挿話7-1
あの人はやさしい顔で聞いた。
「マルメロの花言葉をご存知ですか?」
自分はなんと答えたものか。きっと、なんの面白みもない答えだっただろう。でも、あの人はこういってくれた。
「そうです。そして、魅力というのもあります。まさしく、貴女にふさわしい」
いろんなことを知っている人だった。そして。
「その昔、愛と美の女神に贈られたことが由来しているそうです。わたしも貴女に魅惑させられています」
そんなふうに言ってくれた人だ。
なのに、どうして。
あの人は農場妖精のトムと薬師のカントといっしょに薬酒を造っていた。それが出来上がると、故郷に持って帰りたいと言った。それを必要とする者がいるのだ。すぐにみなが察した。
【きゅっとすぼめるトルメンティル】は薬効豊かな妖精の薬草だ。その生の根で作られた薬酒は「見放されたあらゆる病に対し、効き目がある」とされている。トムやカントにはすぐにあの人がなにを欲しているか分かっただろう。
ずっと旅してまわっていると言っていたが、薬を求めていたのだろうか。だから、あんなに植物に詳しかったのだろうか。
誰のために?
帰ると言っていた郷里にいる者のために?
もともとここから立ち去るつもりだったのなら、どうしてあんなふうに言って自分を嬉しがらせたのだろう。たんなる社交辞令だったのだろうか。自分が勝手に舞い上がっただけなのだろうか。
そうして、あの人は行ってしまった。
「実はわたしの名はルジェクではないのです。あなたにだけは伝えておきたかった」
あなたにだけは、本当の名を知っていてほしい。そう言って名を告げてから姿を消した。
あの人は別の名を名乗っていたのだ。
どうして?
もう戻って来ないつもりなのだろうか。宝石姫の心の半分をもぎ取っていったまま。
ルジェクが【きゅっとすぼめるトルメンティル】薬酒を携えて農場牧場を去って行ったあと、宝石姫は自室に閉じこもってぼんやりとしていた。心あらずといった風情の宝石姫に、守護犬は心配そうに付き添う。
農場牧場へも顔を出さなくなり、両親も心配している。
「姫、フェレット母さんとフェマが作ったお菓子が届いたぞ」
常に傍に在る守護犬の声にそちらを向けば、テーブルにバスケットが置かれている。守護犬が持ち手を咥えて運べるようになっている。
「まあ」
侍女がバスケットから取り出したお菓子はまるで宝石を閉じ込めたようなうつくしいゼリーやベリージャムのクイックブレッドマフィン、そしてベリーのクラフティまであった。ゼリーは宝石のようだから、宝石姫のお菓子だと言われている。ほかの二点は、両親があの農場牧場へ行った際、土産として預かって来たものだ。妖精攫いに遭ったせいで外に出なくなった宝石姫のために、と作ってくれたものだ。
ひと口食べてぽろぽろ涙をこぼす。
「美味しいわ」
口の中にやさしい甘さが広がる。トムとカントが丹精した滋味たっぷりの素材を使っている。フェレット族兄弟はまたベリー集めをしたのだろうか。
あのなんの憂いもなくただただ楽しく、輝くような日々がなつかしい。もうはるか遠い昔にも思われた。
夢見るようなまなざし。おっとりしていて浮世離れしており、その雰囲気を壊したくない、守りたいと次第に思うようになった。
蝶のような半透明の翅が陽光を浴びてきらきら輝く。まばゆい光そのものだった。
そんな彼女が、見事な毛並みの巨大な犬をつれてゆっくり歩くのは、夢のような場所だった。うつくしく整地された豊かな農場牧場、多様な食材、滋味たっぷりの食事。あんなに恵まれた場所があるのに、自分の国はいつもひどく怯えていた。それでも、あの幸せを壊して良いはずはない。良いはずはないが、比べようもなく疲弊する様子にやりきれなさを感じずにはいられない。
民を救う「秘薬」を求めて国を挙げて人も物も集めていた。
あらゆる病気に効き、いかなる感染をも防ぐ高価な「秘薬」が流布した。製造者も売人もその成分を秘中の秘としており、国は豊富な資源を資金として手に入れた。
「生命の水」。
どんな感染をも防止する薬だとされ万能薬とされていた薬も効果を発揮しなかった。
これらの秘薬の成分にはたいていアンゼリカが含まれていた。
そんな秘薬のひとつだったテリアカについてもいろいろな噂が飛び交い、さまざまな記述がなされた。
