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6話 影狼、闇夜に牙を剥く

 旧聖セリア礼拝堂跡に、剣戟の音が響いた。


 かつて祈りが捧げられていた場所は、今や月光と影に満たされた戦場となっていた。崩れた天井から差し込む淡い光が、割れた石床を銀色に照らしている。古びた聖者像は顔を失い、壁面に絡みついた蔦が夜風にかすかに揺れていた。静寂と神聖さだけが残っていた廃墟に、鋼の火花が散る。


 黒衣の男たちが、一斉に動いた。


 礼拝堂の奥、柱の影、崩れた壁の陰。そこに潜んでいた黒蛇の構成員たちが、まるで合図を受けたように刃を抜いた。短剣、曲刀、細身の刺突剣。武器は統一されていない。だが、その動きはただのならず者のものではなかった。訓練されている。少なくとも、王都の路地裏で金を握らされただけの者たちではない。


 アラン・ヴァルタインは、その動きを一目で見抜いた。


 数は十二。


 正面から来る者が四。左右の柱を使って回り込む者が三ずつ。残り二名は奥に控え、こちらの後退路を塞ぐつもりだ。さらに、外周には別働隊の気配がある。こちらの人数を見て、礼拝堂内で足止めし、外から包む算段だろう。


 悪くない配置だった。


 ただし、相手が普通の騎士団なら、の話だ。


「レム、左」


「承知しました」


 アランの短い指示に、レムは即座に応じた。


 彼女は侍女服ではなく、黒を基調とした戦闘用の装いに身を包んでいた。動きやすさを重視した軽装でありながら、袖や裾には侍従としての品位が残っている。腰に佩いた細剣が月光を受け、冷たく輝いた。


 左側の柱陰から飛び出した黒蛇の男が、低い姿勢でレムへ迫る。狙いは足。正面からの斬撃ではなく、動きを奪うための一撃だった。


 だが、レムの足はそこにはなかった。


 彼女は半歩だけ身を引き、刃を紙一重でかわす。次の瞬間、細剣の柄が男の手首を打った。骨が軋む鈍い音がし、短剣が床に落ちる。男が呻くより早く、レムの膝が腹部に入り、男の身体は崩れた椅子の残骸へ叩きつけられた。


 殺してはいない。


 だが、動けない。


「王城の影に刃を向けた罪、後ほどゆっくり伺います」


 静かな声だった。


 その背後へ、別の男が迫る。


 しかし、彼の刃がレムに届く前に、礼拝堂の床を低く走った影があった。


 ゼイド。


 彼は音もなく男の懐へ入り、肘を喉元へ叩き込んだ。息を奪われた男の体が沈む。ゼイドはそのまま回転するように背後へ抜け、次の黒衣の男の膝裏を短剣の柄で打った。倒れた相手の首筋へ刃を当て、動きを止める。


「次」


 短い一言。


 それだけで、黒蛇の男たちの間に動揺が走った。


 アランはまだ剣を抜いていなかった。


 礼拝堂の入口近くに立ち、戦場全体を見ている。彼の青い瞳は、一つひとつの動きを逃さない。敵の配置、味方の距離、足元の瓦礫、月光の角度、柱の影。すべてを頭の中で並べ替え、最短の手順を組み上げていく。


「ガイル、外」


「あいよ!」


 豪快な声が、礼拝堂の外から響いた。


 直後、外周で爆ぜるような音がした。扉の向こうで何かが砕け、誰かの悲鳴が夜気を裂く。


 ガイルは外の別働隊へ向かったのだ。影狼突撃隊長。大剣を振るうその姿は、隠密とは程遠い。だが、彼の役目は影に潜むことではない。敵が数で押してくるなら、その数ごと叩き潰す。逃げ道を塞ぐ者がいるなら、道そのものを切り開く。


 王都の闇を守る影狼は、決して一枚岩の小組織ではない。


 その総数は約二百名。


 王都、地方都市、主要街道、貴族街、下層区、商業組合、情報屋、裏社会。表に名を持たぬ者たちが、王国の各所で密かに動いている。その中でも、レム、ガイル、リィナ、ゼイドは隊長格だった。それぞれが部隊を預かり、任務ごとに人員を動かす権限を持つ。


