第31話
太郎の新しい生活が始まった。訓練に通い始めて約2週間。もうすぐ夏休みが終わる。太郎の夏休み後半はほとんど訓練に費やされて終わりそうだ。
朝の8時、送迎の車が太郎の家の前に到着した。太郎は母親に”いってきます”と言って車に乗り込んだ。車は国立総合運動場一般立入禁止エリアのゲート前まで直行し、太郎はそこで降りた。
「ありがとうございました」
太郎がお礼を言うと運転手の渋いおじさんが片手を上げてにやりと笑った。太郎はゲートにIDカードをかざして入場すると、事務棟のロッカールームで用意されたジャージに着替えた。
家から持ってきたリュックから水筒とタオルだけ出してロッカーを閉め外へ出ると事務棟から100メートル程先にあるフィールドアスレチックエリアへ向かった。
「よし。全員揃ったな」
「はい!」
ササキが子供達に号令をかけた。この女性は太郎がはじめてここに来た時に会ったあのササキだ。ここでは子供達の教師をしている。
子供達は6人で1チーム。チームは年齢の近い子供達で構成されるが太郎のいるチームは太郎以外は全員1歳2歳年上だった。この施設でもう1年以上の訓練をしているチームに太郎は合流したのだ。
「ミユ、コウヘイ、シュン、アイリ、ダイチ、タロウの順だ。1周10分サイクル。8分でゴールすれば2分休みってことだな?前が出たら1分後に次。わかったな?行け!」
「はい!」
考える間もなく始まる訓練。準備運動すらない。木とロープで砦のように組まれたアスレチックコースに子供達が走って飛びついていく。
一本橋。ロープで作られた坂。丸太の壁。雲梯。吊り橋。塔。様々なものがあるがそのどれもが普通ではない。
大人でも乗り越えられない壁だったり、落ちたら骨折くらいはするだろう高さの一本橋や塔。雲梯は急な角度がつけられて50メートルは続いているし、碌に枝もついていない木を登って降りる。
どれをとっても危険だし、難易度が高く、安全が考慮されていない。防護ネットや落下を防ぐ柵や手すりなどというものはないのだ。
当たり前だが訓練中に落下する子供はいる。結果骨折くらいはする。頭から落ちれば死ぬかもしれない。しかしここにいる子供達もまた普通ではないのだ。
ピカピカ。ここでは”気”と呼ばれているもの。それを纏えば身体能力が上がる。いまアスレチックに挑んでいる子供達は全員”気”を纏っている。よって頭から落ちても死にはしないだろうし、そもそも頭から落ちるようなヘマはしない。
”気”を纏えるからこそこの訓練に参加しているとも言える。しかし怖いものは怖い。太郎は最初びくびくしながらコースを進んだ。
しかしもっと怖いものがあった。ササキである。びくびくしながら遅々として進まない太郎はササキに呼びつけられ容赦なくビンタされた。
「遅い!お前は亀か!もっと速く走れ!」
太郎は勇気を出して頑張ったが”もっと速く走れ!”と怒声が飛んできた。これ以上は無理だと思いながらも恐る恐る続けていると、ササキに呼ばれてまたビンタされた。
恐ろしくスパルタなのだ。体罰は当たり前だった。しかも連帯責任だと言って6人全員叩かれることもあった。ここではそれがまかり通っていた。
”何でこんな目にあわなきゃいけないんだ”と反発しながらも太郎は走った。落下して怪我したこともあった。しかし2週間も続けると結構簡単にこなせるようになった。
落下の恐怖はすぐに感じなくなった。落ちてもそれほど大した怪我にはならないと知ったことが大きかった。
ゼェハァと子供達の荒い息遣いが聞こえる。規則正しい呼吸音に交じって鼻をすする音も聞こえた。ダイチが泣いていた。泣きながらも必死に走っていた。
「ダイチ!泣くな!」
ササキの怒声が響いた。”はい!”とダイチが返事した。太郎は”ダイチ頑張れ”と心の中で応援しながらアスレチックを楽しみはじめていた。
「ベル見て!こうするともっと高く跳べるよ」
「キャハハ!タロー。いい調子よ。こんなのイージーでしょ?イージーね!キャハハ!もっともっと高く跳んでちょうだい!もっと!もっと!」
1時間くらいは走っただろうか。ササキが終了を告げた。
「よし。悪くないな。10分休憩したら2セット目いくぞ。9分30秒サイクルだ」
「はい!」
子供達は呼吸も整っていない状態でも元気よく返事した。ただし太郎だけは別だ。実はそれほど疲れていない。
それはなぜか。太郎はピカピカを何度も重ね掛けしている。一方ほかの5人はただ纏っているだけ。そのせいで身体能力が全く違うのだ。
ササキは太郎の様子を見た。他の5人より明らかに余裕がある。ここへ通い始めてたった2週間しか経っていないのに1年以上いる5人を越えてしまっている。
”気”の流れに淀みがなく、活性も素早いことは最初に会った時から分かっていた。ガモウ老人も素晴らしい才能だと言っていた。それでも追いつくまでに半年はかかるだろうと考えていた。
「妖精か」
なぜ太郎は成長が早いのか。それは太郎についているベルの影響だと思われた。妖精に気に入られた者は祝福を受ける。気の扱いが格段に向上するのだ。
ところで太郎の妖精は西洋型。元来日本にいる種ではない。ではどこからやってきたのだろうか?外国から渡ってきたものがたまたま太郎の気と波長があったのだろうか?
ササキは太郎に聞いてみたことがある。
「いつのまにか団子から生まれました」
太郎はそういって嬉しそうに笑っていた。ササキは意味が分からず太郎に再度質問した。
「だってお団子作って、それでいつの間にか喋るようになって・・・」
ササキはやはり理解できずガモウに相談したが、ガモウにも分からなかった。妖精に直接確認したかったが妖精は誇り高い。
契約者以外とはまともに口をきかない。下手につついて怒りを買うことはしたくなかった。あの妖精の力がどれほどかも分かっていないのだからなおさらだ。
「よし。休憩終わり。2セット目・・・行け!」
「はい!」
子供達は目下体力の向上と気の扱い方の訓練をしている。これが基礎の基礎。この程度の訓練についてこれないようでは瘴気を相手にすることなど出来ない。
無理に次の段階に進ませることはしない。一定水準を満たすまで基礎を磨く。こなせなければ容赦なく体罰を行う。肉体的にも精神的にも暴力に慣れされる必要があった。
「そうしなければ将来不幸になるのはこの子達だ」
脱落して普通の生活に戻っていく子供は少なくない。それでもこの訓練を続けなければならない。ササキは感情を殺して厳しい眼差しを子供達に向けた。




