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からくり競艇【白銀の波切り、魂のフルスロットル】  作者: 水前寺鯉太郎
第五部 鳴門王座特区戦編

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「師を底から穿つ——三十九号機が、静かに冷えていた」

 三月、SG『鳴門王座特区戦』、予選四日目――運命の最終日。 


「光くん、三十九号機のピストンリング、朝の極寒の冷気に合わせてコンマ〇二ミリだけ限界までタイトに組み直したっす。シリンダーの密閉性は今、全五十二基の中で完全にトップ。……立ち上がりの最初の『押し』の目方は、誰にも負けないっすよ」


「ありがとう、あかりさん。最高の相棒だ。行ってくる」


 光は冷徹なトーンのまま頷き、漆黒の玄武のコクピットへと深く深く滑り込んだ。

 予選最終日、勝負駆けの第十二レース。枠番が電光掲示板に厳格に並び立つ。


一枠:香芝 大二郎(徳島・A1)波濤

二枠:速水 光(徳島・A2)地脈

三枠:成宮 涼(大阪・A1)鉄塊

四枠:繁野谷 拓(長崎・A1)潮騒


 大時計の針が回り、スリットラインに向けて全艇が突入する。

 スタート――ゼロ。タイミングは大二郎コンマ〇四、光コンマ〇三。極限のタッチスタート。


「そう簡単に行かせんぞ、光ぃぃッ!!」


 インから旋回を切った一号艇・大二郎の《波濤》のマブイが爆発的な質量となって水面に現出した――逃げる王者の航跡が巨大なコンクリート壁のような引き波となって、光の進路を完全に塞ぎにかかる。そこへ、昨日の大敗のプライドを黒い殺気へと変えた三枠の成宮が、文字通りハイドロを鉄の塊に変えて強烈なダンプ(衝突旋回)を敢行してきた。


「昨日のお返しや! 大地ごと木っ端微塵に砕け散れッ!!」


 師匠の放った本物の海の波濤と、サイドから迫る成宮の強硬な鉄の塊。

 完全に左右を挟まれた。退路も、逃げ場も一ミリもない――その絶望の一瞬の断層の中で、光の電子頭脳は一つの閃きを出力した。

 大二郎師匠から授かった『揺りかご』の受容は、衝撃から「逃げる」ための盾ではない。その圧力を正面から受け止め、己の「根」の目方にするための数式だ。ならば――。


 光は冷徹にステアリングハンドルを右へと切り、迫り来る成宮の艇の方角へと、あえて玄武の機首を真っ真っ直ぐに向けた。

 激突の、その刹那。

 三十九号機のクランクから放たれた大地の超重量が、成宮のダンプの持つ凄絶な運動エネルギーを、大鳴門の水底の岩盤へと丸ごとアース(重力吸収)した。衝撃のすべてが強固な足場(根)へと反転する。

 その吸収した反動バネを利用し、玄武は前方へと爆発的に弾け飛んだ。成宮の質量をハッキングして上乗せした目方が、大二郎の張った絶対の波濤の底を、一文字に穿ち、貫いていく。


「二号艇・速水光、一マークの圧殺包囲網をハッキングして単独先頭ォォッ!! 師匠・香芝の絶対の波濤を、その底から完全に穿ち撃ち抜いた――ッ!!」


 一着。

 これ以上ない完璧なカタチでの、師匠超えの戴冠。

 ピット裏へと戻り、揚艇機で引き揚げられた玄武の元へ、あかりがノートPCを抱えて駆け寄ってきた。


『光くん! 完璧っす! 完璧すぎる、アタシたちの理想のラリーだったっすよ……!!』


 あかりがいつものように三十九号機を受け取った、まさにその瞬間。

 彼女の柔らかな手のひらに、カウルの奥のクランクシャフトから、不気味で微細な振動が直接伝わってきた。


 ――チ、チ、チ。


 金属の深層へと、破滅的な亀裂クラックが確実に、そして冷酷に進行している時計の音だった。

 あかりはハッと血の気の引いた顔を上げた。前方では、光がまだカポックを着たまま、大二郎と静かに戦走の総括を交わしている。


 言えない――準優勝戦の一号艇を掴み取った今、この壊れかけの心臓のデータだけは、レーサーである光くんにだけは絶対に言えない。


 あかりは震える手でタブレットを開き、明日の準優勝戦、あの極限の負荷がかかる第一マークの旋回まで、この心臓が物理的に「持つか」という絶望的な耐久計算を一人で始めただ。


「がはは! まさかわしの放った本物の波濤を、その底から強引に穿ち抜くとはな。光、お前にはもう、このわしが教えられることは何一つとして残っていないかもしれんぞ」


「いえ、大二郎師匠」


 光はヘルメットを小脇に抱え、その琥珀色の瞳を見据えて低く言った。


「俺はまだ、この大鳴門の獰猛な潮のすべてを完全に掴み切ったわけじゃないです」


 大二郎は一瞬だけ呆然とし、それから嬉しそうに、地鳴りのような声を響かせて豪快に笑った。

 予選得点率、堂々のトップ通過。

 明日の準優勝戦『一号艇・白の勝負服』の絶対的権利が確定した。


 選手宿舎の薄暗い窓から、光は遠く離れた方角の黒い地平を見つめた。

 地を捨てて空へ逃げた父・速水誠は――かつて、現役時代の全盛期、師を超えたという評価を周囲から受けた夜に、その胸の奥で一体何を感じていたのだろうか。


 自らの血を引く息子が残した、この最高峰のSG予選トップ通過という戦走ログを見て、あの男は何を想うのか。

 やはり、確定の答えのログは出力されない。


「ネ、明日だ。明日、いよいよ準優勝戦のゲートが開く」


 足元でネが、主人の回路の再駆動に同期するように、低く一声だけガルルと鳴いた。

 光の手の下で、今日すべての限界を使い切った三十九号機の鉄の肌が、不気味なほどに静かに、冷たく冷え切っていった。

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