第9話:炎のコスプレバレ ―― 南野杏奈
炎のコスプレバレ ―― 南野杏奈
劇的なデビュー戦から数日。下関競艇場のピット裏には、あの日刻みつけられた熱狂の余燼が、重い湿気とともに澱んでいた。
速水光は、技師・野田あかりから「玄武の部品を探してこい」と放り出され、レース場最果ての第4資材倉庫へと足を向けていた。
錆びついた鉄扉。その隙間から、聞き慣れた「暴力的な熱量」を伴う声が漏れる。
「……よし。今日の杏奈は、一番熱い。このマブイの残光、自撮りでも逃さんけんな……」
光は首を傾げた。「南野さん……?」
返事を聞く前に、鉄扉がキィと悲鳴を上げて開く。
埃に塗れたオイル缶の山。その中央。
一人の少女が、劇画的な見得を切っていた。
燃える赤髪、琥珀の瞳。そこまでは南野杏奈だ。だが、その身体を包むのは、情熱的なフリルが何層にも重なった真紅のドレス。肩口のクリアパーツからは、本物の火の粉が蛍のように溢れ、背中にはマブイで織り込まれた「火竜」の紋章が脈動している。
完全な静寂。
重いオイルの匂いを、彼女が纏うスパイシーなサンダルウッドの香りが、力尽くで塗り替えていた。
「……南野さん。それ……」
「み、見んなやああああああああああああああ!!!!!」
ドォォォォォン!!
絶叫とともに、杏奈から本物の火柱が爆ぜ、倉庫の鉄壁が軋んだ。
「なんで光がここにおるんじゃああ! これは違う、いや違わんけど、高尚な自己表現じゃ! 見るな、網膜を焼けぇぇぇ!!」
顔を沸騰寸前まで赤くし、衣装の裾を隠して地団駄を踏む杏奈。
「落ち着け。俺は部品を……。というか、それ『烈火の聖女』のコスプレか? 刺繍の密度が尋常じゃないな」
光の「地」の観察眼が、無自覚に衣装の細部を捉える。
「……言い訳すんな! うちの秘蔵の姿を見たからには、記憶を消して死ぬか、今すぐうちの専属カメラマンになるか選べぇぇ!」
「極端やな。……でも、ええと思うで」
光の静かな声に、杏奈の熱が、一瞬だけ凪いだ。
「……え?」
「南野さんは熱すぎるから、レース以外でもそうやって『形』にせんと、身が持たんのやろ。……そのドレス、南野さんの炎を一番綺麗に支えてる。めちゃくちゃ、似合っとるよ」
「そ、そんな真っ直ぐ言うなや……。うちの心臓、直火で焼けるじゃろが……」
その時、倉庫に涼やかな風が吹き込んだ。
「杏奈、次のポーズを……あら、光くん。悪い子ね、覗き見なんて」
純白のシフォンを纏った、風の妖精――丸山優奈がそこにいた。彼女の周囲だけ重力が消失し、スカートの裾が優雅に浮遊している。
「丸山さんまで……。東京の天才と徳島の暴れ馬が、撮影会か?」
「光くん。今日見たことは、関門海峡の底に沈めてもらうわよ?」
優奈が光の耳元で囁く。その声は涼しいが、踏み出した一歩はわずかに震えていた。
「光にだけは見られたくなかったんじゃ……。泥臭い地のあんたに、こんなフリフリな姿……」
杏奈が消え入りそうな声で吐露する。
「南野さん。何かに全力になれるのは、誰に笑われることでもない。俺は、その姿も『南野杏奈』やと思う。……また、見せてや」
杏奈の顔が、今度こそ物理的な限界を超えて紅蓮に染まった。
「……光のくせに……。好きになってしまうじゃろが、バカ……っ!」
「……杏奈、マブイが共鳴して、今の心の声、全部聞こえてるわよ」
「うわあああああああああああああ!!!」
倉庫の外。
戻ってこない光を待ちわびる野田あかりが、スパナを弄びながら不機嫌そうに呟く。
「遅いっすね、光くん……。また、変な『地脈』でも掘り当てたっすか?」
物語は、戦いと、そして甘すぎる熱波を孕んで、加速していく。




