「父の時代の子どもたち——問いが、個から時代へ広がる」
三月、SG『鳴門王座特区戦』、ついに迎えた予選初日。
大鳴門競艇場のピット裏には、うららかな春の陽光が差し込み、穏やかな海面に白く、眩しく反射していた。
だが、そののどかな景色とは裏腹に、ピットの一角には異様な熱圧が立ち込めていた。
佐賀支部の大峯大輝が、またしても派手なアロハシャツを羽織ったまま、ボロボロと大粒の涙を流して泣いていたのだ。その足元のコンクリートが、じわじわと熱泥へと融解しかけている。
「……相変わらず、耳障りで騒がしいな」
熱泥の地熱を強引に圧殺するような、全身の毛穴が凍りつく冷徹なマブイが近づいてきた。
福岡支部――西野和正。
かつて光が下関の水面で対峙した、あの爆炎レーサー・西野貴志の実の息子だ。
しかし、彼から放たれる固有マブイは、父親の遺した焦熱の『爆炎』とは決定的に異なっていた。彼の司る属性は――《真空》。
旋回時に周囲に存在する他者のマブイの残滓を狂暴に吸い込み、すべて自らの爆発的な推進力へと変換する、他者のミスを確実に仕留める水上の冷酷な狩人。
「ひぃいっ! 和正君! 相変わらず目が刃物みたいで怖かばい!」
「大峯、お前のそのくだらない涙など、俺のターンの前ではただの湿気に過ぎない。……それから、そこの地脈」
和正の凍てつくような切れ込みの視線が、真っ直ぐに光へと向かった。
彼の《真空》のマブイが不気味に脈動した瞬間、周囲の空気が強烈な斥力で引き搾られる。光は防潮壁を踏みしめる足の裏を通じて、明確なエラーを検知した――引かれている。自らの身体の奥底にある頑強な根が、上方の虚空へと強引に引っ張り上げられそうになる奇妙な感覚。
光は電子頭脳の計算通り、足の裏に一気に質量を集中させた。
沈む。深く深く、水底の岩盤へとプラグインする。真空の力で吸い上げられるよりも、さらに深い地球の中心へと根を張り直す。
「……西野和正」
光はヘルメットを小脇に抱えたまま、感情の消えた声で言い放った。
「吸えるものなら、俺の大地を丸ごと吸い上げてみろ。俺の地脈はあまりにも重すぎて、お前のその真空の喉に詰まって窒息するかもしれないぞ」
和正の細い眉が、僅かに、愉しげに跳ね上がった。
「……楽しみにしている。お前のその傲慢な目方が、本物の激流(SG)でどこまで保つか」
それだけを冷徹に吐き捨てると、彼は自らの艇の元へと静かに去っていった。
「がはは! 初日から若き天才たちが三人揃って火花を散らすとは、最高のロケーションじゃな!」
大二郎が太い腕を組んで二人の間に豪快に割って入り、架純が微笑みを浮かべながら和正の去りゆく背中を見つめた。
「あの子のお父さんにはね、昔、現役の頃に『水上ではよろしくね』って可愛がってあげたことがあるの。でももちろん、レースの上では、私も一ミリも容赦しなかったけれどね」
光は足元のネを連れて、ゆっくりと喧騒のピットを歩いた。
速水誠、大峯幸太郎、西野貴志――かつてこの世界を絶対的な力で支配していた、父親たちの時代の名前が、今こうしてカタチを変え、子どもたちの固有属性としてこの平成の水面で激しく躍動している。
脳内の回路に、昏い熱量を持った問いが湧き上がってきた。
あの絶対王者たる父は、かつてこの化け物たちと命を懸けて削り合い、すべてを叩き潰していったあの夜に、その胸の奥で一体何を感じていたのだろうか。
やはり、確定のデータは出ない。ただ、ずっと燃え続けてきたあの問いの構造が、またしても美しく変化していくのを光は感じていた。
「速水誠」という父親個人への復讐の問いから――あの男が支配し、生き抜いてきた「あの輝かしい時代全体」を自らの手でハッキングし、ブチ抜くための問いへ。
「……ネ。SGの舞台は、やっぱり化け物しかいないな」
足元でネが、主人の魂の覚醒を促すように、低く一声だけガルルと鳴いた。
「分かっている。俺も――今から、その化け物の一人になる」
大鳴門の巨大な渦潮が、彼らの宿命の激突を待ちわびるように、いつもとまったく変わらない狂暴さで、静かに、深く巻き続けていた。




