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からくり競艇【白銀の波切り、魂のフルスロットル】  作者: 水前寺鯉太郎
第一部 下関ルーキー編

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8/99

「大地の目方」

 二〇五二年、四月。第六レース、運命の最終周回。

 カウリングが、激しく噛み合っていた。

 火花が散る。マグマが飛沫と化す。

 時速九十キロの鉄塊同士が互いの肉体を削り合い、海峡の水面がめくれ上がっていく。実況の声は完全に割れ、スタンドの一万人は呼吸の方法を忘れていた。


「溶岩はその下にある」


 勝元麻帆の声が、エンジンの轟音を突き抜けて響いた。

 静かだった。敗北の戦慄に震えたままの手で、それでも真っ直ぐに前を向いている絶対女王の声。

「地球の肺腑を流れる、生きた灼熱を知りなさい」

 海水がジュウと鳴き、赤黒い泥土へと変質していく。第一ターンマークが、本物の火口へと変貌した。

 ヘルメット内の酸素警告が狂ったように鳴り響き、マブイ計の筐体が熱で皮膚に貼りついてくる。玄武の船底が溶岩の沼に吸い込まれ、ステアリングが強固に固定された。


「光くん、船底が溶け落ちるっす、引いて――!」


 インカムから響くあかりの声が、遠ざかる。

 脳裏をよぎるのは、偉大なる父・速水誠の冷徹な幻影。光はそれを笑い飛ばさなかった。笑えるほど、己の背負う質量は軽くはない。


 ただ――その呪縛のすべてを、エンジンを回すための極上の燃料へと変えた。

 その瞬間、足首に凄まじい圧力を感知する。

 ピット裏から、相棒「ネ」の遠い咆哮が鼓膜を、骨の奥の髄まで震わせた。それだけで十分だった。根が、地球の最深部と繋がった。 


 溶岩のさらに底。光は足の裏で、大地の意志を感じていた。

 根ではない。根よりも深い、圧倒的な圧力の奔流。灼熱の下、岩盤の下、マントルの下――この地球という惑星の中心が、光という一人のレーサーを通じて、下関の水面に触れようとしていたのだ。


「麻帆さん」


 光は前を見据えたまま、地鳴りの如く声を絞り出した。


「あんたの溶岩の下には、いつだって俺の地面があるんだよ」 


 船底から禍々しい黒い光が溢れ出た。

 南野杏奈の炎を喰らった地脈が、麻帆の「熔界」を丸ごと飲み込んでいく。泥土が急速に冷え、固まり、踏み砕かれるのを待つ黒曜石の岩盤へと変質していく。


「――また」


 麻帆の声が、激しく揺れた。


「また、私の熱を足場に……!」 


「足場じゃない」


 光はスロットルレバーを、限界のその先まで引き絞った。


「土台だ。あんたの熱が深ければ深いほど、俺の根はどこまでも届く!」


 最終ターンマーク。

 漆黒に輝く黒曜石の道の上を、玄武のプロペラが火花を散らして猛烈に削りながら旋回する。麻帆の艇が狂暴に競り合い、二つの質量が海峡の全空間を圧殺していった。


 骨が軋む。視界が白む。

 だが、足の裏には地球の核の圧力が確かに残っていた。それだけで――世界をねじ伏せるには、十分すぎるほど足りた!


 コンマ数ミリ――。漆黒の機首が、真紅の魔戦艇を力任せに前へと突き放す。


「パァンッ!!」


 ゴールブイが、右舷を鋭く掠め去る乾いた音が一度だけ鳴り響いた。

 一着、ゴールイン!

