第8話:熔界突破 ―― 光、地脈深層へ
熔界突破 ―― 光、地脈深層へ
下関競艇場、最終ターンマーク。
そこはもはや、水面ではなかった。勝元麻帆の《熔界》により、海水は真紅の泥濘へと変貌し、大気は熱量によってひび割れていた。
その地獄の中心。漆黒の玄武は、逃げる術を失い、紅蓮の泥の中に深く、深く沈みつつあった。
「勝元麻帆、臨界突破! 玄武、もはやこれまでかぁぁ!」
実況の叫びは、陽炎の向こう側へと消えていく。
光の指先は感覚を失い、肺に吸い込む空気すらも魂を沸騰させる熱波と化していた。装甲は赤熱し、構造材そのものが溶け出す寸前の断末魔を上げ続けている。
「……っ、重い……! 世界が……俺を溶かそうとしてくる……!」
地の「不動」と炎の「動」を完璧に融合させた、溶岩の王。麻帆が深紅の瞳を細め、死刑宣告を下す。
「光。溶岩は深淵すら溶かして進む。……お別れよ。私の熱の底で、永劫に沈んでいなさい」
麻帆が非情にスロットルを押し込む。玄武の機首が、どろりとした波間に沈んでいく。
だが、その絶望の淵で。光は瞳を閉じた。
(……いや、まだだ。まだ、本当の底じゃない)
脳裏に、ネの咆哮が。あかりの声が。
「光くん。地の本質は、受け入れること。地は、すべてを許し、育む苗床なんすよ」
溶かされ、崩れるなら。そのさらに奥、冷えることのない惑星の核まで沈めばいい。
光は、出力を「防御」から「同調」へと切り替えた。
「地は……揺れん。溶けても、焼かれても……俺は、すべてを抱いて浮上する!」
ド、ン――!!
玄武の船底から、漆黒の輝きが溢れ出した。地属性真奥義、《地脈深層・万物同化》。
麻帆の放つ破壊的な熱量を、光はもはや「拒絶」しない。その灼熱を自身の地脈へと強引に引き込み、冷たい土をマグマへと変えるための「糧」とした。
「速水光、万物同化……!? 熔界の熱を飲み込みながら、装甲が黒金へと再構築されている!」
「……熱を、喰ったというの!? 地属性に、そんな……!」
麻帆の瞳が、初めて本能的な恐怖に揺れた。
彼女がどれほど熱を高めても、光という「底なしの深淵」がすべてを吸い尽くしていく。熱を失った周囲の泥が瞬時に冷え固まり、光の前に一本の「漆黒の道」を造り上げた。
「丸山さんの風も、南野さんの炎も、全部俺の中に沈めてきたんだ。……あんたの溶岩だけ、残していくわけにはいかないだろ!!」
光が開いた瞳。そこには、数億年をかけて磨かれた黒ダイヤのような、静かな輝きが宿っていた。
「沈みきった……。ここからが、俺の『浮上』だ!!」
ガガガガガッ!!
機首が、熔界の核を真っ二つに叩き割った。
抵抗を溶かして進んでいた麻帆の横を、より巨大な「熱」と「重さ」を纏った弾丸が、地鳴りとともに突き抜ける。
「熔界突破ぁぁ!! 地脈の怪物が、女帝を飲み込んで突き進む!!」
麻帆は、ハンドルを握る力さえ忘れ、呆然とした。
負けた。
完成形を自負していた自分が、より底知れない「未完成の怪物」に、属性の根幹から塗り替えられたのだ。
「……光……。これが地属性の、『真実』なのね」
光は前を見据え、巨大な慣性のままゴールへと突き進む。
「まだや。俺はまだ、沈んでる途中や……。この走りの先に、本当の出口があるから」
その言葉は、麻帆の胸にこれまでにない救いを与えた。
完成していない。だから、どこまでも強くなれる。
下関のゴールライン。
伝説の男の息子の初陣は、日本列島の地盤を揺らすような誇り高き地鳴りとともに、幕を閉じた。
表彰台の上、光は空を見上げる。父の黄金の光はもう、眩しくはない。
足元の、この黒い大地が、何よりも熱く自分を支えてくれているから。
大地の底から、伝説は産声を上げた。