医者や薬師、治療師だけでなく学者や錬金術師などが集められ、研究を重ねた。
アンゼリカ、タイム、シナモン、ローズマリーなどの多くは強力な殺菌作用を持つことが判明した。
ついには、古代の万能薬テリアカの再現について研究が進められた。
リンドウ、カノコソウ、ショウブ、ショウガ、アンゼリカといった薬草が集められた。
けれど、集めるだけだ。
あの牧場農場では植物を育てることから行っていた。まずはそのための環境作りから丁寧にしていた。そうするだけの知識も技術もあった。農場妖精と薬師とが力を合わせて作り出していた。植物が生育に適した環境ですくすく育つうちに力を蓄える。その力が薬効を生み出す。
なのに、自国はどうだ。必要なものをかきあつめてきて、それを組み立てるだけだ。もちろん、分量や配分、配合などは重要だ。でも、カントの言葉が思い出される。
「その薬草がどんな味をしているのか、触ったり処方したときに訴えかけてくる感覚はどんなものか。それらを知る必要があります。例えば、茎や根が空洞になっていたら、感触の違いからすぐにそれと分かるでしょう」
自分の師も同じことを言っていてなお、自分たちで育てることはしなかった。自生の植物が育つ様子をつぶさに観察することはなかった。
カントは言った。病を治すに至る薬効を見出すのため、植物が持つ性質を読み取るのだと。形、色、匂いだけでなく、その本質をつかむ必要がある。
「そうすることで、内包する薬効を知るのです」
あの穏やかな環境にあってさえ、みながみな、自分の居場所を守るために力を尽くしていた。
国では人やものを集めるだけでなく、人をやって情報や知識を探すようになった。
ルジェクもまたそういった者のひとりだ。
方々を歩いて回り、「見放されたあらゆる病気に対し効き目がある」という薬酒のことを知った。
それも、ふつうのトルメンティルではなさそうだということだ。
妖精の素材。それはまるで雲をつかむようなものだ。
しかし、とにかく暗闇に現れたひと筋の光だ。それにすがるようにして、訪ね回った。そうして、たどり着いた。あの夢のような農場牧場へ。
幻とも称される妖精の素材を丹精する農場、そこで働く農場妖精、彼に請われて力を貸す薬師、そしてできた作物で作られたとても美味しい料理と、健やかに過ごす子供たち。ルジェクの国では望み得ない場所だった。
彼らの協力を得て探し求めていた【きゅっとすぼめるトルメンティル】の薬酒をとうとう手に入れた。しかも自分も作成するのに協力した。得難い経験だった。それを可能にしてくれた友の存在。こちらになにか仔細ありげだと気づいた上で踏み込まず、力になると言ってくれた。
有り難い。その友の要請を受けて妖精までも力を貸してくれて手に入れることができた。
「見放されたあらゆる病気に対し効き目がある」と言われる薬酒だ。
【きゅっとすぼめるトルメンティル】の薬酒ができあがり、立ち去りがたかったが、同時に早くこれを故郷へ持ち帰りたいという気持ちでいっぱいだった。なんだか、もう二度とここへは戻れないような気がして、あのうつくしい方に本名を告げた。そのときしか、真実を口にする機会はないと思ったのだ。
後ろ髪引かれる思いは、見慣れた風景を歩くうち、自然に薄まり、足が早まった。風が強く吹き、服の裾がばたばたと音をたてる。こんなに風が吹きすさぶ国だっただろうか。あの農場牧場では吹く風すらも穏やかだった。
迎え入れる郷里の人々は温かみのかけらもなく無味無乾燥なのに、なにか手がかりを掴んだのかという期待や嫉妬、欺瞞を見抜こうとした。
そして、【きゅっとすぼめるトルメンティル】の薬酒はそこそこの効果を発揮したが、病の完治には至っていない。
国の者たちから、これをどこで手に入れたのかしつこく聞かれた。それも当然だ。妖精の素材は喉から手が出るほど欲しいものだ。
知り合いに妖精素材を譲ってもらって作ったのだと言った。嘘ではない。けれど、執拗に追及された。
入手経路について疑いをもたれ、居心地悪い気持ちを抱えつつ、もらい受けた特別なアンゼリカを渡す。心を強く持てるように。病に負けないように。病に負けて他者を貶めることをよしとしないように。




