第12話
太郎の母親はクラスの他の子の母親から太郎の足の速さについて質問された。幼稚園のころから練習などをしていたのか?何か習い事をしているのか?もしかして両親のどちらかが元陸上選手?
太郎の母親は困惑した。太郎からは50メートル走の結果について何も聞いていなかったからだ。
「いいえ。うちの子は何も習い事なんかしていませんよ。足が速いなんて知りませんでした」
「そうなの?うちの子は太郎君がすごいすごいって。僕も太郎君みたいに速く走りたいから太郎君と同じ靴買って!なんて。どこの家でもみんな太郎君の話題で盛り上がったみたいですよ?」
「ハハハ。そうなんですね。ちょっと太郎に聞いてみないと。うちの子は大人しくてあんまり自分のことを話さないんですよ。教えてくださってありがとうございます」
太郎の母親はその日学校から帰ってきた太郎に50メートル走のことを聞いた。
「太郎ちゃん。佐藤君のお母さんに聞いたんだけど50メートル走ですごい速かったみたいね」
「うん」
「すごいね。でもなんでお母さんに教えてくれなかったの?」
「え?なんで?」
「だって太郎ちゃんみんなからすごいって言ってもらったんでしょう?お母さんはそれを聞いて嬉しかったのよ。わたしの子が褒められたんだから。だからそういうことがあったらお母さんに話して欲しいの。いい?」
「嬉しい?うん。わかった」
太郎がにっこり笑って母親を見た。母親はそれを見てすっかり満足した。
「太郎ちゃん。お母さんにも太郎ちゃんが走っているところ見せてよ」
「うん!」
太郎の母親は自転車の後ろに太郎を乗せ公園へ行った。公園は中心に池があり、その周囲をぐるりと走るコースがある。平日の昼間ではあるが若者からお年寄りまで、ウォーキングやランニングをしている姿が多く見える。
母親はそこで太郎の走りを見た。そして驚きのあまり目を見開き呆然と立ち尽くすことになった。太郎の走るスピードがあまりにも速かったからだ。
周囲の人達も足を止めて太郎に注目した。感嘆の声を上げている人もいた。
「ママ!」
母親は太郎の呼ぶ声にハッとなって自分の息子をまじまじと見た。
「ママ!見た?」
太郎は息を弾ませて笑っている。
「うん。見たよ。太郎ちゃんすごい早かったね!ママ驚いたよ!」
太郎はフフフと笑ってその場で飛び跳ねて喜んだ。母親はそこで周囲の人達がこちらに注目していることに気が付いた。
母親は誇らしい気持ちが沸き上がるとともに急に怖くなった。なぜ怖くなったのかは自分でも分からなかったが、太郎を促してすぐに家へ帰った。
帰り道、自転車の後ろに乗せた太郎に母親は聞いた。
「太郎ちゃん。クラスの友達もみんな足速いの?」
「ううん。僕が一番」
「そうなんだ。太郎ちゃんは将来陸上選手になれるかもね!」
「りくじょう?」
「うん。かけっこの大会よ。テレビで見たことあるでしょ?」
「うん!ママ!僕もっと速く走れるよ!」
「え?そうだね。もっと大きくなったらもっと速くなるよ」
「ちがうよ。もっと速く走れるんだよ。さっきより!」
母親の不安は先ほどよりも大きくなった。
さっきより速く走れる?さっきより?あの速さはちょっと普通じゃなかった。ぐんぐんという表現がぴったりなほど伸びるように進んでいた。あれよりも速く?
小学校一年生の最速記録がどの程度か分からないがさっきより速くとなるとその記録を上回るのではないか?なんでうちの子が?
私も旦那も平凡な人間だ。両親、祖父母を遡っても運動で活躍したなんて話は聞いたことがない。それなのに?
いや、いや、そういう問題じゃない。太郎はなんであんなに速いんだろう?大人になったら平凡になる系の神童?成長のピークが6歳?そんなばかな。
とにかく普通じゃないのは確かだ。旦那が帰ってきたら相談しよう。旦那にもあの走りを見てもらおう。もっと速く?あぁなんだか怖いくらい。
太郎の母親は喜びよりも不安に占められた頭に、その重みを吐き出すかのように大きく息を吐いた。
太郎はため息をつく母親の様子を自転車のうしろからじっと見ていた。




