を!」


 倉庫の奥から短い返事が届く。


「任せろ」


 アランは正面に残った。


 出てくる者の手元を確認し、傷ついた者をレムへ預ける。影狼が見張りを拘束し、ラウゼンから同行した二人の伝令役が避難者の名前と村を聞き取った。


 倉庫二階で窓が割れる。


 バルネが裏側へ飛び降りたのだろう。


 その直後、木が折れる鈍い音がした。


 しばらくして、ゼイドが戻ってくる。


 片手に帳簿。


 もう片方の手で、意識を失ったバルネの襟を掴んでいた。


「逃げ道に古い足場を使った」


「崩れた?」


「崩した」


 ゼイドは淡々と答えた。


 アランは少しだけ苦笑した。


「無事?」


「足は折れている。死んではいない」


「ならいい」


 制圧が終わるまで、それほど時間はかからなかった。


 黒蛇は十五人。死者は出さず、抵抗した者も全員拘束した。脅されて働かされていた者の中には怪我人がいたが、命に関わる者はいない。


 倉庫の四隅には、ゼイドの報告どおり赤い魔石が置かれていた。起動線は二階の指揮室まで引かれ、追い詰められた時には帳簿も荷も人もまとめて焼く仕組みになっている。


 ミリアは安全が確認された後、倉庫へ入った。


 積まれていたのは穀物、塩、干し肉、油、薬草、冬布。ラウゼンだけではない。王都周辺の小村や修道院、宿場から奪われた荷札が残っている。


「王都を囲う者たちのために、地方から食料を奪っていたのですね」


 ミリアの声が硬くなる。


 アランは積み上げられた袋を見上げた。


「それだけじゃない」


「ほかに?」


「地方の備蓄を減らせば、王都を助ける余裕もなくなる。王都と周辺の町を同時に痩せさせられる」


 奪われた荷を全て王都へ送るわけにはいかない。


 元の村へ戻す分も必要だ。


 冬を越せない町を作って王都だけを救えば、黒蛇の分断を手伝うことになる。


 ミリアは帳簿を開いた。


 黒蛇の出荷記録は、エリウスの文書ほど整ってはいない。だが、日付、徴発先、物資量、運搬予定地が書かれている。


 王都包囲線へ送られた荷。


 廃関所へ回された武器。


 石切り場へ送られた油と火薬。


 そして、いくつかの欄に同じ印が押されていた。


 翼を広げた鷹の紋。


 ミリアの指が止まる。


「この紋章」


「知ってる?」


「トレイス子爵家です。王都北西に領地を持つ小領主で、北街道沿いの二つの橋を管理しています」


 アランは地図を開いた。


 トレイス子爵領は、王都とラウゼンの中間より北にある。包囲側が北街道を押さえるなら、無視できない場所だ。


「黒蛇に協力している?」


「まだ断定できません」


 ミリアは帳簿の印を確認する。


「正式な子爵家の印に似ていますが、線が一部欠けています。偽造の可能性もあります。ただ、この欄には『橋税免除』『領兵通過許可』とあります」


 レムが帳簿を覗き込む。


「本物なら、子爵家が包囲側の輸送を許していることになります」


「偽物なら」


 アランが続ける。


「黒蛇が子爵家の名を使って、北街道を支配している」


 どちらにしても、確かめる必要がある。


 拘束したバルネを問い詰めれば、何かを話すかもしれない。だが、最初から偽の答えを持たされている可能性も高い。


 アランは倉庫の外へ出た。


 救出された荷運びの者たちは、温かい飲み物を受け取り、林の端で休んでいる。その中に、トレイス子爵領から来たという男がいた。


 三十代ほどの痩せた男だ。左手の小指が包帯で巻かれている。


「名前は?」


 アランが尋ねる。


「オリムです。トレイス領の橋番をしていました」


「帳簿に子爵家の印がある。黒蛇の荷を通した?」


 オリムは顔を伏せた。


「通しました」


 レムが警戒を強める。


 だが、オリムは続けた。


「通さなければ、橋番の家族から一人ずつ連れていくと言われました。子爵様も……」


「子爵も脅されている?」


「ご嫡男を捕らえられています」


 ミリアの表情が変わる。


「いつからですか」


「三月ほど前です。子爵様は王太子府へ知らせようとしました。ですが、その使者は帰りませんでした。それからは黒蛇の荷を通し、兵を出さないよう命じられています」


 アランは地図のトレイス領を見た。


 黒蛇に協力した領主。


 そう見せかけられている。


 実際には、息子を人質に取られ、領民を守るために従わされている。


 エリウスなら、その事実すら後で使う。


 王太子府へ反旗を翻した子爵。


