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満を持して、ゼンマイ式ハムスター・レースの開催日を迎えた。
「な、なんだか緊張してきましたわ」
「大丈夫か、姫」
レースの参加がいつの間にか決まっていた宝石姫は、それでも今日のこの日を楽しみにしていた。守護犬が微笑まし気に宝石姫を見守る。
「ええ。胸がどきどきするのは緊張だけでなく高揚しているせいもあります」
「そうか。無理せずがんばれ」
城の一番長い廊下でせっせと練習に励んでいた姫に付き合っていた妖精犬は静かに励ます。ここじゃなくてもっと短い廊下でも大丈夫じゃないかな、などとは思っても口にしないわきまえた守護犬である。
レースは農場と牧場のちょうど真ん中にまっすぐ走った道で行われることになった。朝から、綺麗に掃き清め、障害物が少ないように準備してある。
さらには、前日のうちに各自ゼンマイ式ハムスターをソウタに整備してもらっている。
「ワイロを贈ったら強いホイールに取り換えてもらえるのかにゃ」
「そんなズルはなし!」
「そうだよ、せいせいどうどうとやるんだよ!」
「キキュ!」
ケット・シーがふざけてみせ、とたんにフェレット族兄弟から猛抗議が上がったものである。
さて、そのケット・シーは中々現れない。
「遅いなあ」
「寝坊したのかな?」
「不戦敗ということでいいんじゃない?」
一番最後にそっけなく言ったのはユリだ。
「ひどいにゃあ、ユリにゃん。主役は忘れたころにやって来るのにゃよ!」
振り向けば、大勢のケット・シーを引き連れたケット・シーが立っていた。ゼンマイ式ハムスターを大事そうに抱えている。
「それは「天災」じゃないかなあ」
「じゃあ、ケット・シーにはぴったりね」
ソウタの呟きを拾い上げたユリが大きく頷く。
「お待ちかねのショウタイムにゃ!」
「待たせた者が言うセリフじゃないよ」
高々とゼンマイ式ハムスターを掲げるケット・シーに、ユリが冷たく言った。
横一列に並んだレース参加者はゼンマイを巻き、ハムスターを地面に置く。そうして、ユリの合図を待つ。ユリがさっと旗を振り下ろしたとたん、みなの片前足(もしくは片手)からゼンマイ式ハムスターが飛び出す。
「行け!」
「そこにゃ!」
「おお!」
アーミィのハムスターは伸びあがりが早く、ケット・シー号と一位二位を争う。しかし、次第に失速し、ゴールに到達することができずに止まってしまった。
「キキュゥ」
ケット・シー号は途中で弧を描くように逸れて行ったのだ。
「ああー! 惜しいにゃ」
ふたりのハムスターの合間を縫うようにして、フェマのハムスターが駆け抜ける。その後を、フェロのハムスターが追いかける。フェムのハムスターがマイペースに、しかし確実に進む。その後ろを、よろよろとフェンと宝石姫のハムスターが走る。
結果は、フェマが優勝し、僅差でフェロが二位となり、三位がフェム、四位がフェン、五位が宝石姫である。
「アーミィはとても速かったね」
「キュ!」
「今度はゴールできるようにしようね」
ソウタの言葉に、アーミィはゴールできないまでも、満足げである。
「俺のはあんなにコースアウトするとはにゃあ」
ケット・シー号は途中で弧を描くように逸れて行ったのだ。
「宝石姫のはちゃんとゴールしたね!」
「一番最後でしたけれど」
ユリに言われて宝石姫は苦笑する。しかし、フェンはポジティブに続ける。
「じゃあ、アーミィはゴールを、宝石姫はスピードをだすのを目指さそうね!」
「俺はまっすぐに走るようにするにゃ!」
「はっはっは、いつでも待っているぞ!」
「うにゃにゃにゃ」
僅差で優勝を逃したフェロが胸を張って笑うと、ケット・シーが悔しそうにする。
「フェムの走りは堅実だったね」