 実況の声が興奮で激しく裏返り、一万人の歓声が巨大な波となってスタンドを揺らす。


 光はゆっくりとスロットルから手を離し、手甲で顔の血を拭うと、ヘルメットを力任せに脱ぎ捨てた。

 勝った。それでも、偉大な父の顔は浮かばない。骨の底の火は、消えてはいない。


 だが、それでいい――消えない反逆の火があるからこそ、俺は次なる根を張れる。

 水面から救助艇で引き揚げられた勝元麻帆が、濡れた漆黒の髪のまま、下関の空を見上げていた。

 怒りでも、悔しさでもない。ただ、その瞳の奥は、静かに――激しく燃え盛っていた。


 光はその顔を見た。麻帆は光を見なかった。ただ、握り締めていた己の両手を、ゆっくりと開く。その指先の震えは、完全に止まっていた。


「……次は」


 麻帆の声は、遥か遠い深淵へと向かっていた。 


「もっと深くに来なさい、速水光」


 ピットに戻った光の足元で、ネが低く、誇らしげに一声だけ鳴いた。

 光は空を見上げる。関門海峡の上、四月の空は、どこまでも青く、高く、突き抜けていた。

 父親がかつて、この同じ空の下をどんな思いで走ったのか、光はまだ知らない。


 知らないまま――骨の底で、命懸けの問いが、ドクドクと不気味に燃え続けている。


「……次は、どこだ」


 その飢えた問いだけが、重力の王を、まだ見ぬ次なる戦場へと突き動かしていく。


(下関ルーキー編、完。大村戴冠編に続く)

【速水光 第1部・全戦績リポート】

対象期間: 2052年4月(下関ルーキー特別選抜シリーズ)

所属: 山口支部 / 登録番号:型式未登録(B2級・デビュー期)


【期別成績(第1部終了時点)】

勝率 8.86 記念級レーサーすら凌駕する驚異のSG水準

2連対率 100% 出走レースすべてで連対

3連対率 100% 同上

事故率 0.00 不良航法、待機行動違反、Fフライング一切なし

出走回数 2戦 予選特賞(第3話) / 優勝戦(第4〜8話)


【機力・マブイ設定】

使用艇: 『玄武』(4号艇・漆黒の重装からくり艇)

搭載機関: 地脈連動型(型式登録なし / 野田あかりの命名案を本人が頑なに拒否)

最大マブイ出力: 計測不能(測定装置はERRORを吐き出し沈黙する)

チルト設定: マイナス限界固定(-0.5度を超えた未知の領域。地球の核を錨とする)

【他者からの呼称・異名】

『下関の地脈使い』 ―― 古参骨董舟券師、および地元山口支部のレーサー間

『黒い四枠』 ―― 大村関係者、および全国のスカウト・番組編成委員間

『速水誠の息子』 ―― 本人が最も嫌う、磔台の如き呪いの焼き印

◆ 下関ルーキー特別選抜・全レース詳細

【予選第7レース:予選特賞】(第2話・第3話)

進入コース: 4コース(4号艇)

展示タイム: 6秒02 / 回り足評価: ERROR(測定不能)

スタートタイミング: .95(出遅れ失格寸前の極限デッドライン)

決まり手: 抜き(超重量圧成によるインコース強行突破)

着順: 1着

【戦況ログ】

満潮から干潮へと潮が急激に引き変わる、魔の転換期。風の結界を張る1号艇・丸山優奈が「大気を床に跳ぶ」空中戦術を見せる中、4号艇・玄武はコンマ95という驚異的な超遅スタートから覚醒。二万のマブイで水面そのものを地獄の底へと押し潰し、優奈の無重力結界を粉砕。2コースから炎の壁を張った南野杏奈の複合連携ごと上空からの重力波で圧殺し、誰も見たことのない極大の重力航跡を刻んで突き抜けた。

【第12レース:優勝戦】(第4話〜第8話)

進入コース: 4コース(4号艇)

スタートタイミング: .12(覚醒を証明する鋭いスリット)

決まり手: まくり差し(※「恵まれ」から変更:超高圧重力冷却による黒曜石のターンのロジックに準拠)

着順: 1着(シリーズ完全制覇)

【戦況ログ】

2周目バックストレッチ、南野杏奈の「剥き出しの純粋な炎」を重力波で強制吸収し、玄武はさらなる圧倒的な質量を纏う。最終ターンマーク、下関の絶対女王・勝元麻帆の絶対奥義「極熔・大炎上」により水面は本物の溶岩の海へと変貌。

激突の衝撃で地脈との「根」が一時消失する絶望の淵に立たされるも、ピット裏の相棒「ネ」の咆哮により、父と母の記憶を宿す新たな根が覚醒。二つの巨大な熱量を重力波で一括吸収・冷却し、溶岩を「黒曜石の結晶」へと瞬時に変質させ、完璧な一本の土台(滑走路)に変えて完全圧殺。コンマ数ミリの差で真紅の魔戦艇を突き放し、新たなる重力の王の誕生を告げた。



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