第41話
「太郎君、おはよう」
「絵里ちゃん、おはよう」
「宿題やってきた?」
「あっ、忘れた」
「忘れたの?見せてあげよっか?」
「うん。ありがとう」
「なんか疲れてない?習い事大変なの?」
「え?ううん。大丈夫だよ」
「ほんと?」
「うん」
学校につくと絵里はいつものように太郎に声をかけた。太郎は大人しい性格からか自分からひとに話しかけたりしない。だからいつも絵里から話しかけるのだ。
絵里はそのことが一時不満で仕方なかった。友達や母親に相談したりもした。しかし”太郎君だからね”で済まされることが多かった。絵里も確かにそう思ってしまった。”太郎君だから仕方ない”と。
いつもぼけっとしていて鈍そうに見えるのに運動が得意な子。運動が得意なのにそれをひけらかしたり自慢したりしない性格の良い子。
友達がほとんどいないのにそれを気にしていないし、むしろひとりでいることを好んでいるように見えるちょっと変わった子。
でもクラスの誰もが一目置いていることは間違いなくて、特に女子からの人気が不思議と高い子。
太郎の顔は目鼻立ちにこれといった特徴はない普通の顔だ。特別格好いいとか可愛いわけではない。なのになぜ女子に人気があるのだろう。
絵里は太郎を見て小さく笑った。太郎を見ているとなぜか楽しい気持ちになるのだ。そう、それが太郎の人気の秘密かもしれない。
言葉では説明しにくい魅力があるのだ。それを敢えていえば太郎の存在そのものに”可愛げがある”ということか。
太郎がぼけっとしていて他人の話を聞いていなくても、遊びの誘いをあっさり断っても、いじめられたりからかわれたりしないで”太郎君だから”で済まされるのはこの謎の可愛げのおかげかもしれない。
絵里は毎日頑張って太郎に話しかけているがその返事はそっけないことが多い。”うん”だけで終わってしまうこともままあった。
しかし絵里はそれで落ち込んだりはしない。その”うん”でさえ奇妙な可愛げがあって、謎の満足感を与えてくれるのだ。
だから返事が短すぎるからと怒る気にはなれないし、ましてその”うん”さえもらえない女子がいることを考えればそれだけで優越感を感じることができた。
「走るの速くなった?」
「ううん。なってないよ」
「太郎君はもう速いから大丈夫だよ」
「そうかな」
「そうだよ。はいこれ宿題のやつ。ママと一緒にやったから間違ってないと思うよ」
「ありがとう」
絵里は太郎に宿題になっていた算数の問題の答えを見せた。太郎は筆箱から鉛筆を出してその答えを写す。絵里はその姿を満足そうに眺めた。
放課後、太郎は絵里と並んで歩いていた。絵里に途中まで一緒に帰ろうと誘われたのだ。施設で訓練のある日はどんな誘いも断って走って家に帰る太郎だったが今日は訓練のない日。
それでも家や公園でベルと特訓するために早く帰りたかったが、宿題を写させてもらった身としては絵里の誘いを断りづらかった。
同じクラスの女子達に少しにやにやされながらふたりは教室を出た。
「太郎君。今度真理ちゃんの誕生日会があるの。行くでしょ?」
「え?ぼく誘われてないよ」
「違うよ。わたしが頼まれたんだよ。真理ちゃん、太郎君に来て欲しいって言ってた」
「いつ?」
「来週の水曜日だよ」
「水曜日は習い事があるから行けない」
「お母さんに言ってその日だけ休めない?」
「うん。習い事は休むとこわいんだ」
「お母さんが?」
「う、ううん。先生がこわいんだ」
「そっかぁ。真理ちゃんがっかりすると思う」
「ごめんね」
太郎は僅かに笑みを浮かべた。誕生日会の誘いを断れたことにほっとしたからだ。施設の訓練を休んでまで行くつもりはなかった。
絵里は太郎の表情をちらりと見て静かな怒りの炎を燃やした。太郎が誕生日会に行けないことを喜んでいるのだと思った。
”真理ちゃんは太郎君に誕生日を祝って欲しかったのに!”
絵里は太郎に対する独占欲のような気持ちと、友達の真理に対する友情との間で思いを揺らしながら考えた。
太郎が他の女の子と仲良くするのは嫌だけど、友達に頼まれたことはしっかりやりたい。それも大事な誕生日会の誘いだ。友達は太郎が来ることを楽しみにしていた。
それなのに太郎は簡単に誘いを断って笑ったのだ。絵里の怒りの熱はどんどん上がっていった。
「太郎君。いまちょっと笑った?」
「え?」
「え?じゃないよ。真理ちゃんの誕生日会に行きたくなかったんでしょ!」
「その日は訓れ、習い事があるから。だから」
「だったらなんで笑ったの!」
「笑ってないよ」
「笑ってた。見たもん!」
太郎は絵里がこんなに怒ったのをはじめて見て驚いた。笑ったと言われたが太郎には笑ったおぼえはない。絵里がなぜ怒っているのか分からなかった。
そして怒った女の子相手になにを言えばいいか分からなかった。責められているのは間違いなさそうだが、謝るという選択は思い浮かばなかった。自分が悪いとは全く思っていなかったからだ。
そして太郎は沈黙を選んだ。これは太郎の一種の処世術になっているものだった。どうしようもない時は黙る。我慢して耐える。太郎の長所のひとつだが、この場合はそれが裏目に出た。
「笑ってたもん!ひどいよ、だって、真理ちゃん、が、太郎、くん、に」
絵里は泣き出した。涙をぽろぽろ流してそれを手で拭い、声を上擦らせて”だって、だって”と太郎を責めた。
太郎はそこではじめて自分が悪かったのだと感じた。何が悪かったか分からないが、絵里ちゃんが泣いたのだから悪いのは自分だと思った。
「ごめんね」
太郎はとりあえず謝った。全く気持ちのこもっていない謝罪だったが一応の効果は見られた。絵里の涙が数秒の間に引いていったのだ。
「うん。いいよ」
しばらくして絵里が太郎を許した。今の涙はなんだったんだろうと太郎は思ったが、許してもらえたからいいやとそれ以上考えなかった。
少し気まずい雰囲気になってしまったが、3分もするとふたりはもういつも通りに戻っていた。
「わたしもね、習い事するの。英語だって。やだなぁ」
「へー」
「太郎君。ちゃんと聞いてる?」
「うん。聞いてるよ」
太郎は外に浮かんでいるピカピカを操って視界に道を作るのに夢中になっていた。ただ絵里との時間を楽しんでいたのも確かだ。優先度が少しピカピカの方に傾いているだけで。
「じゃあまた明日ね」
「うん。ばいばい」
別れ道で手を振って別れた。太郎は一瞬ベルに目で合図して走り出した。
「競争ね!キャハハハ!わたしに勝てると思ってるの?ブーーン!わたしの方が速いぃぃーーー!」
夏も終わり少し肌寒い季節になっていたが、太郎は汗だくになって家に帰った。




