楓
凪には、病院で母親とできる限り手を繋いでいてもらった。
凪を通して母親の気の流れを正すためにだ。
俺の手札は邪気だけだが、この親子を笑顔にするのなら、狛犬どもが無節操に与えた清い気より上手くやれる。
自転車で通うには結構な距離だが、凪は甲斐甲斐しく見舞い続けた。
おかげで母親の気の流れも順調に整いつつあったんだが…俺がやれるのはここまでみたいだ。すまねぇな。
見舞いを終えて社へ向かう道中、凪から苛立ちとも不安とも取れる感情を感じた。
「…ねー、疲れたー。このまま帰ろー?」
〔すまねぇな。社の連中に戻ると言っちまったから、顔は出さねぇとな〕
…何か感じ取ってんだろうな。悪ぃ。
今の俺らは一心同体なんだ、俺の思いも多少は分かるんだろうな。
「禍ー、お前…居なくなるなよー?」
〔…約束はできねぇな〕
理不尽に…どうしようもないことは起こるもんだ。
「…」
…いや、何か言えよ。
―――
凪の自転車が社に着いた。
石段を登り終えて息を切らした凪を、湊と景が椅子へと誘い茶を勧める姿を見て…微笑んでいる自分に気づいた。飯屋で会った時から心許せる関係だと思って見ていたが、俺は安心して良いようだな。
「陽菜はちょっと前に彼氏と帰ったけど、そういや用事あったんだっけ?」
結が子供らを見守るように見つめたまま、俺には目もくれず言葉を発した。
…ん? 帰った? 残ってる邪気を…俺を祓うつもりだったんじゃねぇのか?
代わりに角犬がガン見してくる…
「あなたが凪くんと社を出てから忙しかったのですよ? 私たちでその彼氏を見つけて、迎えに来ていただきました」
結構な距離があるんじゃなかったか? そもそもどうやって探し出したんだよ…
っつーか、手際が良すぎるな。すげぇよ。
〔ご苦労なこった〕
「ふん…しかし、あの者たちが揃ってこの地に住んでくれるのであれば、安心なんじゃがな」
勘弁してくれ。
…コイツは分かって言ってんな?
「阿形、それは私も考えましたが…いささか不安が勝ります…」
「…そうじゃなぁ。感情に左右される人間に御せる力ではないからのう…此度のようなことが無いように、あやつらの土地で、氏神の膝下で過ごすのが一番じゃろうなぁ」
狛犬どもがうだうだ話してるが、あの女が帰ったってんなら、俺は見逃されたのか?
……まだ、もう少しだけ、凪と一緒にいれるのか?
「あれ? 陽菜と大翔だ」
警戒が解けて気が緩んだ俺の耳に、結の言葉が届いた。
普段なら聞き流すんだが…近づいてくる知らない力は、俺をそうさせてくれねぇ。
「こんにちは。何度もごめんね」
「ごめんなさいねぇ〜。大翔の顔を見たら舞い上がっちゃって〜…約束のこと飛んじゃった〜。うふふふふ」
…んな甘くねぇか。
―――
「うふふふふ。良かった、会えたわね〜。貴方が待つように言ってくれたから、大翔が迎えに来てくれたのぉ……今の私は、凄く…凄〜く、幸せなのよ〜。ねぇ、大翔?」
テンション高ぇな。怖ぇよ。
この暑い中、腕に巻きつかれた隣の男も災難なこって。
「初めまして。凪くんと、禍…だね? 陽菜が迷惑を掛けたみたいで。2人の事は、ここの皆に聞いてるよ」
迷惑って次元じゃねーよ、ボケが…
ここに宮司がいたら説教かましてんじゃねぇか? …そういや、陽菜が来る前から見てねぇな?
…あー、この男の加護の感じが“直毘神”か…
得体の知れない陽菜って女と加護はワンチャンあるかと思ったが…この大翔ってのの加護は、俺に効果覿面な感じだ。…恐怖しか感じねぇ。
「ねー、お前ら…禍に何をする気? 禍は悪いことしてないよ?」
凪にまで恐怖が伝染しちまったか?
