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32話 ラウゼンの誓い

 地下記録庫を出た瞬間、地上の音が一気に近づいた。


 石の階段を伝って、怒号と剣戟、馬の嘶き、そして銀の笛の音が重なって響いてくる。先ほどまで地下の厚い壁に遮られていた戦場が、扉一枚を越えただけで現実の重さを取り戻した。


 ミリアは革筒を胸元に抱え、息を整えた。


 肩の傷は熱を持っている。膝にも鈍い痛みが残っていた。剣を握る手はまだ震えている。地下で人が倒れ、血が広がった光景も、頭の奥に焼きついたままだ。


 それでも、足は止めなかった。


 ここで立ち止まれば、守った意味がなくなる。


 イレオンが命を懸けて取り出したもの。エレナが屋根の上で笛を吹き続けている理由。ラウゼンの町民たちが恐怖を越えて動き始めた意味。そのすべてを、アランへ届けなければならない。


「ミリア様、先に私が出ます。通路にまだ敵が残っている可能性があります」


 ランバール家の護衛騎士が、血の滲む腕を押さえながら言った。


 彼も無傷ではない。肩口の鎧は裂け、盾には深い傷がいくつも残っている。それでも声は崩れていなかった。


 ミリアは頷いた。


「お願いします。ただし、無理に道を開こうとしないでください。私たちは戦うためではなく、届けるために戻ります。避けられる戦いなら、避けます」


 護衛騎士は一瞬だけ驚いたように彼女を見た。


 以前のミリアなら、ただ守られる側として指示を受けていただろう。だが今の彼女は違う。自分にできることとできないことを理解し、そのうえで進む道を選ぼうとしている。


「承知しました」


 護衛騎士は短く答え、階段を上がった。


 その後ろに、肩を毒針で傷つけられた影狼の隊員が続く。解毒は間に合っているが、動きは鈍い。彼は壁に手を添えながらも、ミリアの方を振り返った。


「ミリア様。敵が出た場合、私が止めます。その間に、あなたは革筒を持って広場へ向かってください」


「あなたはまだ傷が」


「影狼は、動けるうちは任務を果たします」


 彼の声は静かだった。


 ミリアは言い返そうとして、やめた。


 無茶を止めたい気持ちはある。だが、彼もまた守るためにここにいる。自分の覚悟だけを認めて、他者の覚悟を軽く扱うことはできない。


「では、私も任務を果たします」


 ミリアはそう言った。


 影狼の隊員が、かすかに目を細める。


 それは笑みだったのかもしれない。


 階段を上がりきると、庁舎の一階は先ほどよりも荒れていた。


 倒れた棚。割れた窓。床に散った書類。焦げた匂い。壁には刃の跡が残り、床板の一部には血が染み込んでいる。戦いはすでにこの場所を通り過ぎていたが、完全に安全になったわけではなかった。


