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本日、二回目の投稿です。
その宿は人族の老夫婦が細々と営んでいた。獣人族でも嫌な顔をせずに受け入れてくれた。客商売だからとは言っても、中には他種族を嫌う者はいる。人族と獣人族、あるいは獣人族間であっても仲が良くない者たちはいる。
老夫婦は夕食にキノコ汁をふるまってくれた。パンはカチコチに硬かったから、汁にひたしてふやかして食べた。ワンダフルさんには物足りなかったようで、部屋に戻ってから干し肉をかじっていた。
酒を勧められたがワンダフルさんもケッティも断っていた。
「こんな街道の真ん中では飲めないでしょうに。さ、さ、おやんなさい」
「いやあ、先だってしこたま飲まされたから、当分はやめておくよ」
「わたしも旅先では止しているんだ」
「そうなんですかあ」
老夫婦はしきりに勧めたものの、ワンダフルさんもケッティも飲まなかったからか、残念そうだった。その代わりというのか、キノコ汁のお代わりをしきりに勧めた。
ソウタとユリはカチコチのパンに悪戦苦闘してなんだかお腹いっぱいになったから、キノコ汁はお代わりすることはなかった。
ワンダフルさんとケッティはなにか言いたげだったが、結局口をつぐんでいた。
「粗末なもんですがねえ」
「ゆっくり休んでくださいねえ」
小屋をちょっと大きくしたくらいの家だったから、部屋数も少ない。にもかかわらず、妙な構造をしており、客間は強引に造ったとしか思えない二階にあった。一行はひと部屋に押し込まれた。でも、寝るだけなのだし、事実、ソウタもユリも疲れていたからかすぐに眠気が襲ってきて、足の手当てをした後、すぐにベッドにもぐりこんだ。
いつの間にか眠っていたが、揺すり起こされた。
「しっ」
なにか言う前に、ケッティがソウタとユリの口の前に片前足をそれぞれ当てる。
「静かに。すぐにここを出る」
驚いたが、とにかく頷き、視線を彷徨わせる。カーテンもかかっていない窓は開かれており、そこから月明かりが入り込み、部屋をうすぼんやりと照らしている。扉の方は暗闇が濃いが、かろうじてワンダフルさんがそこに立っているのが分かる。扉の向こうの気配を窺っているのだと理解したとたん、頭がはっきりとしてくる。ケッティに言われた通り、ふたりは起き上がってブーツを履き、リュックを背負う。疲れていたから、荷ほどきする間もないままベッドに上がったのがこの場合、結果的に良かった。
ケッティが頷くと、ワンダフルさんが音もなく窓の方へ移動する。今度はケッティが扉の向こうの様子を確認する。
ワンダフルさんは窓の外の様子を探った後、ソウタとユリの方を振り向いて合図をした。そふたりはできるだけ音をたてずにすばやく窓の方へ行く。
「飛び降りられるか?」
ワンダフルさんはほとんど声を出さずに聞いた。ふたりはそろって頷く。近くには樹もなく、更に言えば、窓には頑丈そうな格子がはめ込まれている。しかし、猫族の子供の身体は柔軟だ。なんとか、隙間から出られるだろう。もちろん、格子の間から出てそのまま下に真っ逆さまに落ちれば、さすがに危ない。いったん、格子を掴んで———と思っていると、ワンダフルさんは格子を両前足で掴んでぐっと力を入れた。と、格子は少々の抵抗をみせただけであっけなく折れた。続いて残りの格子もにぶい音をたてて外れていく。
ソウタとユリはぽかんとその光景を眺めていたが、ワンダフルさんに促されて飛び降りた。格子がなくなったおかげでリュックを背負ったままでも潜り抜けることができた。続いてケッティが、その後、ワンダフルさんが合流して、一行は足早に立ち去った。
「一応、老夫婦の部屋に向けて眠りの魔法をかけておいたのだが」
大分離れた後、ケッティが言うのに、ワンダフルさんが頷く。
「まあ、静かに行動するに越したことはないだろう」
そう言いつつも、どこか別のところから賊を招じ入れないとも限らない。今晩の獲物がいなくなったと分かれば、追いかけて来るかもしれないという。
「走れるか?」
ワンダフルさんはふたりに聞いた。ソウタとユリは足の痛みを忘れて頷いた。
朝が来て、街道に戻って先へ進んでいる最中も、後ろから誰かが追いかけて来るのではないかと、気が気ではなかった。
魔獣ではなく、言葉を交わした人族に狙われるなど、怖ろしさに鼓動はずっと速くなったままだった。
「キノコ汁がちょっと変な味がするなと思ったんだ」
歩きながら、ワンダフルさんはそう言った。ケッティも同じように思ったのだという。
「食べたことがない種類のキノコなだけだという考えもできたから」
一概に毒だと言い切ることはできなかった。
しかし、夜半に、誰かが廊下の向こうからこちらの様子を窺う気配がしたことから、ワンダフルさんとケッティは迅速に行動することにしたのだという。つまり、逃げ出すことにした。
「窓から見えたんだが、近くの樹の枝にランプを吊っていた。あれは誰かへの合図だ」
夜には遠くの灯りは良く見える。つまり、一行には少しの猶予もなかった。変な真似をされないためにも、時間稼ぎのためにも、ケッティは老夫婦の部屋に向けて魔法を放った。
「別の部屋から別の部屋に向けたものだから、さほど強力な効果はない」
だが、駆け付けた賊がなかなか起きてこない老夫婦に、いつもとは勝手が違うことにまごついている間、逃げる時間をいくばくかは得られるだろうという。
せっせと街道を歩きながら、ソウタとユリはワンダフルさんとケッティの話を聞いていた。
一行は宿屋で眠り薬を混ぜられ身ぐるみはがされそうになっていたのだという。力が弱く、悪事を働けなさそうな老夫婦だけならば、旅人は油断する。そうして眠らせておいて、呼び寄せた賊が乱暴を働くのだ。
そんなひどいことがあるのかとふたりはしょげた。
「世の中そういったこともままある」
そう言うワンダフルさんを、ソウタが見上げる。
「それでも、ぼくはこの世界を嫌いになりたくないよ」
「うん。きっと、嫌いになれないよ」
なぜなら、異種族なのにふたりはたくさん温かく迎え入れられた。悪いことばかりではなかったのだ。
初めて会った人族とランタン祭りを楽しんだり、ランタンキンギョソウをもらったり、虎族の店員さんにおまけしてもらったりした。ワンダフルさんの大切な者がいる世界だ。ケッティがもっと隅々まで見て回るかもしれない世界だ。
たしかに、あちこちでは病や飢饉で大変なことになっているのかもしれない。思い通りにならないからと言って忍び込んで他者の手紙を燃やしたり、他者を傷つけて金品を奪おうとする者もいる。
それでも、いろんなことがあるのが、この世界なのだとふたりは学んだ。不可解なこと、不条理なことはたくさんある。そういうものなのだ。
ソウタとユリは交互にいっしょうけんめいにそんなふうなことをしゃべった。
ワンダフルさんは破願してふたりの後頭部を撫でた。この旅で、ふたりは色んなことを知り、学んでいる。その手助けができることが誇らしいと言った。
「すごいな」
短いひと言の中に、ケッティの純粋で単純な感嘆の感情が込められていた。
それは長じるにつれ、変わってしまう価値観かもしれない。それでも、今、幼い猫族の子供たちはそう思うのだ。その感情はケッティの心をゆすぶった。
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