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からくり競艇【白銀の波切り、魂のフルスロットル】  作者: 水前寺鯉太郎
第四部 全国記念戦線編

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「一着と一着——同じ夜空の下で」

二〇五三年一月、遠征三日目・四日目。

 遠征三日目、ボートレース津・第五レース。

 光の設定は、昨日掴んだチルト〇・五度の低重心。伊勢湾から吹き下ろす極寒の『鈴鹿おろし』に対し、もはや力で戦うことはしない――その狂暴な風圧のすべてを、しなやかに受け流す。


 第一ターンマーク。

 機首をバタつかせる他艇の引き波の隙間へと、光は鋭いまくり差しを突き刺した。直後、最大風速の突風が玄武を襲う。


 しかし、光は『揺りかご』の受容形状を水面へと完璧に展開していた。襲いかかる風の圧力が、反発を失ってそのまま玄武の旋回軸の強固な支点へと融解していく。突風が激しければ激しいほど、ハイドロは深く沈み込み、凄絶な速度で前方へと弾け飛んだ。


「三号艇・速水光、一マークを完全にハッキングして今節初勝利の一着ゴールイン!!」


 起死回生、今節の初白星だ。

 同じ日、はるか数百キロ離れた東京都・ボートレース江戸川、第二レース。

 杏奈の放った紅蓮の炎が、江戸川の極悪なうねりを船底からすべて焼き尽くしていた。絶対女王である丸山優奈の追随すら一切寄せ付けない完全なる独走劇で、圧倒的な一着。


 その夜、津の選手宿舎のモニターの前。

 光は無表情のまま、他支部の戦走データに映し出された『江戸川 二R 一着 南野杏奈』という無機質な文字をじっと凝視していた。


「一着か」


 光は、ただ一言だけ静かに呟いた。

 同じ時刻、江戸川の選手宿舎。杏奈もまた、明滅するモニターの中に『津 五R 一着 速水光』の文字を捉えていた。


「……初日に転覆寸前の泥を舐めてから、ようここまで完璧に立ち直ったわ。さすが、うちが魂ごと見込んだ男じゃな」


 足元で、新しい家族である赤柴の仔犬・焔が、やれやれと退屈そうに大きな欠伸を噛み殺した。杏奈はその燃えるような赤毛の頭を、愛おしそうに何度も優しく撫でた。

 鳴門の野田ワークス・ガレージ。

 あかりは、冷たい蛍光灯の下でノートPCに受信された二つのログを見つめていた。津の一着。江戸川の一着。

 二つの勝利のスタッツが、ツインモニターの上に誇らしげに並び立っている。


『光くん、津のエースモーターのギヤケース、完全にこちらの地脈の周波数と馴染んだっすよ』


 音声レシーバー越しに、エンジニアとしての確信を伝えた。


『明日の勝負駆け(予選最終日)へのプロペラアジャスト、すべて完璧に準備できてるっす』


「ああ。頼む」


 耳元から、光の静かな声が返ってくる。

 通信の切断音が響いた後、あかりは暗転したタブレットの画面をしばらく見つめ、それから再びデータの続きを開き直した。


 地を捨てて空へ逃げた父親への、命懸けの問い――それが、今の光の回路の底で黒く激しく燃えているはずだ。自分にはその本当の断層はわからない。


 ただ、彼の命そのものである『玄武の心臓』は、今も確かに、このアタシのガレージの真ん中で熱く脈打ち続けている。


 遠征四日目、予選最終日。

 津の水面を駆ける光の地脈は、三日目よりも遥かに深く、冷徹に研ぎ澄まされていた。

 鈴鹿おろしの突風を滑らかに受け流し、直角コーナーの最深部で水底の岩盤へと寸分の狂いもなく根を張る――そのチルト〇・五度の『鉄のレール』が、完全に彼の肉体の一部へと馴染みきっていた。


 結果は、上位二着。累積減点のビハインドを完全に相殺し、準優勝戦への進出を確定させた。

 直後、データが書き換わる。江戸川を走った杏奈の最終結果は、堂々たる『一着』だった。

 その夜、宿舎の薄暗い窓を開け、光ははるか遠く、東京の方角の夜空を静かに見上げた。

 かつて、父・速水誠は――このような過酷な遠征の夜、誰かを真っ直ぐに想いながら窓の外を見たことがあったのだろうか。

 その消えない問いが脳裏を過り、そして静かに闇へと消えていった。


「杏奈」


 光は、届かないとわかっていながらも、その名前を無表情のまま、初めて声に出して質量を与えた。


「俺の方も、準優のキップを掴んだ。明日、一緒にあの上の舞台へ行こう」


 足元で、主人のその確かな体温の宿った誓いに同期するように、ネが低く一声だけガルルと鳴いた。

 窓の向こうの深く冷たい冬の夜空が、二人の行く末を祝福するように、どこまでも静かに、そして広大に広がっていた。

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