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からくり競艇【白銀の波切り、魂のフルスロットル】  作者: 水前寺鯉太郎
第四部 全国記念戦線編

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「冬の朝——俺も、そうだと言ったところまでは覚えてる」

 十二月の朝。徳島のマンション。

 遮光カーテンの僅かな隙間から容容赦なく差し込む真冬の鋭い陽光が、光の重い瞼をゆっくりと開かせた。


「……う……頭が……」


 こめかみが波打つように、ズキズキと激しく痛む。

 光は重い思考回路を駆動させ、昨夜の記憶のログを辿った。戸田での祝勝会。徳島に戻ってからの、グループの面々を交えた泥酔の二次会。


 ――冬の街灯の下での、剥き出しの告白。それに対する、己の承諾。

 そこまでは確かに記憶にある。しかし、その後に二人だけで宿舎の部屋で開けた地酒のボトルのあたりから、記憶のデータが厚い地層の下へと完全に埋もれてしまっていた。 


 昨夜のあの言葉は、幻じゃない、すべて本物だ――という絶対的な確認のシグナルが、脳内の電子頭脳に一瞬だけ点滅する。

 だがその次の瞬間、光のすぐ右側から、これまでの冬の夜気とは全く異なる凄まじい『熱圧』が皮膚に伝わってきた。


 光のぶかぶかとした白シャツ一枚だけを身に纏った杏奈が、すぐ真横で無防備に眠っていたのだ。

 自分より五センチ高い一六八センチのスラリとした四肢が、ベッドの上で丸くなっている。そのなめらかな肌の距離は、光の身体から一センチも離れていなかった。


「なっ、……なっ!?」 


 大村のイン戦でも決して揺らがなかった光の心臓が、物理的に止まるかと思った。


「……うるさいわねぇ、光……。朝から鳴門の流速みたいな大声出さんでよ……」


 杏奈が長い睫毛を震わせ、琥珀色の目を擦りながらゆっくりと起き上がった。

 次の瞬間、彼女は現在の自らの状態を完全に認識した――自分の衣服ではなく、光のシャツを着ているという事実を。

 それを確認した杏奈の顔が、一瞬にして耳の裏から首筋まで、爆発的に真っ赤へと染まっていく。


「……え。……あ。……あぁぁぁぁッ!!!!」


 ドン、と凄まじい衝撃波と共に、光の体躯がベッドの外へと容赦なく蹴り飛ばされた。


「何しとんじゃバカァァッ! うちがなんで光のシャツ一枚で寝とんじゃ!! 変態! バケモノ!!」 


「知らない! それは俺のセリフだ! 確か深夜、南野さんが酒を自分の服にこぼして『暑いから着替える!』とか言って、俺のクローゼットを強引に開けたところまでは覚えているが……」


「うちが、自分から……?」 


 杏奈は追撃の枕を振り上げた姿勢のまま、自らの失態の記憶がフラッシュバックしたのか、頭を抱えてベッドの上に沈み込んだ。

 部屋の隅のフローリングでは、いつの間にか起きていた老犬ネが、フンスと呆れたように鼻を鳴らし、我が物顔で窓際の陽だまりへと移動していった。

 その瞬間、杏奈が枕元のスマートフォンをパニック状態で確認した。その顔色が、今度は一瞬で真っ白に変わる。


「……九時!? 嘘じゃろ、終わったわ!!」


「今日はレースの斡旋スケジュールは休みのはずだが――」


「今日、徳島サンシャイン・フェスタじゃ! コスプレイベントの当日じゃけんな!!」


 光の脳内の電子頭脳が、瞬時に一つのデータを参照した。

 ガレージの奥の倉庫。杏奈が大切に隠していた、あの黒いゴスロリドレス。彼女は今日、公式のステージイベントにメインキャストとして立つ予定だったのだ。


「衣装の最終メンテも、ウィッグのセットも何一つ終わってない! 光、手伝え! 車のキー取って下に回せ! 早く!!」


「分かった!」


 大慌てで自身の服へと着替えながら、杏奈が背を向けたまま、ボソッと消え入りそうな声で言った。


「……昨夜のこと、後で、夜になったらじっくり話すけぇな。……うちが光のシャツ着とるのは、その、あんたをそれだけ信用しとったから……かもしれんし」


「……ああ」


 光は小脇にヘルメットを抱え、無表情のまま、真っ直ぐに彼女の背中を見つめて言った。


「俺も、あの言葉に嘘はない。南野さんを、ちゃんと守ると決めた」


「……バカ」


 二人は飛び出すようにしてマンションを後にし、駐車場に係留されていた車に飛び乗った。

 光が冷徹な手つきでイグニッションキーを回し、エンジンをかける。冬の国道を全速力で走り出してしばらくの間、杏奈は照れ隠しにずっと助手席の窓の外を見つめたまま、小さく呟いた。


「光、昨夜のこと……もしお酒のせいで覚えてないんなら、全部忘れてええけんな」 


「覚えてないのは、二次会の終わりの一部のデータだけだ」


「どこまで?」


「俺も、そうだ――と、南野さんの炎に答えたところまでは完全に覚えている」


 杏奈は完全に黙り込んだ。

 窓の外の景色を見つめたまま、その耳の裏を再び林檎のように真っ赤に上気させ、ふっと、愛おしそうに小さく笑った。


「……本当に、バカじゃな」


 後部座席のシートの上で、銀狼の血を引くネが、やれやれと退屈そうに大きく伸びをした。

 同じ時刻。数街区ほど離れた、冷たい朝靄に包まれるガレージの暗がり。

 あかりは、昨夜からずっと白くなるほどに握り締めていた鉄製のスパナを、作業台の上へと、カチャリと音を立てて静かに置いた。


 彼女の柔らかな手の平には、工具の不骨な金属の跡が、赤く、深く、痛々しいほどの質量で刻み残されていた。

 あかりは、その赤くなった手のひらを無言で見つめ、それから静かに、次なる激戦のために用意された『玄武』のエースモーターへと、その冷えた視線をゆっくりと戻していった。

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