21話 最初の炎
夜の王都。
本来ならば人々が家路につき、酒場には笑い声が響き、街灯の光が石畳を照らす時間だった。
だが今夜は違う。
空気そのものが張り詰めていた。
影狼が動いている。
王都各所で密かに配置につき、黒蛇の動きを監視している。
アランは黒い外套を翻しながら王都南区へ向かっていた。
屋根から屋根へ。
月明かりの下を駆ける。
風が銀髪を揺らした。
その背後にはレム。
二人は言葉を交わさない。
長年積み上げた信頼がある。
必要な時だけ話せばいい。
やがて南区の救貧院が見えた。
古い石造りの建物。
昼間であれば子供たちや職員たちが行き来する場所だ。
しかし今は人影がない。
避難はすでに完了している。
ミリアが動いたからだ。
公爵家名義で行われた防火点検。
その過程で子供たちは別施設へ移送されていた。
アランは屋根の上から建物を見下ろした。
「間に合ったか」
レムが頷く。
「はい」
その瞬間だった。
救貧院裏手の路地。
黒い外套を着た男が現れた。
男は周囲を確認し、小型の魔道具を取り出す。
そして。
地面へ置いた。
青白い光。
刻印が浮かぶ。
次の瞬間。
轟音。
建物の裏手で炎が噴き上がった。
乾燥薬草。
保存紙。
布。
用意されていた火種へ一気に火が移る。
夜空を赤く染める炎。
だが。
「遅い」
アランが呟いた。
炎は広がらない。
広がるための燃料が消えていた。
昼間のうちにミリアが移送していたからだ。
男の顔が驚愕に染まる。
「な……!?」
計画通りに燃えない。
炎は小規模で止まっている。
その瞬間。
アランが飛んだ。
屋根から一直線。
まるで銀の流星だった。
男が剣を抜く。
だが遅い。
アランの一撃が男の手首を打ち抜く。
剣が宙を舞った。
男は後退する。
だが背後にレム。
逃げ道はない。
「確保」
「承知」
レムが一瞬で拘束する。
男は暴れる。
「離せ!」
「静かに」
レムの蹴りが腹へ入る。
男が沈黙した。
その頃。
商業区。
ガイルは盛大に暴れていた。
「おらぁぁぁぁ!!」
巨大な木箱が吹き飛ぶ。
火を放とうとしていた黒蛇構成員が壁に埋まった。
「だから言ったろ?」
ガイルは大剣を肩に担ぐ。
「俺が来た時点で諦めろってよ」
周囲では影狼隊員たちが次々と敵を拘束している。
火は上がった。
だが広がらない。
倉庫内の燃料が事前に移されていたからだ。
黒蛇の計画は崩れている。
旧水路方面でも同じだった。
リィナが屋根の上を駆け回る。
「こっち!」
影狼隊員が飛び出す。
逃げる男を捕まえる。
さらに別方向。
魔道具を運んでいた荷馬車も押収。
次々と火種が潰されていく。
黒蛇は困惑していた。
なぜだ。
なぜ計画が漏れている。
なぜ燃えない。
なぜ避難が済んでいる。
なぜ影狼が待ち構えている。
そして。
なぜ銀髪の王子が現れる。
その答えは一つだった。
黒蛇より早く動いた者がいた。
白薔薇。
ミリア・ランバールである。
その頃。
ランバール公爵邸。
ミリアは書斎で報告を受けていた。
「南区制圧」
「商業区も問題なし」
「孤児院側も被害軽微」
報告を聞きながら。
彼女は胸を撫で下ろす。
まだ終わっていない。
だが。
少なくとも子供たちは守れた。
救貧院も守れた。
避難計画は成功した。
すると。
窓が軽く叩かれた。
ミリアは驚く。
窓の外。
そこには一羽の黒い鳥。
影狼の伝令鳥だった。
足には小さな筒。
ミリアが開く。
中には短い紙が入っていた。
『火災拡大阻止成功』
『あなたの地図のおかげです』
『ありがとう』
署名はない。
だが誰が書いたか分かる。
アランだ。
ミリアの頬が少しだけ緩む。
「本当に……」
小さく笑った。
「こういう時だけ素直なのですね」
だが。
次の瞬間。
伝令鳥がもう一枚の紙を落とした。
ミリアは拾う。
そして。
表情が消えた。
そこに書かれていたのは。
『問題発生』
『黒蛇の本命は別』
短い文章。
だが十分だった。
ミリアの胸がざわつく。
火災ではない。
本命ではない。
つまり。
今夜の騒動そのものが囮。
黒蛇は別の何かを狙っている。
王都各地で火を起こし。
影狼を分散させ。
王城の警戒を薄くする。
その先にあるもの。
アランは立ち止まった。
拘束した男の懐から出てきた紙を見ている。
そこには。
一つの紋章。
蒼狼の紋章。
そして。
王都北西。
古王墓地。
建国王家の眠る場所。
その地図が描かれていた。
レムの顔色が変わる。
「まさか」
「ああ」
アランの青い瞳が冷たく光る。
「黒蛇の狙いは蒼狼軍だ」
夜風が吹く。
銀髪が揺れる。
建国王家の墓地。
蒼狼の誓約。
古の軍。
銀の守護者。
全てが一本に繋がろうとしていた。
そして。
黒蛇は今。
その封印へ手を伸ばしている。
アランは外套を翻した。
「レム」
「はい」
「本命へ行く」
「承知しました」
王都北西。
古王墓地。
誰も知らない建国の秘密が眠る場所。
そこで待つものは。
蒼狼軍の真実か。
それとも。
王国を揺るがす更なる陰謀か。
銀の守護者は夜を駆ける。
運命が大きく動き始めていた。




