第42話
険阻な山谷に敷かれた峠越えの道のなかほどに川があった。川に削られた谷は聳え立つ壁のように通行を妨げたので、人々はその川の上に木造の橋を架け交通の便を図った。
いまその橋の上で男女が向かい合っていた。すでに日は傾き辺りはすっかり闇に閉じていたが、向かい合うふたりの瞳は月明かりを映して光を揺らしていた。
「さて、ここを選んだか」
女は鈴を転がすような声でホホホと笑った。その笑い声を聞いた太郎は手で胸を押さえて苦痛に耐えた。太郎の瞳に閃く光は憎悪。憎しみの炎だった。
太郎はすぐに気持ちを抑え鎮めた。憎しみを抱いていては女を利するのみ。自分がここで堕ちては多くの人が不幸にもなる。
太郎は腰の刀を抜くと一気に女との間合いを詰め横なぎにブン!と振った。女は胴から真っ二つにわかれその場にどさりと倒れた。太郎は注意深く女から距離をとり様子を見た。
「良い刀じゃ。だが腕が足りぬ。ホホホホホ!」
太郎が斬ったはずの女が立ち上がった。ふたつに分かれた体が知らぬ間にひとつになっていた。太郎はそれに驚くことなく素早く身構えた。
女は手に持った扇を広げ太郎に向けて扇いだ。火が生まれそれが鋭い矢に変わり風を喰らうように太郎に向かった。
太郎は刀でそれを弾いたが、あまりの衝撃に重心が後方に流れた。その隙を狙って女は次の矢を放った。太郎は一瞬で矢の軌道を読み、流れた態勢に乗るようにして後ろに跳び矢を躱した。
「ほう?ほうほうほう。これは見縊った。ホホホホホ!これでは人のことを言えぬなぁ。ホホホホホ!」
女は楽しそうに笑った。太郎はそれに反応せずに刀を上段に構えた。ほんやりと光る刀が闇夜を切り裂くように振り下ろされた。
太郎はそのまま刀を跳ね上げて左に流す、そこからまた上段に。流れるように足を捌き、体を運ぶ。刀はひらひらと蝶のように舞い月光を斬った。
「ホホホホホ!刀舞とは雅なものよ」
太郎は刀を振り続けた。女が言ったようにこれは刀舞。一種の儀式。四方に恃み、四維を遇し、天地自然を象って力を汲む。
「掛かけまくも畏かしこき いざなぎの大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に・・・かしこみかしこみもまをす」
太郎は祓詞をつぶやきながら舞った。刀は次第に錆を浮かせ、ボロボロと崩れ始めた。太郎はそれに構わず無心で刀を振るった。刀身が朽ちて、鍔が落ち、やがて柄まで灰となって消えた。
女は楽しそうにその様子を眺め、太郎の舞が終わると満足そうに頷いた。
「見事じゃ」
女は太郎を褒めて、その褒美とばかりに矢を3本放った。瞬きの間に迫ってきたそれを太郎は片手を振るうだけで払った。矢は頑強な壁に当たったようにひしゃげて地に落ちた。
見れば太郎の体を中心に風が生まれていた。刀舞で汲み上げたのはこの深山を走る風の力だった。
「ホホホ。それでこそ太郎よ」
女は扇を懐に入れると代わりに髪からかんざしを一本取った。へら型の吉丁。小さな飴色のかんざしは女の手の内でみるみる細く鋭く伸びて姿を変えた。
対する太郎はその間に背負っていた弓に矢をつがえ、女に放つ一瞬を待っていた。
女が刃物を構え太郎が弓を引き絞る。先ほどまでの得物を交換したよう構図になった。
「さぁ仕舞いじゃ」
闇夜をさらに黒く染めて女はぼやけて消えた。しかし太郎には見えていた。風の乱れが女の位置を示していた。素早く狙いを定めると迷わずそこを射た。
風をはらんだ矢は過たず女を捉えた。矢は女の得物を砕き、そのまま胸を貫いた。続いて風が女を取り巻き縛した。
太郎は二の矢を継いで放った。女はあの程度で消滅するようなものではない。貫いた胸さえ傷ひとつ負っていないだろうと推察された。
二の矢は女の首を刎ねた。さらに風が女の体を圧し潰した。しかし太郎はじわじわと沁み出してくる焦慮に手を震わせ継ぐべき矢をとり落とした。
「さらばじゃ、太郎」
耳元に女の声が響いた。鈴の転がるような声。美しい音。太郎は己の死を悟った。
”今しばらくは!”
意識が白に塗りつぶされる前に、太郎は最後の力を振り絞って風を繰った。風の刃が橋を舐め、ばらばらに吹き飛ばした。これとて女にとってはいかほどの足止めになるまいが、これが太郎の最後の意地だった。
”この橋は通さない!”
太郎は橋の残骸とともに川に落ち、流れた。太郎の死体はしばらくして川から引き上げられた。引き上げたのは女。
「ホホホホ!いまこの時こそ我が時よ」
女は火を焚いて太郎を焼いた。
太郎はびくりと身を震わせて目を開いた。またあの夢だ。あの女の人。敵。僕みたいな僕じゃない人が女の人に殺された。
頭が少し痛い。胸もいくらか苦しい。太郎は泣きそうになったが我慢した。あの僕に似てる人は立派に戦っていた。僕が泣くのは間違っている。泣くならあの人が泣かなきゃダメだ。あの人が泣いてないなら僕が泣いても意味がない!太郎は理屈もなくそう思った。
「刀舞。きれいだったな」
次第に薄れていく夢の記憶のなかで刀の舞はなぜだかはっきり思い出せた。
「あれ、ぼくにもできるのかな?」
明日ベルに聞いてみよう。太郎はそのままいつもの眠りに落ちた。




