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からくり競艇【白銀の波切り、魂のフルスロットル】  作者: 水前寺鯉太郎
第四部 全国記念戦線編

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「冬の街灯——俺も、そうだ」

 戸田での奇跡的な大逆転優勝。

 徳島へと戻った光を待っていたのは、ガレージで行われた『鳴門地脈グループ』の盛大な祝勝会だった。

 大二郎が豪快に地酒を煽って笑い、あかりが油汚れのついた手で家庭的な手料理を次々とテーブルに並べ立てる。


 その賑やかな喧騒を後にした、深夜。

 真冬の阿波の夜気が、肌を刺すように鋭く張り詰めていた。

 光は宿舎へと続く静かな夜道を、下関から連れてきた相棒のネを連れて、冷徹な足音を響かせながら歩いていた。


「光。……ちょっと、待て」


 背後から届いた、微かに震える声音。

 光が静かに振り返ると、そこに杏奈が立ち尽くしていた。

 分厚い冬のコートに包まれた一六八センチのスラリとした体躯が、古びた街灯の淡い光の下で、ドロドロとした橙色に切なく照らされている。


「……南野さん」


「うちが、あんたを宿舎まで送っていく。戸田であんな無茶苦茶なレースするんじゃけぇ、まだ見てて頼りないんじゃわ」


 二人は何も言わず、ただ並んでゆっくりと歩き出した。

 普段はうるさいほどに騒がしい杏奈が、今夜に限っては不気味なほどに静かだった。

 自分より五センチ高い位置にある彼女の琥珀色の視線が、光の黒い髪の、少し斜め上を向いたまま泳いでいる。その、いつも通りの「五センチの差」が――今夜の凍てつく空気の中では、決定的に違う距離感となって二人の間に横たわっていた。


「光。……あんた、なんであのとき、うちの誘いに乗って徳島に来たん?」


「南野さんが、下関で誰よりも熱心に俺を誘ってくれたからだ。それに、俺自身の地脈を必要としてくれる場所で、もっと強くなりたかった」


「……それだけ?」


 杏奈がピタリと足を止めた。街灯の光が、彼女の潤んだ琥珀色の瞳を鮮烈に射抜く。


「うちな、もう嘘は言わんわ。正直に言う。あんたをこの徳島に誘ったのは、支部を強くするためなんかじゃ、最初からないんじゃわ。大村の優勝戦で、あんたがのぉ、あの三宅の迅さんとの間で地球のバネを引いたあの走りを特等席で見て――うちの魂が、本気で震えたんじゃ。地の底から響いてくるような、あんたの圧倒的な質量に」


 彼女がグッと拳を握り締める。周囲の真冬の気温が、物理的にじわりと上昇を始めた。彼女の体内から、激情のままに爆発的な炎のマブイが漏れ出している。  


「あかりさんに付きっきりで、ガレージの奥で二人きりでモーターを整備されとるあんたの背中を見るたびにのぉ……うち、胸の奥がチリチリと焼けるみたいに、おかしくなるほど熱かったんじゃ! 戸田で不良航法で減点されたとき、うち、本当にショックで心臓が止まるかと思った。あんたが一人で、指先の感覚を失くして夜中までペラを叩いとるあの孤独な後ろ姿を見て――もう、うちの限界じゃった」


 光は静かに歩みを止め、真っ直ぐに杏奈と向き合った。一六三センチの視線が、一六八センチの彼女の瞳を冷徹に見据える。


「光! うちは、あんたのことが好きじゃ!! あんたがその超重力で支える頑強な大地の上に、うちの炎を、世界で一番最初に灯させてほしいんよ……!」


 コートの袖から覗く杏奈の指先が、微かに、激しく震えていた。

 ――地を捨てて空へ逃げた父・速水誠は、かつてその黄金の航跡の中で、誰かをこれほど真っ直ぐに愛したことがあったのだろうか。


 その消えない問いが一瞬だけ脳内の回路を過り、そして静かに消えていった。

 光は、すぐには答えを出さなかった。

 一秒の間、二人の間に流れる、炎の熱圧を孕んだ空気をじっと咀嚼する。


「南野さん」


 光は表情を変えないまま、静かに、だが絶対的な確信を以て言い放った。 


「俺も、そうだ」 


 それだけの言葉だった。

 それ以上の複雑な数式は、今の二人の間には必要なかった。

 杏奈は一瞬だけ呆然と目を見開き、それから顔をカッと、梅雨の終わりの夕日のように真っ赤に染め上げた。 


「……当たり前じゃろがい、このバカ!!」


 痛烈な照れ隠しの怒声を響かせながら、彼女は五センチ高い位置から、光の厚い胸の真ん中へと、勢いよくその顔を強く埋めてきた。

 彼女の長い髪から、フワリと夏の百合の香りが漂う――あの朝の、マンションのベッドの中で嗅いだ、あの甘い香りだった。


 冷たい冬の夜気が、重なり合った二人の体熱によって、少しだけ、確かに温かくなった。

 足元でネが、二人の新たな地盤の誕生を肯定するように、低く一声だけガルルと鳴いた。 


 ――同じ時刻。

 数街区ほど離れた、誰もいない暗闇のガレージの片隅。

 作業灯の冷たい蛍光灯の下で、あかりは一本のゴツい鉄製のスパナを、白くなるほどにただ固く、固く握り締めていた。


 自分が今、一体何を考えているのか。脳内のデータのどれを参照すればいいのか、彼女自身にもまったく分からなかった。


 ただ――どうしても、その冷え切った工具から、手を離すことだけができなかった。

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