「融合の失敗——一瞬だけ、来た」
G1・徳山サントリーカップ、三日目。準優勝戦。
朝のピットに、瀬戸内の風が吹いていた。バックストレッチの向こうに太華山が見えた。
出走表を確認した。
一号艇・赤崎雄大(山口支部・重爆撃型)
二号艇・速水光(徳島支部・物理特化)
三号艇・瓜生俊治(静岡支部・三重血脈)
「三人とも、SGスプリントの推薦枠を狙ってるっすよ」あかりが言った。「このレースで結果を出した方が、委員会の評価が上がるっすよ」
「分かってる」
光は朱雀のプロペラを指で弾いた。昨夜あかりが叩き直した直線特化型の刃先が、朝の光を鋭く反射した。
スタート前。ピットで赤崎が声をかけてきた。
「速水。昨日の第五レース、見てたぞ。バックストレッチでお前の朱雀が一瞬だけ別の顔になった。……あれは何だ」
「分からない」
「嘘をつくな」赤崎は光の右指を見た。「マブイが戻り始めてるんだろ。だが——」
赤崎は自分のチルト設定を指で示した。三度だ。
「物理と地脈を分けて使っている間は、俺のチルト三度には追いつけない。俺はどちらも同時に叩き込む。それがスプリントの走り方だ」
それだけ言って、自分のボートへ戻った。
光は赤崎の背中を見た。「同時に使う」——あかりが昨夜言ったことと同じだった。
「ピットアウト、六艇!!」
ファンファーレが響いた。朱雀が水面へ出た。
コース争い。光は二コースをキープした。赤崎が一コースへ。俊治が三コースに落ち着いた。
スタートラインへ向けて、三艇の殺気がぶつかり合った。
光は右指をレバーに当てた。「二」の地脈が、チタンフレームを通じて水面に届こうとしていた。今日は「同時に使う」——物理入力と地脈を分けない。朱雀の骨格が俺の骨格で、徳山の水が俺の地脈だ。
スタート——ゼロ。コンマ〇四。
赤崎がコンマ〇三で飛び出した。チルト三度の爆発的な出足だ。一コースから完璧なイン逃げ体制に入った。
光は二コースから差しにいった。右指が物理入力を送る。同時に「二」の地脈を——
来なかった。
物理と地脈が、バラバラに動いた。プロペラの回転数と地脈の感触が噛み合わない。一マークの旋回で、コンマ数度だけ外へ膨らんだ。
その隙間を、俊治が差してきた。
「三号艇・瓜生俊治、二コースへ!!」
俊治が光の内を抜けた。二番手に出た。
バックストレッチ。赤崎が先頭、俊治が二番手、光が三番手。
光はスロットルを絞り直した。物理だけで走る。地脈は忘れる——そう切り替えた瞬間、朱雀の伸びが戻ってきた。右指の傷跡が徳山の水面を読んだ。俊治との差が縮まった。
最終コーナー。光は揺りかごの形で俊治の外に被せた。プロペラの回転数を最大まで上げた。
コンマ数ミリ——届かなかった。
「二号艇・速水光、三着!!」
ピットに戻った。エンジンを切った。しばらく動かなかった。
「光くん……」あかりが来た。
「分かってる」光は言った。「物理と地脈を同時に使おうとして、両方が中途半端になった」
あかりはデータを確認した。
「一マークの旋回波形っすよ。物理入力と地脈反応が〇・〇三秒ずれてるっすよ。この差が膨らみになったっすよ」
「〇・〇三秒か」
「でも——」あかりは別の波形を指した。「バックストレッチの後半、ここだけ見てくださいっすよ。一瞬だけ、物理と地脈が完全に重なった瞬間があるっすよ」
光は波形を見た。確かにあった。ほんの一瞬だけ、二つの波形が完全に重なった点があった。
「あの瞬間、俊治との差が一番縮まったっすよ」
「あの一瞬が、ずっと続けば——」
「勝てる」
「はいっすよ」
俊治がピットの端に立っていた。光と目が合った。
「三着か」俊治は言った。批判ではない声だった。
「だが、あのバックストレッチの後半——あれが出続けたら、俺でも止められなかった」
「一瞬だけ来た」
「一瞬じゃ足りない」俊治は前を向いた。「明日の優勝戦で、その一瞬を、ずっと続けてみせろ。父たちの因縁は、そこで決める」
それだけ言って去った。
光は徳山の水面を見た。
物理と地脈を分けるな。朱雀の骨格が俺の骨格で、徳山の水が俺の地脈だ——その感覚が「〇・〇三秒のズレ」を埋めたとき、何かが変わる。
「ネ、明日だ」
ネが低く一声鳴いた。夕日が瀬戸内の水面を橙色に染めていた。




