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からくり競艇【白銀の波切り、魂のフルスロットル】  作者: 水前寺鯉太郎
第五部 鳴門王座特区戦編

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「黄金の混ざり——父の輝きが、俺の中にある」

 三月、SG『鳴門王座特区戦』、予選三日目・第八レース。

 西傾した強烈な太陽が、大鳴門の荒ぶる海面をギラギラとした不気味な黄金色に染め上げていた。

 秒単位で激変する潮位と死の流速がピット裏の電子画面に明滅する中、ついに最終番組(枠番)が発表された。


一枠:西野 和正(福岡・A1)真空

二枠:速水 光(徳島・A2)地脈

三枠:繁野谷 拓(長崎・A1)潮騒

四枠:大峯 大輝(佐賀・A1)感涙


「親父ぃ!! なんで絶好枠の一枠にあの怖い和正君がおるとね! もうレースなんか止めて、今すぐ佐賀に帰ってお茶漬け食べたいばい……アロハァ……ッ!?」


 大輝がピット裏でアロハシャツの袖を涙で濡らしながら絶叫する。

 彼の流した大粒の涙が十二号機のカウルへと吸い込まれ、四コース周辺の大気圧と湿度が異様なまでに上昇していく。

 対する一枠の和正は完全な無言だった。彼の操る六十四号機の周囲だけが、世界からすべての音波を吸い尽くしたかのように、不気味に静まり返っている。

 大時計の針が動き、号砲が鳴る。


 スタートスリット――和正コンマ〇九、光コンマ一〇、大輝コンマ〇八。

 第一ターンマーク。

 最内からイン旋回を切った和正が、即座にあの《真空》の領域を展開した――内側の全マブイの質量を強制的に吸引する虚無の罠。光の電子頭脳は、即座に玄武の出足トルクが不気味に鈍る致命的なエラーを検知した。


 だがその瞬間、三枠の長崎の雄・繁野谷が動いた。大村湾の底鳴りを伴った強固な《潮騒》のマブイが水面へ放たれる――超高密度に圧縮された海水粒子がうねりとなって広がり、和正の作り出した真空の空白地帯へと力任せに割り込んで、その空間を強硬に埋め立てていく。


「真空か。……だがな若造共、この長崎の何十年も積み上げた海の潮騒を、甘く見るなよ」


 和正の計算式から、絶対の真空が乱れた。

 光はその一瞬のバグの隙間へと、漆黒の玄武を冷徹に突き刺した。前夜、あかりと共に朝まで叩き直した三十九号機の狂暴な低速トルクが、和正の真空と繁野谷の潮騒が激突して生まれた混沌のエネルギーを真っ二つに貫く。


 『揺りかご』の受容が、その二大トップランカーの衝突の圧力をそのまま己を前へと押し出す強固な地盤(根)へと書き換えた。


「二号艇・速水光、神々の激突の間隙を完全にハッキングして単独先頭ォォッ!!」


 一着。あの西野和正を二着に抑え込む、完全なる大金星だ。

 ピットへ戻り、ハイドロを引き揚げると、あかりがノートPCを抱えて狂喜乱舞しながら駆け寄ってきた。


『光くん! すごいっすよ! 予選道中、これでSG一日二勝っすよ!』


光は何も言わず、静かにエンジンを切った。

 笑顔のあかりが、いつも通り三十九号機の内部ログを検証するため、タブレットに詳細データを吸い上げる。

 その瞬間、彼女の細い指先が、見たこともないほどに完全に凍りついた。


 画面に表示された、最悪の警告エラー


 ――『ピストンクリアランス、許容限界突破・計測不能(赤文字)』。


 光の放つあまりにも巨大すぎた超重力マブイの負荷に耐えかねて、前夜に同調を直したばかりのシリンダー最深部に、破滅的な金属疲労の亀裂クラックが入り始めていたのだ。このまま次のレースで出力を上げれば、モーターは水上で粉々に爆発四散する。

 あかりは、光に気づかれぬよう、血の気の引いた顔のまま素早くタブレットの画面を閉じた。


 カウルの向こうでは、光がまだ他支部のレーサーたちと冷徹に戦走の総括を交わしている。

 言えない――準優勝戦への切符をかけた今、この残酷なメカニカルの寿命バグのデータだけは、レーサーである光くんにだけは絶対に言えない。

 光の真横で、福岡の西野和正が静かに足を止めた。


「……速水。お前のあの地脈の旋回……ほんの一瞬だけ、あの速水誠の領域である『黄金』の輝きが混ざり始めたな。……だが、次だ。次の決定戦では、俺の真空の中にお前の大地の塵一つ残さず吸い尽くしてやる」


 光はその冷酷な宣戦布告を、脳内の回路に静かに刻み込んだ。

 父の遺した、あの絶対王政の『黄金』が――今、俺の地脈の中に現出し始めている。

 地を捨てて空へ逃げたあの男は、かつてその黄金の頂点から、俺のこの現在の足場を知っていたのだろうか。

 その問いが脳裏の回路を過り、そして静かに消えていった。


「ああ」


 光はヘルメットを小脇に抱え、和正の目を真っ直ぐに見据えて言った。


「次も、その真空ごと俺の地脈で埋め立ててやる。受けて立つ」


 和正が去った後、光は引き上げられた三十九号機の無骨なカウルに、そっと手のひらで触れた。

 今日、また己の限界の先まで、この相棒を使い倒してしまったという確かな違和感。


「あかりさん。明日、いよいよもう一走、準優勝戦だ」


「……はいっすよ、光くん」


 あかりは無理に作った、いつもと全く変わらないエンジニアの笑顔を光へと向けてみせた。その細い手のひらには、昨夜から続くあの鉄のスパナの赤い跡が、痛々しいほど深く刻まれたままだった。

 足元でネが、その機体の悲鳴とあかりの沈黙の目方をすべて察知したように、低く悲痛な声で一声だけガルルと鳴いた。

 黄金色から深い漆黒へと書き換わっていく大鳴門の夜空が、破滅と栄光の準優勝戦を待ちわびるように、不気味なほど静かに広がっていた。

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