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一行は結局、ケット・シーたちの村に入ることすら許可されず、湖に戻って来た。
ソウタとユリの気持ちを反映させたかのように、空はどんよりと雲が覆っている。
「降りそうだな。急いで岸に向かおう」
ワンダフルさんはそう言ってぐいぐいオールを漕いだ。
「ねえ、雨で妖精の環、なくなっちゃわないかな」
「どうかな」
返事をしつつ、ソウタはユリがまだあきらめていないのだと感じた。
岸に着くと、ワンダフルさんは丸太舟を引き揚げる。ソウタとユリも手伝った。木立の中に立てかけておいて、「こうしておいて、また日を改めて訪ねよう」と言ったのは、ワンダフルさんもユリの無念さを感じたからだろう。
「そら、降って来た。本降りになったら梢の屋根では雨漏りし放題だ。来るときに見た洞窟へ向かうぞ」
「「うん」」
湖は山間の小山のてっぺんにあった。登って来るまでにぽっかりと口を開いた洞窟を見つけていた。三人は慎重に丘を降りた。
足元に気を付けていたことも手伝って、いつもは賑やかなソウタとユリはこのときばかりは静かだった。
洞窟に着いたときには雨足は強まっていた。途切れた木立から洞窟までのわずかな距離で三人は濡れそぼった。
洞窟に足を踏み入れたとたん、ワンダフルさんはす、と鼻先を洞窟の奥にやったが、すぐにソウタとユリの背中をやさしく押して、濡れない位置にまで移動させた。
「やれやれ。ソウタがプレゼントしてくれた撥水布のマントがこんなに早くに役に立つとはな」
洞窟の入り口でワンダフルさんがマントを脱ぎ、軽くはたく。それだけで大分水がすべりおちる。
ソウタはゼンマイ式ハムスターでたっぷり稼いだお金を三人分のマントでほとんどすっからかんにした。撥水布はそれだけ貴重品なのである。
ワンダフルさんは同じようにマントを脱ぐふたりにここで待っているように言って、内部に危険がないかを確かめに行った。夜目は効くし、入り口からそう離れはしないのでランプの類の灯りはつけなかった。
「ねえ、なんだかちょっと不思議な匂いがしない?」
ユリが洞窟の奥に向けてふんふんと鼻を動かす。
「うん。雨の匂いでよくわからないけれど」
お日さまに照らされたすべてのものがふっくらと匂いを発するのと同じように、雨にぬれそぼったら、また違った匂いを生み出す。それに紛れてある種の匂いが感じられた。これは、たぶん。
「獣人の匂いかな?」
「うん。猫族でも犬族でもないね」
そんな風に話しているとワンダフルさんが戻って来た。その後ろにもうひとつ足音が続く。ワンダフルさんの背後から小柄でほっそりした獣人がひょこりと出てきた。
「この子は丘のふもとの集落に住む獣人だ」
「フェレット族のフェムだよ」
細長い身体に短い四肢、丸い顔にちょんちょんとついた半円の耳、むにっとしたへの字口といったフェレット族特有の姿をしている。毛色は白地に茶褐色だ。顔は白くアイマスクのように茶褐色の毛でおおわれている。
「ぼくは猫族のソウタ」
「わたしはユリ」
「フェムは成獣の儀式のためにここに来たのだそうだ」
「「聖獣の儀式?!」」
フェムの話ではこの丘は彼の村では「聖なる山」と呼ばれているのだそうだ。
「え、てっぺんの湖に行ったの? 大丈夫だった?!」
驚くフェムの様子に、どうりできれいな場所なのに人気がないと思ったとソウタはこっそり思う。
「どうともないぞ」
「なんなら、真ん中の小島にも行ったわよ」
安心させるようにワンダフルさんが言い、ユリも付け加えるも、逆にそれがフェムを驚愕させる。
「えぇ?!」
即席で作ったサンドイッチがその両前足から落っこちそうで、そちらにソウタははらはらした。
なぜふもとの集落で暮らすフェムがこの洞窟にいるのか、なぜソウタたちがここに雨宿りに来たのか、双方の事情を話そうとしたところ、お腹が鳴ったのだ。誰のお腹かは名誉のために伏せておく。
手早く火を使わないで済むサンドイッチを作ってみなで食べながら話すことにした。
一日経ってもまだ柔らかいパンにハムやチーズを挟んだ。いや、噛みちぎるときにはじっこが硬かったから、そろそろ食べきった方が良いかもしれない。そのほか、保存食として干し肉やドライフルーツ、堅く焼き固めたパンもある。
「フェムはもう成獣の儀式を受けるの?」
ソウタたちとそう変わらない年齢に見える。
「うん。早く大人になって働きたいんだ」
言って、フェムはきゅっとへの字口に力を入れた。そして、思い出したかのように両前足に掴んだサンドイッチにかぶりつく。ソウタとユリは顔を見合わせたが、かける言葉が見つからず、こちらも空腹を満たすことに専念した。
「聖なる山」と呼ばれているものの、とくに足を踏み入れてはいけないということもない。
「でも、気をつけなくちゃならないんだよ」
フェムは真剣な表情でソウタたちを見渡した。そして、そっと声をひそめる。
「なにしろ、あのケット・シー姿を見かけた者がいると言うんだ」
「「「あー」」」
ソウタたち三人はなんともいえない声を出す。
「あ、やっぱり知っているんだ。ソウタとユリは猫族だし、ワンダフルさんはあちこち旅する冒険者だもんね」
フェムがそう言うが、ソウタとユリは猫族の子供特有のころころした丸っこい体型だ。そう世慣れているようには見えないだろう。
ケット・シーが残した妖精の環を踏んでケット・シーたちの村まで行ったとは言い出せなかった。門前払いされた記憶が苦くよみがえる。
「そうだね。湖、とくに真ん中の小島には近寄らない方が良いね」
「良く知っているね、ユリ」
フェムがもともと丸い目をさらに見開く。
やはり、そんな風に言い伝えられているのか、とソウタは得心がいく。しかし、ずいぶん正確に伝わっている。言い伝えは曲解されたりオブラートに包まれているものだが、そのままではないか。
「ケット・シーたちは魔力が豊富で、なにより気まぐれな妖精だからね。どんなことに興味を持ってどんなことが癇に障るのか分からないんだ」
「うん。本当にそうだよ」
ユリはサンドイッチに噛みついた。むっしゃむっしゃと咀嚼しながら二度三度頷く。
「ユリってもしかして、」
「ケット・シーに会ったことはないよ」
ただ、声を聞いただけである。姿を見る事すらかなわなかった。
「フェムはケット・シーを見たことがある?」
「ううん。でも、村の獣人が見たことがあるんだ」
むかしのことだけれどね、と言ってフェムはウリリの水筒を煽った。
ウリリは熟すと甘くなる果実で、皮は硬い。熟しても少し放置しておくと中身がぐずぐずになるから、てっぺんに穴をあけてちゅーっと吸い出す。棒を突っ込んできれいにかきだして中身を食べた後、しっかり洗って乾かせば水筒がわりになる。
強いて難点を挙げるとすれば、大きな楕円形で、邪魔になるということくらいだ。大きい分、たっぷり入るので、欠点とは言えない。
フェムはすぐに済むだろうと思って食料を持って行くつもりはなかったが、母親が水筒くらいは持って行くようにと渡してくれたのだという。
「母さんは料理店で働いているんだ」
フェムは水筒をなでながら言った。
「ぼくと弟と妹たちは母さんと血がつながっていないんだ」
ソウタとユリはサンドイッチを食べるのを中断してフェムをまじまじと見つめた。