 今夜この礼拝堂跡にいるのは、そのほんの一部にすぎない。


 礼拝堂の外では、ガイル率いる突撃班が黒蛇の包囲を崩していた。少し離れた屋根の上では、リィナの情報班が敵の連絡役を押さえている。さらに外周の路地には、ゼイド配下の隠密班が潜んでいる。王城から遠く離れたこの廃墟でさえ、すでに影狼の網の中だった。


 だが、ヴァルグは動かない。


 礼拝堂の中央で、長い黒髪を夜風に揺らしながら、彼は静かにアランを見ていた。


 灰色の瞳には、驚きも焦りもない。


 むしろ、楽しんでいるように見える。


「なるほど」


 ヴァルグが低く呟いた。


「駄王子の周りには、随分とよく躾けられた影がいる」


「犬扱いすると怒る者もいるから、言葉には気をつけた方がいい」


 アランは軽く返した。


 その口調だけなら、夜会の時と変わらない。だが、声の奥にある冷たさは隠れていなかった。


「お前が指揮しているのか」


「僕はただ、偶然ここを散歩していただけだよ」


「夜更けに廃礼拝堂を散歩する王子か。噂以上の奇人だな」


「よく言われる」


 ヴァルグの口元がわずかに上がった。


 その瞬間、彼の姿が消えた。


 いや、消えたように見えた。


 踏み込みが速い。月光の境界を縫うように、ヴァルグは一瞬で距離を詰めた。右手の剣が抜かれる。細身の長剣。無駄のない軌道で、アランの喉元へ走る。


 その刃を、アランは半身で避けた。


 紙一重。


 銀の髪が数本、夜気に舞う。


 アランの手が剣の柄に触れる。次の瞬間、細身の剣が鞘から抜け、ヴァルグの二撃目を受け止めた。


 鋼が鳴る。


 礼拝堂の空気が震えた。


 ヴァルグの剣は軽い。だが、軽いだけではない。速く、鋭く、重心が読みにくい。正面から力で押す剣ではなく、相手の隙へ滑り込む剣だった。暗殺者の刃であり、剣士の刃でもある。


 アランは一歩下がり、剣先を下げる。


 ヴァルグは追う。


 刃が三度交わった。


 一撃目は肩口。


 二撃目は胴。


 三撃目は、アランが後退すると見せかけた瞬間の足首。


 どれも速い。


 だが、アランの剣はすべてに間に合った。


 避ける。受ける。流す。


 彼の動きには派手さがない。騎士団の模範演武のような大きな構えもない。だが、無駄がない。ほんのわずかな足運びで距離を調整し、必要最低限の剣筋で相手の刃を逸らす。まるで、相手の動きが始まる前に、その終着点を知っているかのようだった。


 ヴァルグの目が細くなる。


「その剣、王宮剣術ではないな」


「兄上には内緒だよ。王宮の師範が泣く」


「誰に習った」


「独学ということにしておこう」


「嘘が下手だ」


「よく言われる」


 アランは笑った。


 だが、その笑みの下で、彼はヴァルグを測っていた。


 強い。


 想定よりも。


 剣の速度だけなら、王国騎士団の上位者に匹敵する。だが本当に厄介なのは、剣筋そのものではない。彼は戦場の空気を読む。アランの視線、足の向き、周囲の部下の位置。すべてを見ながら、最も嫌な場所へ刃を差し込んでくる。


 黒蛇の幹部という肩書きは伊達ではない。


 ヴァルグもまた、アランを測っていた。


 駄王子ではない。


 少なくとも、剣に関しては。


 これほどの剣を持つ者が、なぜ王城で怠惰な笑みを浮かべているのか。なぜ貴族たちに笑われることを許しているのか。なぜ、ここまで己を隠すのか。


 興味が湧いた。


 それは殺意よりも厄介な感情だった。


「アラン・ヴァルタイン」


 ヴァルグが名を呼ぶ。


 次の瞬間、彼の剣筋が変わった。


 先ほどまでの刺突中心の動きから、斬撃を織り交ぜた連続攻撃へ。アランの剣を弾き、わざと大きな音を立てる。礼拝堂の柱に刃が当たり、石片が飛び散った。視界が一瞬だけ乱れる。