「意外と健闘したよ」
ソウタにフェムが予想より良い順位だったと笑う。
ケット・シーも負けて心から悔しがってはいたが、またやろうとフェマに声をかけられ、闘志を燃やした。
「いやあ、面白かったにゃよ」
「またやろうにゃ!」
賞品授与式まできっちり行い、無事に妖精の環を繋げてもらい、みなでおやつを食べる。
「ソウにゃん、ハムスターをもっと作ってほしいにゃよ」
レースに参加したケット・シーが言うと、ほかのケット・シーたちからも「「「「「欲しーい」」」」」という声が上がる。
「俺たちだけひとりだけの参加なのはズルいにゃよ」
「別にズルなんかしてないだろう」
「そうよ。いいじゃない。ケット・シーたちは一番うまくハムスターを走らせることができる者が試合に出れば良いのよ」
ユリが言うものだから、それもそうかとケット・シーが収まる。
酷使したからと言って、ソウタがみなのハムスターのメンテナンスを行う。
さて、散々遊んだ後、宝石姫を見送った年少組三人は眠くなってニャントロフさんを見上げた。ニャントロフさんは慣れたもので、日向に横になる。三人は喜んでそのお腹に乗りあがる。すぐにうっとりと目を細めたり大口を開けて欠伸をして、眠り始めた。
「良いにゃあ」
ケット・シーが羨ましそうにした。
みなでわいわいと話し合いながらおやつを楽しんだり、昼寝を決め込むのを、少し離れたところで眺める大人たちの中、ルジェクさんが言う。
「いつもこんな感じなんですか?」
「にぎやかで良いよ。今まではおいらひとりだったから」
「初めてきたときからずいぶん様変わりしましたねえ。家屋など、倍以上大きくなって」
頷きながらトムさんが顔をほころばせ、カントさんがしみじみ言う。
とにかく、なにをするにも、手順をひとつずつ踏むのは当たり前のことなのではあるが、彼らの場合、とんでもなくコミカルに、平和裏に終始する。
「こんなにケット・シーが集まっているのに、平和だなあ」
「ある意味、ソウタとユリは偉業を成し得たな」
ワンダフルさんが遠い目をしながら言うと、ケッティが重々しく告げる。
お日さまとともに起きて各自仕事をしたり学んだり、調べ物をする。そういった日々の繰り返しのなかで、ハムスター・レースのような楽しみがいっそう際立つのだ。
そして、自身の特技を活かし目いっぱい励めること、それで糧を得たり、将来そうできるように特技を磨くことは得難く恵まれたものだと知っていた。
「植物というのは本で読むより、摘んできたものを見るより、植わっているところそのものを見るのが重要です」
カントが畑で栽培する薬草の世話をしながら、フェムに話す。フェムも手伝いながら熱心に耳を傾ける。トムは遠くの方で散水機を使っている。
「植物には近縁種だけでなく、まったく別のものなのに似たものがあります。だから、五感を働かせることが、重要です」
「ええと、姿を見るだけじゃなく、触感とか匂いとか?」
説明を受けフェムが自分なりに考えるのを、カントは微笑まし気に見る。
「そうです。味はもちろん、その薬草がどんな味をしているのか、ということですね。音は触ったり処方したときに聞こえてくる感覚です。例えば、茎や根が空洞になっていたら、感触の違いからすぐにそれと分かるでしょう」
ルジェクはふたりを眺めながら、ふと師のことを思い出した。カントのように穏やかかつ丁寧にひとつひとつ教えてくれたのではないが、ちょうど同じようなことを言っていた。
空疎な知識を蓄えるのではなく、病を治すに至る薬効を見出すのだと。植物が持つ性質を読み取るために、形、色、匂いだけでなく、その本質をつかむ必要がある。
「そうすることで、内包する薬効を知る」
はっとルジェクはまたたいた。今のカントが言った言葉は、まったく師の教えと一致していた。