 広場の方角から、低い爆発音が響く。


 ミリアは思わず身を強張らせた。


 窓の外に、黒煙が上がっている。


 ローデン商会の荷馬車が横転した場所だ。そこに積まれていた火薬と油、赤い魔石。町民たちが水と砂で消し止めようとしていたが、黒蛇の残党がそれを妨害しているのだろう。


 アランは、あそこにいる。


 ミリアは革筒を握る手に力を込めた。


「イレオン様は、ここから動けますか」


 振り返ると、イレオンは壁に手をつきながらも立っていた。顔色は悪い。だが、目だけは澄んでいる。


「行けます。私も、あの方にお伝えしなければならないことがある」


「無理はなさらないでください」


「無理をせねば、守れぬものもあります。ですが、倒れるほどの無茶はしません。あなたに怒られそうですからな」


 こんな状況でなければ、ミリアは少し笑っていたかもしれない。


 だが、次の瞬間、庁舎の奥の扉が蹴破られた。


 黒蛇の男が二人、煙の中から現れる。片方は短剣。もう片方は片刃の曲刀。二人ともすでに負傷しているが、目には焦りと殺意が混じっていた。


 黒蛇はまだ諦めていない。


 彼らの視線が、ミリアの胸元の革筒に向いた。


「それを渡せ」


 曲刀の男が低く言った。


「それは、お前たちが持っていいものじゃない」


 ミリアは剣を抜いた。


 護衛騎士が前に出ようとする。


 だが、短剣の男が横へ滑るように動いた。狙いは護衛ではない。ミリアでもない。後ろのイレオンだ。彼を人質に取れば、革筒を奪えると判断したのだろう。


 ミリアは反射的に動いた。


 剣で勝てる相手ではない。


 だから、通路を塞ぐ位置へ出た。


 刃を振るのではなく、身体ごと相手の進路を潰す。レムに教わった足運び。無理に止めようとしない。相手の進む先へ半歩だけ入り、選択肢を狭める。


 短剣の男が舌打ちした。


「邪魔だ」


「通しません」


 声は震えなかった。


 短剣が走る。


 ミリアは剣で受けた。重くはない。だが速い。金属音が弾け、手首に鋭い痛みが走る。続く二撃目は胸元を狙っていた。彼女は避けるのではなく、革筒を抱えた腕を引き、身体を斜めにずらした。


 刃が外套を裂いた。


 冷たい空気が肌を撫でる。


 浅い。


 まだ動ける。


 ミリアは歯を食いしばり、剣の柄で男の手首を叩いた。倒すには弱い。だが、短剣の軌道がわずかに逸れる。その隙に、影狼の隊員が横から飛び込んだ。


 彼は負傷した肩を使えない。


 だから、体当たりに近い動きで男を壁へ押しつけた。短剣が床へ落ちる。だが男も必死だった。膝で影狼の腹を打ち、腰からもう一本の刃を抜く。


 その刃が影狼の脇腹へ入った。


 鈍い音がした。


 ミリアの喉が詰まる。


 影狼の隊員は呻いたが、離れなかった。むしろ男の腕を抱え込み、逃がさないように全体重をかける。


「行ってください」


 彼は苦しげに言った。


「ここは止めます。革筒を」


「でも」


「届けるのが、あなたの任務です」


 ミリアは唇を噛んだ。


 助けたい。


 だが、ここで立ち止まれば、彼が命を張って止めている意味が失われる。


 護衛騎士が曲刀の男と斬り結んでいる。イレオンは壁際で踏みとどまっている。広場ではアランが戦っている。エレナの笛はまだ鳴っている。


 全員が、自分の役目を果たしている。


 ならば、自分も果たさなければならない。


「必ず戻ります」


 ミリアはそう言い、広場へ向かって走った。


 庁舎の扉を抜けた瞬間、熱と煙が押し寄せた。


 ラウゼンの広場は、もはや昼の町ではなかった。


 石畳には水が流れ、砂袋が積まれ、割れた木箱が散乱している。横転した馬車のそばでは、町の男たちが必死に火種を消していた。女たちは子どもを建物の奥へ誘導し、老人たちは水場の位置を叫んでいる。


 戦っているのは、影狼だけではない。


 ラウゼンの町そのものが、黒蛇に抗っていた。


 だが、黒蛇も後がなかった。


 残党は町の北側へ集まり、診療所と庁舎、そして広場の火薬箱を同時に狙っている。彼らにとって、呼応地図を奪えないなら、町を焼いて証拠を消す方がまだ意味がある。蒼狼の誓約が目覚めた町を、反乱の火元として王都へ報告することもできる。


 ミリアは煙の向こうにアランを見つけた。


 銀髪が、黒煙の中でもはっきりと見えた。


 彼は広場の中央で剣を振るっていた。黒蛇の者たちが三方から襲いかかる。アランは一人目の曲刀を受け流し、二人目の槍を踏み込んで潰し、三人目の斧を肩口でかわして斬り返す。動きは美しいが、優雅ではない。戦場の剣だった。