 その隙に、ヴァルグはアランの懐へ入った。


 近い。


 剣ではなく、左手に隠した短剣が走る。


 アランはそれを読んでいた。


 彼は剣の柄頭でヴァルグの手首を打ち、短剣の軌道を逸らす。そのまま肩を入れ、相手の体勢を崩そうとした。だが、ヴァルグは踏みとどまる。細身の体からは想像できない粘りだった。


 二人の距離が一瞬だけ詰まる。


 月光の下、青い瞳と灰色の瞳が至近で交わった。


「お前が影の主か」


 ヴァルグが囁く。


 アランは答えない。


 代わりに、膝で相手の重心を崩し、剣を跳ね上げた。ヴァルグは後方へ退く。外套が翻り、黒髪が揺れる。


 礼拝堂の別の場所では、戦闘が終わりつつあった。


 レムが二人を無力化し、ゼイドが一人を拘束する。外からはガイルの豪快な笑い声が聞こえ、続いて重いものが地面に倒れる音がした。リィナの合図笛が短く鳴る。外周の敵も制圧されたという合図だ。


 黒蛇側の駒は失われた。


 残るは、ヴァルグのみ。


 だが、彼に焦りはなかった。


「今夜はここまでだな」


「逃げるのかい」


 アランが軽く言うと、ヴァルグは薄く笑った。


「目的は果たした」


「白薔薇を誘い出せなかったのに?」


「代わりに、駄王子の牙を見た」


 その言葉に、アランの瞳が少しだけ冷えた。


 ヴァルグは背後の崩れた壁へ一歩下がる。


「次は、もっと深い場所で会おう。影の王子」


「勝手に妙な名をつけないでほしいな」


「なら、名乗るがいい。お前が何者なのか」


 アランは剣を下げない。


 笑みだけが戻る。


「アラン・ヴァルタイン。王国一の駄王子だよ」


「そうか」


 ヴァルグの足元から黒い煙が上がった。


 魔道具。


 アランが踏み込むより早く、煙が礼拝堂を満たす。視界が黒に染まる。レムが即座にミリアの名ではなく主の名を呼び、ゼイドが逃走経路へ走る。だが、煙が晴れた時、ヴァルグの姿は消えていた。


 残されたのは、石床に刻まれた蛇の紋だけだった。


 ガイルが外から戻ってくる。


「逃がしたか」


「わざと逃げ道を用意していた」


 アランは剣を鞘へ戻した。


「追いますか」


 ゼイドが問う。


「いや。追った先にも罠がある。今夜は捕らえた者から情報を取る方がいい」


「承知」


 レムがアランへ近づいた。


「お怪我は」


「髪を少し持っていかれた」


「髪で済んで何よりです」


「もう少し心配してくれてもいいんだよ」


「本当に危険であれば、止めておりました」


「信頼が重いね」


 アランは苦笑した。


 だが、その表情はすぐに引き締まる。


「リィナに連絡。捕縛者の身元、所属、資金の流れを洗う。ガイルは外周の痕跡を確認。ゼイドは煙の魔道具を回収できるなら回収。レムは王城へ報告書を回す準備を」


「ルイ殿下へ?」


「兄上と、ランバール公爵へ」


 レムは一瞬だけ目を上げた。


「ミリア様にも、ですか」


 アランは黙った。


 月光が、崩れた礼拝堂を照らしている。


 先ほどまでの戦闘の熱が、少しずつ夜気へ溶けていく。アランはヴァルグが消えた場所を見つめながら、静かに答えた。


「彼女には、僕が直接話す」


 その頃、ランバール公爵邸では、ミリアが父と向き合っていた。


 彼女は約束通り、すべてを話した。招待状が届いたこと。アランに見せたこと。王城の離れで、黒蛇という名を聞いたこと。影狼という存在の一端を知ったこと。そして、自分が公爵家の資料から出入り業者の繋がりを調べるよう頼まれたこと。


