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からくり競艇【白銀の波切り、魂のフルスロットル】  作者: 水前寺鯉太郎
第二部 下関戴冠編

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「大地の飢え」

第二部:下関戴冠編

第8話「大地の飢え」

 デビュー戦の衝撃的な勝利から一週間。

 下関競艇場のピットは、表面上の静けさを取り戻していた。だが、速水光の体内では、あの日以来一度も止まることなく、不気味な超重低音が鳴り続けていた。

 ――ズシン。……ズズズズズン……。

 心臓より重く、地底の巨獣が苛立つような空間震動。

 光はメンテナンス中の愛機「玄武」を凝視していた。漆黒の装甲に赤茶色の亀裂が走り、そこから制御不能のマブイが陽炎となって漏れ出している。

「……鉄が、泣いているな」

「光くん、今すぐそこから離れてっす!!」

 工具箱を抱えた野田あかりが駆け寄る。

 その顔は青白かった。普段のノリとは違う――本物の技術的戦慄が、その瞳に張り付いている。

「暴走か」

「それ以上っす! マブイ伝達値が二万二千を突破して過剰熱圧を起こしてる! 最終戦で下関の深層地脈を引き摺り出した代償っすよ! 機体が地球の熱を吸い込みすぎて、回路の制御が完全に崩れてる。光くんの地属性が今、『大地の飢え』に喰われかけてるっす!」

「飢え」

「もっと深く沈め、もっと熱を喰わせろって――関門海峡の地脈そのものが、光くんの魂を底へ引っ張ってるっす! このままじゃ、次のレースに出る前に回路ごと肉体が焼き切れるっすよ!」

 光の足元のコンクリートに、ピキリと細い亀裂が走った。

「……あなたの底が、開きかけているわね」

 背後の闇から、勝元麻帆が静かに歩み出てきた。

 黒髪の先に宿る真紅の光が、溶岩のように揺らめいている。その高密度の熱圧に当てられたかのように、あかりの計測タブレットが警告音を上げて画面を落とした。

「どういう意味だ」

「地脈には階層がある。浅層、中層、深層――あなたが最終戦で触れた場所。あるいは、そのさらに先に、生身の人間が触れてはならない底がある」

 麻帆は光の黒曜石の瞳を真っ直ぐに見据えた。

「一度呑まれれば、自意識を失い、物言わぬ岩礁として土に還るわ」

 一息、置いた。

「……あなたの父親、速水誠は、その重さに耐えかねて空へ逃げたのよ。黄金の翼を造って、地から離れることを選んだ」

 光は、何も言わなかった。重苦しい沈黙が、ピットの空気を支配する。

 その僅かな時間の間に、光の胸の内で問いの形が、静かに変わっていった。

 ――なぜ俺を見なかったのか、というかつての幼い問いが、過酷な事実の刃となって胸を刺す。

(親父も……この同じ重さを背負って、狂いかけていたのか)

「……あんたは、なぜそれを知っている」

「私の師は、あなたの父と同じ水面を走った。それだけよ」

 麻帆の声はどこまでも静かだ。だが、その静寂の底には確かに火があった。

 光の瞳に、怒りではない、何か別の火がパチリと灯る。

「……上等だ。親父が逃げたなら――俺はその泥沼の底の底まで、沈んでやる」

「面白いわ」

 麻帆の薄い唇が、わずかに歪んだ。

「呑み込まれる前に、その底を支配してしまえばいい。案内してあげる。下関郊外、関門層群の旧鉱区から伸びる廃道――地下数百メートル、封鎖された地底破砕帯の先に、地脈が集束する聖域がある。『地脈の洞』よ」

 閉ざされたピットに、鋭い風が唐突に吹き込んだ。

「……そんな面白そうな話を、二人だけで進めるつもり?」

 丸山優奈が立っていた。

 純白の調整着が冷たい風に揺れている。その灰色の瞳が、静かに光の心を射抜く。

「丸山さん。これは地の属性の問題だ」

「あなたが世界の重さに揺れるなら、私がその揺らぎごと抑え込む」

 優奈は一歩、光の方へと詰め寄った。

「あなたの風を折った責任くらい、取るわ」

「待て待てぇい!」

 赤髪を激しく爆発させて、南野杏奈が強引に二人の間へと飛び込んできた。

「光、そんな暗い顔は似合わんぞ! あんたの凍りついた地脈ごと、うちの炎で温めたる! うちら、もう水面で魂をぶつけ合った仲じゃろがい!! 暗い地下に行くんなら、うちの炎で一寸先まで照らしたる!」

 光は三人の顔を、順番に見つめた。

 優奈の頑固な灰色の目。杏奈の真っ直ぐな琥珀の目。そして、麻帆の、すべてを見透かすような真紅の目。誰も、一歩も引く気のない、本物のレーサーの目だ。

「下関戴冠戦、そしてその先の大村全国新人リーグ開幕まで、あと十四日っす!」

 あかりが強制再起動したタブレットを、白くなるほど握りしめて声を上げた。

「それまでに底の重力を制御できないと、光くんのマブイ・サーキットが内側から本当に焼き切れるっすよ!」

 十四日。

 光は、自分の黒く焦げた右拳を見た。ERRORを表示し続けるマブイ計の筐体が、酷使された皮膚に貼りついて剥がれない。

 父は空へ逃げた。同じ重さを背負って、逃げた。それが正解だったのかどうか、今の光にはまだわからない。

 ただ――この男に、逃げるという選択肢は最初から存在しなかった。

「行くぞ」

 光が、暗闇の奥へと最初の一歩を踏み出した。

 足の裏には、どこまでも重く、どこまでも確かな、地球の目方があった。

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