 彼の外套には血が飛んでいた。


 頬にも薄く傷がある。


 それでも目は揺れていない。


「アラン殿下!」


 ミリアは叫んだ。


 その声に、アランが振り返る。


 一瞬、彼の表情に安堵が浮かんだ。


 だが、すぐに険しくなる。


 黒蛇の一人が、ミリアの声に反応した。彼女が抱える革筒を見たのだろう。男は広場の端から進路を変え、一直線にミリアへ向かってきた。


 アランが動く。


 しかし、その前に別の黒蛇が斬り込んだ。足止めだ。


 ガイルが怒号を上げる。


「白薔薇の嬢ちゃんに近づくんじゃねえ!」


 大剣が唸り、男の進路を塞いだ。だが、敵は一人ではない。路地からさらに二人が飛び出す。黒蛇は革筒を奪うため、残った戦力をそこへ集中させた。


 ミリアは立ち止まらなかった。


 逃げるのではなく、動線を読む。


 右は火の残る馬車。


 左は倒れた荷箱。


 正面から来る男は短槍。


 背後にはイレオンと護衛がまだ庁舎内にいる。


 ならば、広場中央へ抜けるしかない。


 ミリアは荷箱の間を走った。


 短槍が横から突き出される。


 彼女は身を低くする。完全には避けられず、袖が裂けた。革筒を抱えた腕に衝撃が走る。それでも離さない。


 足がもつれる。


 転びかけた。


 その時、誰かが横から支えた。


 ラウゼンの老婆だった。


 先ほどまで戸口で震えていた老婆が、ミリアの腕を一瞬だけ押し上げ、黒蛇の視界を遮るように古い外套を投げた。


「行きなされ、白薔薇様」


 ミリアは目を見開いた。


「なぜ」


「笛が鳴ったからです」


 老婆は震える声で、それでもはっきりと言った。


「うちの祖母が言っておりました。銀の笛が鳴る時、町は膝をつくためではなく、立つためにあるのだと」


 ミリアの胸が熱くなった。


 礼を言う時間はない。


 彼女は頷き、再び走った。


 黒蛇の短槍が外套を裂く。その隙にガイルが割り込み、大剣で短槍ごと相手を薙ぎ払った。男は石畳に叩きつけられ、動かなくなる。


 アランがようやくミリアの前へ辿り着いた。


「ミリア嬢、傷は」


「動けます。それより、これを」


 彼女は革筒を差し出した。


 アランは受け取らず、まず彼女の目を見た。


「地下で何があった」


「罠がありました。黒蛇もいました。影狼の方と護衛の方がまだ庁舎に。イレオン様は無事です。けれど、この鍵を先に届けるべきだと判断しました」


 短くはない。


 だが、必要な情報はすべて入っていた。


 アランは頷き、革筒を受け取った。


「よく届けてくれた」


 その一言だけで、ミリアの胸に詰まっていたものが少し緩んだ。


 だが、休む時間はない。


 エレナの笛の音が不意に揺れた。


 診療所の屋根の上で、エレナが膝をついたのが見えた。長く吹き続けたせいで、限界が近いのだ。レムが彼女を支えているが、屋根の下からまだ黒蛇が登ろうとしている。


 イレオンが庁舎から出てきた。


 護衛騎士に支えられながら、彼は広場へ歩み出る。顔色は悪く、息も荒い。だが、彼の視線はアランの手の革筒に向けられていた。


「銀の御方」


 その呼び名に、広場の空気がわずかに変わる。


 町民たちがアランを見る。


 黒蛇も見る。


 アランは一瞬だけ目を伏せた。


 銀の髪。


 古い誓約。


 蒼狼の記憶。


 彼がここで一言命じれば、町は従うかもしれない。恐怖と伝承に押され、銀の髪の下に膝をつくかもしれない。


 だが、それでは違う。


 ルイの言葉が胸に蘇る。


 命じる前に話せ。銀の髪だから従え、ではない。王国のために力を貸してほしいと頼むのだ。


 アランは革筒を持ったまま、広場の中央へ進んだ。


 黒煙が流れ、銀の髪が揺れる。


 町民たちは息を殺して彼を見る。


