↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
からくり競艇【白銀の波切り、魂のフルスロットル】  作者: 水前寺鯉太郎
第一部 下関ルーキー編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/96

「重力の王、誕生」

第一部:下関ルーキー編

第4話「重力の王、誕生」

 二周目、バックストレッチ。

 下関の暗緑色の水面は、今や限界を超えた神々の戦場と化していた。

「……来させない、速水! 私は、風の領域の絶対女王だァァッ!」

 一号艇・丸山優奈の愛機「飛燕」から全方位に放射される、超圧縮大気の撃砕波――《風の結界》。それが目に見えない絶対不可侵の鉄壁となり、四号艇・玄武の進路を猛烈に拒絶する。

 すさまじい空気抵抗に船体がミキミキと悲鳴を上げて軋み、コクピットのマブイ計は完全に限界領域の赤色へと叩きつけられていた。

「光くん、ダメっす! 重心がわずかでも浮けば、自分の放つ超重力で自滅して肉体ごと圧砕されるっす!!」

 インカムから響くあかりの悲痛な叫びは、しかし今の光の耳には届かない。

 ピット裏に控える老犬「ネ」が、低く地鳴りのように唸る声だけが、骨の奥まで響いていた。

(浮かび上がる、だと? ならば――最初から跳ぶなどという軟弱な思想ごと、叩き潰すまでだ!)

 光は全速で開いていたスロットルを一瞬、猛烈な力で引き戻すと、船底の重力安定翼の指向性を真っ直ぐ上空へと偏向させた。

 下関の地脈から吸い上げた二万マブイの質量が、優奈の頭上に滞留する大気層へと一気に解き放たれる。

 玄武が放出した極大の重圧が、優奈の艇を浮上させていた空気の分子構造そのものを、上空から力任せに押し潰し、重力崩壊を引き起こした。

 大気が物理的な摩擦音を立てて爆散する。

 無数の大気の歪みが銀色の火花となって散り、圧倒的な質量を伴った漆黒の玄武が、優奈の視界を暴力的に塗り潰していく。

「がはっ……、あぁぁッ!!」

 凄絶な反動。光の視界が一瞬で深紅に染まった。内臓を真っ向から丸太で殴られたような衝撃。だが、スロットルを再び正回転へと叩き込みながら、光はヘルメットの奥で氷のように冷徹に言い放った。

「丸山さん。あんたの綺麗な空は、今、俺が引きずり下ろした」

 玄武の船底から溢れ出る重力の奔流が、優奈の纏っていた大気の衣を容赦なく剥ぎ取り、猛烈に回転するプロペラへと巻き込んでいく。揚力を完全に奪われた「飛燕」の船体が水面に激しくバウンドし、みるみるうちに速度を失って後退していった。

 優奈は、己の愛機が引き離されていくのを感じながら――なぜか、美しく笑っていた。

 その灰色の瞳には、これまでの人生で一度も灯ることのなかった、狂おしいほどの熱が確かに宿っている。恐怖でも、敗北の怒りでもない。まだ名前のない強烈な感情が、彼女の胸の奥で、光への果てしない執着という名の産声を上げていた。

 最終ターンマーク。

 光は水面を巨大なすり鉢状に陥没させながら、下関の大地そのものをガチリと噛みしめるような圧倒的な大旋回を敢行する。

 惑星の核が咆哮を上げるような重低音が水面を揺らし、玄武がホームストレッチへ一閃の如く躍り出た。

 波が、消えている。吹き荒れていた海峡の風が、跡形もなく死んでいる。

 世界が静止したかのような無音の中、チェッカーのゴールブイが右舷を鋭く掠め去った。

『ゴールイン! 一着、四号艇・速水光! デビュー戦にして風の女王を完全圧殺! 新たな重力の王が、今、下関に誕生しました――ッ!!』

 実況の声が興奮のあまり激しく裏返り、地鳴りのような歓声がスタンドを大地震のように揺らした。

 勝った。誰もが不可能と信じた地獄の底から、俺は這い上がって勝ったのだ。

 ヘルメットをゆっくりと脱ぎながら、光は胸に手を当てた。

 それでも――偉大なる父、速水誠の顔は、一向に脳裏に浮かんでこない。勝利の甘美な熱が体を巡るより先に、骨の最深部で静かに燃え続けるあの地熱の火が、まだそこにあった。消えるどころか、むしろさらに巨大に、狂暴に膨れ上がっている。

 光は、歓喜に沸くスタンドの最上段を真っ直ぐに見上げた。

 勝元麻帆が、そこに立っていた。

 彼女が触れているスタンドの鉄柵が、そのマブイの熱量によって赤黒く変色し、潮風と交じり合って微かな硫黄の蒸気を立ち上らせている。

 麻帆は傲然とこちらを見下ろしていた。その冷徹な瞳の奥に、本物の熱が、確かに灯る。

「見事だ、下関の地脈の主よ」

 麻帆の声は驚くほど静かだった。しかし、その言葉に込められた圧倒的な熱量が、これまでとは決定的に違う。初めて、一人の強者として前のめりになった、魂の言葉だ。

「風の小細工は終わった。次は私の『溶岩』が――その泥臭い大地ごと、貴様をドロドロに焼き尽くしてやろう」

 その瞬間、光の足元で老犬「ネ」の銀色の毛並みが低く、攻撃的に逆立った。岩石のように硬質化した銀の毛が、夕闇の中で鈍く不気味に輝く。光は麻帆の刺すような視線から、決して目を離さない。

 デビュー戦の勝利の余韻など、今の光にとっては足元に転がる一粒の砂利に過ぎなかった。胸の奥で激しく燃え続けるのは、さらなる強敵という名の熱への飢え、そして――未だに答えの出ない、偉大な父親への命懸けの問いだ。

 風の時代は、今この瞬間、完全に終わった。だが、この先に待ち受けるのは、大地の底の底に眠る、本物の灼熱の地獄だ。

「待ってろ、勝元。お前の火、俺の大地が全部吸い尽くしてやる」

 俺の本当のレースは、ここから始まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。