何だよ震えてるじゃねーか…お前が怖がる必要はないんだよ、ごめんな。
狛犬どもが凪の言葉を否定するかと思ったが、真剣な顔で大翔を見つめてやがる。
タイミングが早まっただけで、最終的には凪のために消える予定だったんだよ。クソが、だから馴れ合いたくなかったってのに…
「え〜? 私は夕方まで待てって言われたから戻ってきただけで〜…貴方達が私に用事があったのじゃないの〜?」
…あぁ、俺が夕方まで待ってもらうように言ったな。
祓われる前に、最後に凪の母親も見ておきたくて。
「禍…と呼んで良いかい? 君が彼女を呼び止めてくれたから、ここの皆が僕を探すことを思いついたって聞いたんだ。無事に陽菜と会えた僕は、君に感謝することはあっても…君たちの害になるような事は考えていないよ」
よくできた彼氏さんで。こんなんじゃなきゃ、その女の隣にゃ立てなさそうだ。
いや待て、あれか、不意打ちで祓われたりするやつか?
「…私のおまもりにあてられて顕在化しちゃったから、慌てたのかしら〜?」
あぁ、そーだよ! それしかねぇよ!
…でも、やれることはやってきたんだよな…
このままじゃ狛犬どもは仕上げに手を貸しちゃくれねぇ。
〔…凪のよ…凪と、凪の母親の体を巡る気が歪でよ。この土地に…〕
…原因を言っちまったら、凪の友達…湊と景の想いまで否定しちまうな、危ねぇ。
〔…いや、その気の巡りは俺なりに整えてやった。…ただ、俺がこのまま凪に憑いてちゃ締まらねぇ。大翔って言ったか? 情に絆された狛犬どもじゃ締めてくれなさそうなんだ。お前に締めてもらえねぇか?〕
「無理ですね」
…ノータイムかよ。
淡々と無表情で仕事をこなすタイプに見えたんだが、お前でもダメか…
「君はもう、凪くんに必要とされています。今、君を失えば…凪くんは…」
…
え? 何だよ、続きを言えよ、不安しかねぇよ!
こっちを不安そうに窺っていた凪たちの中で、ただ一人、一際輝いた笑顔の湊が目に映った。
「じゃあナギくん。ケイくんと結の時みたいに、禍に名前をつけようよ!」
―――
俺と凪を置いて、陽菜と大翔を含めた全員が、湊の話に異論なく纏ったようだ。
景と結の関係が異様に近いのは…そういうことか。
「…禍でいいじゃんー。禍じゃダメなのー?」
凪の声に、阿吽と大翔が顔を見合わせるが、微妙な空気が流れてる。
「禍って、吽形が言ってた気の状態?」
「細かく申しますと、気が蝕まれた状態が“邪気”です。それにより引き起こされた症状が“穢れ”や“淀み”。そして禍は…それらの根源とでも言いましょうか。…私の知る限りは、ですが」
俺ってカッコいいな。…違うな、今思えば勝手に名乗ってるだけだ…“それとは違う”なんて言われないよな? …今になって恥ずかしくなってきたぞオイ…
「禍ー…」
〔…お? おう〕
「やっぱ、かっこいいじゃんー」
…俺が本当に禍ならな。
「…気まずそうな顔してますけど〜…あなたは間違いなく禍よ〜? 胸を張って〜」
「陽菜、彼はそれであることに後ろめたさがあるんですから…」
陽菜だっけか? 初めてお前を好ましく思えたぜ。よくわかんない奴だと思ってたが、一番わかってくれてたのかも知れねぇ。そう、俺は禍! 禍津日神の加護を得た人間のお墨付きだ。
「彼の名を“禍”とするのは違うのかと思います。例えば僕たちが子供を授かって、付けた名前が“人間”だったりしたら、おかしいでしょう?」
「やだ〜うふふふふふふ、もう子供の話? うふふふふふふ……うふふふふふふ」
陽菜、空気は読んでくれ…
「じゃー、楓」
〔いや凪、お前どっからソレ持ってきたんだよ?〕
もうちょっと一緒に悩むとかしてくれていいんだぞ?
「お前が助けてくれた時、空に浮かんでた赤いのが綺麗だったんだー…紅葉みたいで」
…言ってたな。
初めてお前と一緒に観た景色…共感できなかった笑える思いの一つだ。
…あん時ゃ、あまりに見慣れたもんだったからなぁ。
お前と見て回った景色のあとに思い出せば…まぁ、今は…悪かねぇかな。