 エレナの笛は、かすれながらも続いている。


「ラウゼンの皆さん」


 アランの声は大きくなかった。


 だが、不思議と広場に届いた。


「僕は、あなた方に従えと言いに来たのではありません。蒼狼の名を盾に、命を差し出せと言うつもりもありません」


 町民たちが黙って聞いている。


 イレオンは静かに目を伏せた。


「黒蛇は、この町を利用しようとしました。フォルン家を脅し、笛を奪い、火を放ち、あなた方を反乱者に仕立てようとした。今も、証拠を焼き、恐怖で町を縛ろうとしている」


 アランは剣を下ろさない。


 敵はまだいる。


 だからこそ、その言葉には現実の重みがあった。


「戦える者は武器を。火を消せる者は水を。子どもを守れる者は家へ。怪我人を運べる者は診療所へ。これは命令ではありません」


 彼は広場の人々を見た。


「王国の民として、ラウゼンを守るために、力を貸してほしい」


 沈黙が落ちた。


 一拍。


 二拍。


 それから、鍛冶屋の男が槌を握り直した。


「……俺は、火を消す。鍛冶場の砂も持ってくる」


 宿屋の主人が頷いた。


「うちは地下倉庫を開ける。子どもと老人を入れろ」


 老婆が震える手で胸元の護符を握った。


「古い言いつけが、まだ生きておりましたな」


 誰かが泣いた。


 誰かが走り出した。


 ラウゼンは、膝をつかなかった。


 立った。


 その瞬間、銀の笛の音が変わった。


 かすれ、途切れかけていた音に、町の鐘が重なったのだ。


 古い鐘楼から、低い鐘の音が響く。


 一度。


 二度。


 三度。


 エレナが屋根の上で顔を上げる。レムに支えられながら、彼女は涙を浮かべていた。


 イレオンが震える声で呟く。


「鐘守の家まで……覚えていたのか」


 アランの手の中で、革筒が淡く光った。


 中に収められていた呼応地図の鍵が、笛と鐘に反応している。


 アランは革筒を開いた。


 中には古い革紙と、銀の薄片が入っていた。イレオンが示すように銀の薄片を革紙の上へ重ねると、そこに刻まれた線が淡く浮かび上がる。


 完全な地図ではない。


 だが、途切れていた線が一つ、北へ伸びた。


 旧街道から山岳領へ。


 ラウゼンの先へ続く道。


 黒蛇が狩ろうとしていた蒼狼の末裔たちの、最初の輪郭。


 だが、その意味を読み取る時間はなかった。


 黒蛇の残党が、最後の突撃を仕掛けてきた。


 彼らも悟ったのだろう。


 このままではラウゼンを失う。


 呼応地図の鍵も失う。


 ならば、せめて銀の王子をここで傷つける。


 数は少ない。だが、殺意は濃い。


 アランは革筒をミリアへ戻した。


「これを守って」


「はい」


「今度は、僕が前に出る」


 ミリアは頷いた。


 そのやり取りに、もう余計な言葉は要らなかった。


 アランが踏み込む。


 銀の髪が黒煙を裂く。


 黒蛇の一人が槍を構えた。アランは正面から受けず、槍の柄を剣で押さえながら懐へ入る。刃が閃き、男が倒れる。二人目の曲刀が横から来る。ガイルが大剣で受け、石畳が鳴った。


「殿下、こいつらは俺が!」


「北側を塞げ。逃げ道を残すな」


「了解!」


 ガイルが笑い、大剣を振り抜く。


 レムは診療所の屋根から降り、エレナを町人へ預けると、すぐに広場へ戻った。黒髪が乱れ、頬には血がついている。それでも赤い瞳は冷静だった。


「アラン様、診療所側は確保しました。エレナ様は限界ですが、命に別状はありません」


「よかった。庁舎は」


「ゼイドが向かっています」


 その言葉通り、庁舎の入口ではゼイドが黒蛇の一人を斬り伏せていた。彼は倒れた影狼の隊員の脇腹を布で押さえ、短く何かを告げる。ミリアはその隊員がまだ生きていることを確認し、胸を撫で下ろした。


