第14話:不動の覚醒、深淵の王 ―
――暗闇。
速水光は、際限のない奈落を沈み続けていた。
上下も左右もない虚無の中、数万トンのタンカーに圧し潰されるような濃密な「質量」が、彼を世界の最果てへと誘っている。胸の奥の一五〇〇〇のマブイが、外界の圧力と不気味に共鳴し、鉄の鼓動を刻んでいた。
――ドン。……ドン。……ドォォォォン……。
光が瞼を押し上げた。そこは、ひび割れた赤茶色の大地が広がる、光の精神世界。空は血の色に淀み、地割れの底からは溶岩ではなく、粘りつくガソリンのような熱い「飢え」が溢れ出していた。
「……ここが、俺の魂の真実か」
世界が咆哮した。地平線が波打ち、亀裂から噴き出した赤光が光の精神の核を直接揺さぶる。
『……ナゼ、沈ンダ。安ラギヲ拒ミ、ナゼ戻ッタ……』
惑星の喉元から、数千年の岩盤が擦れ合うような重厚な声が響く。
「……俺は、もう逃げへん。大村で、あいつらと一緒に走るために、この暴れ馬のような地脈を……俺の意志で御したいんや!」
光は、一国の重みを背負う重圧に抗い、血が滲むほど拳を握りしめた。
『地ハ意志ヲ持タヌ「墓」ナリ。貴様如キ脆キ魂ガ、地ヲ道具トシテ使ウト言ウノカ……』
「喰われてたまるか!!」
光は一歩、強引に足を踏み出した。足跡から地脈が火花を散らし、大地に楔を打ち込む。
「俺は沈む。せやけど、それは敗北やない。誰も届かへん最底まで沈んで、溜めて、そこから一気に浮上するためや! 俺が、この無口な地に意志を持たせる!!」
その瞬間、大地の裂け目が開き、岩石の皮膚を鎧った「大地の獣」が顕現した。一五〇〇〇のマブイが形を成した、光自身の本能の化身だ。
『……試ス。沈ム者ノ覚悟ヲ』
獣が前足を振り下ろす。衝撃波だけで光の精神が粉々に砕け散りそうになる。
「……上等や。父さんの『黄金』なら、きっと風のように避けてたんやろな。でも、俺の『地』は一歩も退かへん。全部、受け止めてやる!」
光は逃げることを捨て、あえて深く重心を落とした。
(獣の圧力を……ボートを安定させる『バラスト』に変える。沈む力を、俺のエネルギーに!)
現実世界の洞窟。
光の身体は、岩盤をめり込ませるほどの質量で沈み込んでいた。
「光くん! これ以上は脳が焼き切れるっす!!」
あかりが半狂乱で冷却スプレーを光の首筋に浴びせる。
「光くん……帰ってきて……!」
丸山優奈が、地鳴りに震える光の手を強く握りしめた。彼女の手は、地の冷気に晒されて白く霜付いている。だが、風属性のマブイを注ぎ込み、荒ぶる地の圧力を凪へと導く。
「光! 戻ってこんかったら、本気で地獄まで追いかけるけんな!!」
南野杏奈が逆の手を握る。彼女の皮膚は自身の炎で火傷を負いながらも、強烈な活力を光に叩き込む。
二人の相反するマブイが混ざり合い、光を包む赤茶色の光が、奇跡のような白銀の輝きへと変質していく。
「……光。これこそが、あなたの地の真髄。万物を受け入れ、他者の力さえも血肉とする……『慈しむ強さ』よ」
勝元麻帆は、その覚醒を静かに見届けた。
精神世界の底。
優奈の風が咆哮を和らげ、杏奈の炎が闇を照らす。
「……一人やない。俺の地には、みんながおる。……俺がすべてを、抱き留める!」
光の身体から、物理現象を書き換えるほどの重力波が放たれた。
荒ぶっていた「大地の獣」が、静かに首を垂れる。
地を征すのではない。地と一体となり、世界を支える。
光の背後に、岩石の結晶が幾層にも重なった、漆黒の「地脈の外套」が顕現した。
大村、開幕まであと十数日。
奈落の底で、王者が真の眼を見開いた。
白銀の浪切り、魂のフルスロットル。伝説は、真実の重さを知る。




