第4話「大外の絶対領域」
第三部:大村激戦編
第4話「大外の絶対領域」
第一ターンマーク。
インコースに三宅迅の青白い雷が猛り狂い、その直上に白河玲於奈の冷徹な氷の結界が広がる。二つの絶対的な異能が交錯する内懐を、正面から力任せに叩き割るのは得策ではない――光の脳細胞は、コンマ数秒の閃きの中でそう冷徹に判断を下していた。
インに窮屈に沈めば、大村の深い水圧に阻まれて地脈の根が十分に行き届かない。ならば、より広大な、より巨大な根を張れる外周から、奴らの結界ごと丸ごと飲み込むまでだ。
光は躊躇なく、ステアリングを大外へと鋭く切り裂いた。
「三号艇の速水、大外に持ち出したぁぁぁ――ッ!?」
場内に実況の裏返った悲鳴が響き渡る。
地属性のレーサーが大外全速の『まくり』を選ぶなど、スタンドの一万人を含め、誰も想定すらしていなかった暴挙。
だがその瞬間、赤い勝負服の袖口から、光の右手に確かな温度が届いた。
杏奈の放つ剥き出しの炎の熱、そして優奈が纏うしなやかな風の流れ。二人の天才が、水面のどこかで自分を真っ直ぐに見つめているという、戦友の重さ。それだけで、大外を駆ける玄武の質量を担保するには十分すぎた。
大外の旋回軸へと突き進んだ瞬間――大村の莫大な水圧が、爆発的に逆流した。
地脈の洞で得た『バネ』の理論。玄武の船底が沈み込んだ分だけ、大村の重い水圧が強烈な反発力となって艇体を押し上げる。それが、大外全速旋回の絶対的な軸となった。
迅と白河がインコースで繰り広げる凄絶な水面支配の『外縁』へと脱出したことで、光は誰にも邪魔されない、己だけの大地を水上に獲得したのだ。沈むべき領域が広い。根が、どこまでも深く張れる。
バキバキバキと音を立てて、光の放つ超重力がインコースを圧殺しにかかる。
水面に引きずり込まれた迅の雷は、強制的に接地させられて不気味に焦げ付き、霧散していく。さらに、白河の構築した氷の防壁が、光の放つ圧倒的な重力波の外縁に触れた刹那、自らの重さに耐えかねてガラスのように粉々に砕け散った。
玲於奈はコクピットの中で、自らの絶対の氷が内側から自壊していく凄絶な音を聞いた。人生で、初めて聞く敗北の音だった。
「なんだこの……空間ごと押し潰されるような圧は――ッ!!」
実況が絶叫する。
漆黒の玄武が大外から巨人の掌のごとく被さり、第一ターンマークを完全に制圧して単独先頭へと躍り出た。
先頭。かつて、あの偉大なる父親もこの景色を、この同じ大村のナイター照明の下で見たのだろうか――という淡い問いが、一瞬だけ脳裏に灯る。
だが、感傷に浸る暇など与えぬ凄まじい轟音が、すぐ真後ろから迫っていた。
「まだだ……! 俺の雷は、まだ一歩も消えちゃいねえええ!! 次のマークでその黒いカメごと、丸焦げに焼き切ってやるよ!!」
福井の三宅迅だ。重力波によってカウリングを無残に変形させられながらも、執念深く食らいついてくる。第一ターンで光が引き起こした凄まじい負圧の轍を、逆に自らの加速の導管として利用し、限界を超えて再加速してきたのだ。
驚いた、と光は思った。この致命的な重圧の中でもなお牙を剥いてくるか――この男の野生的な判断の速さこそが、全国のトップたる本物の証明だ。
『光くん、あかりっす! 船底が完全に水面から浮上してるっす! 地のバネが解放されて、機体が弾けてるっすよ!!』
インカムのスピーカーから、あかりの興奮した声が割れて響く。だが光は、スロットルレバーをミリ単位すら緩めなかった。
「来い、迅」
光は前を見据えたまま、地鳴りのような声を絞り出した。
「お前の放つ雷が深く、鋭いほど――それを引き受ける俺の根は、より強固に届く」
バックストレッチの直線。
迅が凄まじい電撃の火花を散らしながら、一艇身、半艇身と距離を詰めてくる。青白い放電が、光の玄武が刻んだ水面の轍を忠実になぞりながら走ってくる。
迅は光の『跡』を読んでいるのだ。地脈によって瞬間的に岩盤化し、今なお冷徹な超重振動を帯びている水面の硬さを、自らの雷のマブイで感知し、最短の航路を正確に割り出していた。
賢い、と光は敵の才覚を素直に認めた。だからこそ、奴は強い。
運命の第二ターンマークが、眼前に迫る。
大村の持つ狂暴な高密度水圧が、再び足の裏から骨髄へとせり上がってくる。インコース側には、先ほど白河が砕け散らせた氷の残骸が不気味に浮遊し、大外からは地元の海堂颯真が逆巻く潮流を束ねて肉薄してくる気配があった。そして、真後ろでは迅が全マブイを凝縮した雷撃を溜め込んでいる。
誰も死んでいない。全員が、この極限の水面で命を燃やして生きている。
光は次なる旋回の絶対的な軸を探索した。大地を踏みしめる足の裏で、大村の複雑な地盤を鋭く読み解いていく。どこが最も深いか。どこになら、地球の核に届く根が張れるか。第一ターンマークよりも、さらに深く質量を沈め込める『極点』はどこだ――。
――あった。
第二ターンマークのわずか手前、海底の地形が急激に落ち込んでいる断層の境界。大村湾特有の複雑な潮流が激突し合い、水圧の目方が一段と深く沈み込んでいる超高圧ポイント。
それは本来、地元の海を知り尽くした海堂颯真だけが隠し持っているはずの、大村の底の秘密の『地形』だった。だが、地脈の洞を経て地球そのものと対話を果たした光の足の裏は、その深淵のありかを完全に感知していた。
沈む。もっと深く。
脳髄を焼き切らんとする迅の電撃が、すでに光の背中へと肉薄している。
「――ここだ」
光はステアリングを、第二ターンマークの最深点へと向かって一気に叩き込んだ。
迅の放電が、光の引き起こした水面の巨大な亀裂を走ってくる。そのデッドラインの先に――大村の底の底が、今、漆黒の玄武を高く、遠くへと押し返そうと、大鳴動を始めていた。