 戦いは長くは続かなかった。


 町が動き、影狼が押さえ、アランが中心を断つ。


 黒蛇の残党は、もはや形を保てなかった。


 最後の一人が北の路地へ逃げ込もうとした時、ラウゼンの若者たちが荷車を押し出し、道を塞いだ。男が足を止める。その一瞬で、ゼイドの刃が背後から届いた。


 静寂が落ちた。


 火は消えかけている。


 煙はまだ残る。


 地面には血があり、倒れた者もいる。勝利という言葉で片づけるには、あまりに重い光景だった。


 それでも、ラウゼンは燃えなかった。


 笛は止まった。


 鐘の余韻だけが、町の上に残っている。


 アランは剣を下ろし、広場に立つ人々を見た。


 イレオンがゆっくりと膝をつこうとする。


 アランはすぐに手を伸ばした。


「やめてください」


 イレオンは驚いて顔を上げる。


 アランは静かに首を振った。


「僕は、あなた方を膝で迎えさせるために来たのではありません」


「ですが、銀の御方。フォルン家は、蒼狼の伝令役として」


「ならば、立ってください。伝令役は、膝をついたままでは走れないでしょう」


 イレオンは言葉を失った。


 しばらくして、かすかに笑った。


「なるほど。確かに、その通りです」


 彼は膝をつかず、背筋を伸ばした。


 その隣に、エレナが町人に支えられて歩いてくる。顔は青白く、唇も乾いていた。だが、手には銀の笛を握っている。


「アラン殿下」


 エレナはかすれた声で言った。


「フォルン家は、命じられたから従うのではありません。ラウゼンを守ってくださったあなたと、王国のために、力を貸します」


 イレオンも頷いた。


「呼応地図は、まだ完全ではありません。ですが、笛と鐘が応えた今、次に辿るべき道は見えました。北の山岳路。その先に、古い誓いを守る家々があります」


 アランは革筒を見た。


 ミリアがそれを両手で差し出す。


 その手は傷だらけだった。


 アランは受け取りながら、低く言った。


「ありがとう、ミリア嬢」


「私は、届けただけです」


「その届けることが、今夜の戦いを決めた」


 ミリアは一瞬、言葉を失った。


 アランの声に、からかいはなかった。


 彼は本気でそう言っている。


 守られるだけではない。


 足手まといではない。


 今、自分の行動が確かに誰かの役に立った。


 その実感が、胸の奥に静かに広がった。


 だが同時に、血の匂いも消えない。


 倒れた影狼の隊員。斬られた黒蛇。泣く町民。消えかけた火。


 ミリアは、そのすべてを見たうえで頷いた。


「次は、もっと役に立てるようになります」


 アランは彼女を見た。


「無理はしないでほしい」


「無理と努力の違いは、レムさんに教わります」


 近くにいたレムが、ほんのわずかに目を伏せた。


「承知しました。かなり厳しくなりますが」


「覚悟しています」


 アランは困ったように息を吐いた。


 だが、その表情には以前のような拒絶はなかった。


 広場の向こうで、ラウゼンの町民たちが動いている。怪我人を運び、火を消し、壊れた荷車を片づけている。誰も歓声を上げない。勝利に酔う者もいない。ただ、それぞれが自分の町を守るために働いている。


 それが、アランには何より重く、尊く見えた。


 銀の髪に応じたのではない。


 彼らは、自分たちの意思で立った。


 それこそが、ルイの言葉の答えだった。


 アランはラウゼンの人々へ向き直った。


「ラウゼンは、王国に反乱した町ではありません。黒蛇に脅されながらも、最後まで自分たちの町を守った町です。僕が、それを証言します」


 町民たちが息を呑む。


 アランは続けた。


「ただし、黒蛇は必ず次の手を打ちます。今日ここで起きたことを、都合よく歪めて王都へ流すでしょう。だから、証言と記録を整えます。フォルン家、管理官庁舎、ランバール公爵家、影狼。そのすべてで、ラウゼンを守ります」


 イレオンが深く頭を下げた。


 今度は膝をつかない。


 立ったまま、礼をした。


「ラウゼンは、あなたに力を貸します。銀の髪だからではありません。あなたが、私たちを道具として扱わなかったからです」


 アランは何も言わなかった。


 ただ、静かに頷いた。


 その夜、ラウゼンの鐘はもう一度だけ鳴った。


 戦いの終わりを告げるためではない。


 眠っていた誓いが、再び息をしたことを告げるために。


 黒蛇は呼応地図を奪えなかった。


 フォルン家は折れなかった。


 ミリアは鍵を届けた。


 そしてアランは、初めて蒼狼の末裔から、自分の意思で差し出された協力を受け取った。


 だが、浮かび上がった道は北へ続いている。


 山岳領。


 古い軍旗の欠片が眠る場所。


 黒蛇が次に狙うであろう、蒼狼の誓約の先。


 ラウゼンの夜は、静かに更けていく。


 煙と血の匂いがまだ残る町で、銀の守護者と白薔薇は、次の戦いへ続く地図を手にしていた。


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