 公爵は最後まで口を挟まなかった。


 ただ、静かに娘の話を聞いていた。


 すべてを話し終えた時、ミリアは少しだけ緊張していた。叱責されることを覚悟していたからだ。父から見れば、危険な手紙を受け取り、アランと接触し、王国の裏の一端に踏み込んだことになる。


 しかし、公爵は怒鳴らなかった。


 深く息を吐き、ゆっくりと言った。


「ついに話されたか」


 その言葉に、ミリアは目を見開いた。


「お父様は、影狼をご存じだったのですね」


「名を知っていたわけではない」


「では」


「存在は察していた」


 公爵は窓の外を見た。


 夜の庭には白薔薇が咲いている。月光を受けた花びらは、昼とは違う冷たい美しさを帯びていた。


「この王国には、表で処理されていない事件が幾つもある。潰されたはずの犯罪組織。未然に防がれた貴族の謀反。証拠が出る前に消えた密輸経路。誰が動いたのか分からぬまま、王国にとって最悪の事態だけが避けられてきた」


「それが、アラン殿下の」


「おそらくな」


 公爵の声には、確信に近いものがあった。


「私は一度だけ、アラン殿下の剣を見たことがある」


「剣を?」


「あれは偶然だった。王城の裏庭で、誰にも見られぬ時間に、あの方は剣を振るっていた」


 ミリアは息を止めた。


「どのような剣だったのですか」


 父は少し考え、言葉を選ぶように答えた。


「人に見せるための剣ではなかった。勝つための剣でも、名誉を示すための剣でもない。誰かを守るために、敵を確実に止める剣だった」


 ミリアはアランの背を思い出した。


 離れを出る時の、静かな足運び。窓越しに見た、戦場を支配する視線。彼は剣を抜く前から戦っていた。


「私は、あの方を誤解していました」


「多くの者がそうしている。おそらく、あの方自身がそう望んでいる」


「なぜそこまで」


「ルイ殿下のためだろう」


 父の答えは、アラン自身の言葉と同じだった。


「表に立つ王には、光が必要だ。民の信頼、貴族の支持、清廉な評判。ルイ殿下はそれを背負うにふさわしい方だ。だが、国を守るには光だけでは足りぬ。誰かが影を見る必要がある」


「その誰かが、アラン殿下」


「そうだ」


 ミリアは手を握った。


 胸の中に、複雑な感情が満ちていた。


 尊敬と言うにはまだ早い。信頼と言い切るには、まだ知らないことが多すぎる。だが、軽蔑はもうなかった。


 彼女は、アランを見誤っていた。


 それは認めなければならない。


「お父様」


「何だ」


「私は、アラン殿下の力になりたいです」


 公爵はゆっくりと娘を見た。


 ミリアは自分の言葉に驚かなかった。むしろ、ようやく胸の中にあったものが形になった気がした。


「もちろん、今の私にできることは限られています。剣も扱えませんし、戦いの場に立てるわけでもありません。ですが、情報を整理すること、貴族社会の動きを読むこと、公爵家の資料から繋がりを見つけることはできます」


「それだけか」


 父の問いに、ミリアは少しだけ間を置いた。


「……それだけではありません」


 公爵は黙っていた。


「私は、自分の身を守れるようになりたいです」


 その言葉を口にした瞬間、ミリアの中で何かが定まった。


「今日、王城の離れで私は待つことしかできませんでした。アラン殿下が戦いに向かう背を見て、何もできませんでした。それが当然だということは分かっています。ですが、今後もずっとそうでいたくはありません」


「剣を学びたいのか」


「はい」


 ミリアはまっすぐに答えた。


「戦場に立ちたいわけではありません。無謀に敵へ向かうつもりもありません。ただ、せめて自分の身を守れるようになりたい。いざという時に、誰かの足手まといにならないようになりたい。アラン殿下や影狼の方々が守ってくださるとしても、守られるだけの存在ではいたくありません」


 公爵は長く沈黙した。


 娘の目は真剣だった。


 彼は知っている。ミリアは幼い頃から運動神経が良かった。乗馬も、舞踏も、基礎を覚えるのが早かった。令嬢としては珍しく身体を動かすことを苦にせず、姿勢や重心の使い方も優れている。もし剣を学べば、基礎の会得は早いだろう。