 銀の王子に寝返った子爵。


 どちらの紙も、すでに用意しているかもしれない。


「息子が捕らえられている場所は」


 アランが問う。


 オリムは首を横に振った。


「分かりません。ただ、黒蛇の連絡役は廃関所から来ます」


 古倉庫の次に記されていた場所。


 北へ荷を送る中継地。


「次は廃関所か」


 レムが言った。


 アランはすぐには頷かなかった。


 古倉庫を制圧したことは、やがて黒蛇に知られる。急いで廃関所へ向かえば、待ち伏せされる。反対に時間を置けば、人質が移される可能性がある。


 急ぐべきだ。


 だが、慌ててはいけない。


 アランは半年の静養中、何度もそれを学んだ。


「先に荷を動かす」


 彼は言った。


「奪われた村へ戻す分と、王都へ送る分を分ける。倉庫は空にする。黒蛇が奪い返しに来ても、何も残さない」


「廃関所は」


「ゼイドに先行偵察を頼む。僕たちはトレイス子爵へ接触する道を探す」


 ミリアが頷いた。


「子爵家の協力が得られれば、北街道の橋を包囲側から切り離せます」


「でも、人質がいる」


「だから、先に救出しなければなりません」


 アランは帳簿の鷹の印を見つめた。


 黒蛇が王都を包囲するために使っているのは、兵だけではない。


 脅された領主。


 家族を捕らえられた橋番。


 村を焼かれると信じ込まされた荷運び。


 彼らを敵として斬れば、黒蛇の包囲は完成する。


 だから、斬る前に事情を確かめる必要がある。


「ミリア嬢」


「はい」


「トレイス子爵家の系譜と、王太子府との関係を調べられる?」


「ラウゼンにある記録では限界があります。ですが、グレイストン家へ帳簿の暗号を送れば、王都内から確認できます」


「お願い」


「すぐに」


 ミリアは写しを作り始めた。


 その夜、旧塩道の古倉庫から荷馬車が出た。


 一部は元の村へ。


 一部はラウゼンへ。


 一部は小分けにされ、王都へ続く隠し便へ。


 黒蛇が集めた物資は、包囲側へ一袋も渡らなかった。


 倉庫そのものは燃やさない。


 建物には、空の袋と偽の帳簿だけを残した。黒蛇が次に来た時、何が奪われ、どの記録まで押さえられたのかをすぐには判断できないようにするためだ。


 アランは最後の荷馬車を見送った。


 剣を使った時間は短い。


 右手の震えは残っている。


 けれど、今日開いた道は剣だけで作ったものではなかった。


「一つ、切れたね」


 ミリアが隣で言った。


「うん。でも、向こうもすぐにつなぎ直す」


「次はトレイス子爵ですか」


「その前に、息子を見つける」


 アランは北の暗い空を見た。


 廃関所。


 包囲側の補給中継地。


 そこには黒蛇の兵だけでなく、人質にされた領主の息子がいる可能性がある。


 今度も、ただ壊せばいい場所ではない。


 アランは震えの残る右手を握った。


「敵と、敵にされた人を間違えないようにしよう」


 ミリアは静かに頷いた。


 同じ頃、王太子府では、リィナがラウゼンから届いた帳簿の暗号を読んでいた。


 古倉庫制圧。


 物資回収。


 強制労働者救出。


 トレイス子爵家の印。


 嫡男人質の可能性。


 リィナはすぐに別の紙束を引き出した。


 三月前、トレイス子爵家から王太子府へ向かった使者の記録。


 到着していない。


 だが、その使者の名は、東川港で発見された偽の通行証に使われていた。


「先生」


 リィナの目が細くなる。


「人を消した後まで、名前を使ってるんだ」


 ルイは報告を読み、北街道の地図を開いた。


 トレイス領の二つの橋。


 そこを取り戻せば、北側の包囲線に大きな穴が開く。


 だが、領主を反逆者として討てば、橋は戦場になる。


「アランは」


「先に人質を探すって」


 リィナが答える。


 ルイはかすかに息を吐いた。


「そうするだろうな」


「止める?」


「止めない」


 即答だった。


「内側から、トレイス子爵が王太子府へ出した使者の記録を探す。反逆ではなく、救援要請だったことを証明する」


 リィナは頷いた。


 王都の内側では、消された使者の記録を探す。


 外側では、捕らわれた息子を探す。


 兄弟は離れたまま、同じ橋へ手を伸ばし始めていた。


 黒蛇の包囲線に入った最初の亀裂は、古倉庫から北へ延びていく。

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