第12話:地脈の異常 ―― 大地のうめき
劇的なデビュー戦から一週間。下関競艇場のピットは、表面上の静けさを取り戻していた。
だが、速水光の体内では、一度も止まることなく不気味な鳴動が続いていた。
――ドン。……ドォォォォン……。
それは心臓の鼓動よりも重く、地底の巨獣が苛立ちに身悶えするような震動。光はメンテナンス中の〇〇号機の前で、そのカウリングを凝視した。
「……鉄が、泣いとるな」
漆黒の装甲に、無数の赤茶色の亀裂が走り、そこから熱を帯びたマブイが陽炎となって漏れ出していた。
「光くん! 今すぐ離れてっす!」
工具箱を抱えた野田あかりが駆け寄る。その顔は、異常なほど青ざめていた。
「暴走か、あかりさん」
「それ以上っす。地脈の『深層』に触れた代償……機体が地熱を吸い込みすぎて、制御不能っす。光くんの地属性が……今、耐えがたい『飢え』に襲われてるっすよ」
「飢え……?」
「もっと深く沈め、もっと熱を喰わせろって、地脈が光くんの魂を底へ引っ張ってるっす。このままじゃ、ボートごと大地の裂け目に呑み込まれるっすよ!」
ピットの床が、ミシリと不吉に軋んだ。
「……光。あなたの『底』が、開きかけているわね」
勝元麻帆だった。黒髪の先に宿る赤光が、溶岩のように妖しく揺れる。
「勝元さん……どういう意味や」
「地脈には三つの階層がある。浅層、中層……そして、あなたが触れた深層。だが、その先には、生身の人間が触れてはならない禁忌の『底』があるのよ」
麻帆が光の肩に手を置く。その瞬間、彼の視界から色が消え、ただ「暗黒の重力」だけが意識を支配した。
「底は大地の本能そのもの。一度呑まれれば、あなたは自意識を失い、物言わぬ岩礁として土に還るわ」
光の背筋を、生温かい汗が伝う。父・誠が黄金の翼で空を支配した栄光。自分を待つのは、その真逆の「沈黙」なのか。
「でも、呑み込まれる前に、あなたが『底』を支配してしまえばいい」
「方法があるのか」
「私が案内するわ。『地脈の洞』へ。下関の地下、忘れ去られた断層にある聖域よ」
麻帆が告げたその時、ピットに清涼な風が吹き込んだ。
「……光くん。そんな面白い話を、二人だけで進めるつもり?」
丸山優奈がそこに立っていた。透き通った瞳が、光の苦悩を射抜く。
「優奈さん……。これは地の問題や。関係ない」
「関係あるわ。あなたが沈んで戻らないなんて、私の風が許さない。……あなたが揺れるなら、私がその『揺らぎ』を抑えてあげる」
「待て待てぇい! 光、湿っぽいのは性分に合わん! うちの炎で、そのガチガチの心ごと温めたる!」
赤髪を揺らし、南野杏奈が拳を突き出した。
「二人とも……」
「光が暗いとこ行くなら、うちが炎で道を照らしたる。仲間じゃろがい!」
麻帆が口角を僅かに上げた。
「……ふふ。いい仲間に恵まれたわね。光、あなたの『底』を見届けなさい」
「大村の新人リーグまで、あと十四日っす!」
あかりが震える手でタブレットを叩く。
「それまでに制御できないと、出走どころか……光くんのマブイ・サーキットが焼き切れて、お釈迦っすよ!」
十四日。光はじっと、震える右拳を見つめた。
父・誠は空へ逃げた。だが、俺は逃げない。
「……分かった。地の底でも地獄でも、沈んでみせる。……俺自身の『大地』を、掴み取るために」
――ドンッ!!
光の覚悟に呼応し、地脈が今までで最も重い音を立てた。
下関の地下。光の届かない断層の奥底で、新たなる伝説が、暗黒の産声を上げようとしていた。