 だが、剣を学ぶことと、剣を持って闇に近づくことは違う。


 父としては止めたい。


 しかし、止めればこの娘は別の形で動く。


 ならば、正しい形で学ばせる方がいい。


 公爵は深く息を吐いた。


「条件がある」


 ミリアの表情が引き締まる。


「第一に、訓練は正式な指導者のもとで行うこと。独学は許さん。第二に、剣を学ぶ目的を見失わないこと。お前は戦士になるのではない。まずは自分の身を守るためだ。第三に、アラン殿下にも伝えること」


「アラン殿下に?」


「あの方はおそらく反対する」


「でしょうね」


「だが、隠して始めれば信頼を失う。お前は力になりたいのだろう。ならば、最初から隠し事を増やすべきではない」


 ミリアは静かに頷いた。


「分かりました」


「それと」


 公爵は少しだけ表情を和らげた。


「剣を学ぶなら、覚悟しなさい。舞踏とは違う。手は痛む。身体も痣だらけになる。思うように動けず、悔しい思いもする」


「承知しています」


「ならばよい」


 ミリアは深く一礼した。


 その夜、彼女は初めて自分で選んだ道の重さを感じていた。


 婚約を押し付けられる令嬢としてではない。


 ただ守られる白薔薇としてでもない。


 王国の影を知り、それでも自分の足で立つ者として。


 ミリア・ランバールは、剣を取ることを決めた。


 夜更け、アランは王城へ戻った。


 旧聖セリア礼拝堂跡での戦闘は、表向きには何もなかったことになる。捕らえた黒蛇の構成員は影狼の地下拘束所へ運ばれ、リィナが情報を引き出す準備を進めている。ヴァルグは逃した。だが、相手の剣、魔道具、部隊の動かし方は見えた。


 得たものは少なくない。


 ただ、アランの気分は軽くなかった。


 自室に戻ると、机の上にランバール公爵からの封書が置かれていた。正式な書簡ではなく、個人的な伝言に近いものだ。


 中身を読んだアランは、しばらく黙った。


 ミリアが剣を学びたいと言っている。


 自分の身を守るために。


 足手まといにならないために。


 アランは椅子に座り、天井を見上げた。


「……本当に、厄介な白薔薇だ」


 呟きには、困惑と、わずかな笑みが混じっていた。


 反対したい。


 当然だ。


 彼女が剣を取れば、危険に近づく理由が増える。黒蛇にとっても利用価値が変わる。守る側からすれば、何も知らず、何も持たず、安全な場所にいてくれる方が楽だ。


 だが、ミリアはそういう人間ではない。


 彼女は知ってしまった。影狼の名を。黒蛇の存在を。アランが隠していたものの一端を。そして、知った上で、自分にもできることを探し始めた。


 その強さを、アランはもう否定できなかった。


 扉の向こうからレムの声がする。


「アラン様。ルイ殿下がお呼びです」


「今から?」


「はい。礼拝堂の件と、ミリア様の件で」


 アランは苦笑した。


「兄上、絶対に説教する気だ」


「おそらく」


「レムは助けてくれる?」


「内容次第です」


「期待できない返事だね」


「正論であれば、ルイ殿下に同意いたします」


「君たち、本当に僕の味方?」


「もちろんです」


 レムは即答した。


 その即答がかえって重かった。


 アランは立ち上がり、外套を手に取る。


 礼拝堂でヴァルグと刃を交えた時よりも、なぜか今の方が少し気が重い。兄の説教と、ミリアの決意。その二つは、黒蛇の刃よりも彼の心を揺らしていた。


 だが、逃げるわけにはいかない。


 アランは扉へ向かう。


 王国の影は、確実に深くなっている。


 そして、その影の中へ、ミリア・ランバールという白薔薇が自ら根を下ろし始めていた。


 彼女が咲く場所を守るために。


 そして、彼女自身が折れずに立てるように。


 アランは、これまでとは違う覚悟を求められ始めていた。

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